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おばあさんの手紙 ~日系人強制収容所での子どもと本~

第四章 荒野の強制収容所:1942年から1946年にかけて — 後編(4)

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子どもの日常———夏 

高校生ぐらいになると、野球、バスケットボール、ダンスパーティと組織的な娯楽が多くありましたが、ローティーンの組織的活動は限られていて、グループで収容所内をぶらついていて、問題を起こすことが多かったようです。そこで、管理局はボーイスカウト、ガールスカウトの活動を導入したり、少年を集めてタクル・フットボールチームを作ったりしています。ハートマウンテン収容所で少年時代を過ごした13歳のベーコンのレポートから子どもの日常を———

もう少しすると、キャンプの敷地を離れなければ、有刺鉄線の囲いの外に出てもいいことになり、近くの丘にハイキングに行き、りすやガマガエルやうさぎを探したりできるようになった。……  暑い日、一日中外であそんだあと、たまにはみんなで売店によって5セントの一段きりのアイスクリームコーン1を奮発したんだ。

ずっと年上の二世の人も僕たち少年グループの事を気にかけてくれて、バルサでグライダーの作り方を教えてくれた。だれのグライダーが一番長く飛んでいるか競争もしたし、グライダーにプロペラを付ける方法も、輪ゴムをまいてモーターにし、手をはなすと短い間飛ぶことも教えてもらった。ある日、その人は、僕たちが普通の生活がどういうことか忘れないように、近くの町に行ってみようと提案してくれた。許可をもらって、バスで12マイル離れたパウエルという町に出かけたんだけど、パウエルで一つだけ鮮明におぼえていることは、ある店のウインドウにあった「日本人お断り」の貼り紙。もうすぐ14歳に手がとどきそうな僕だったけど、はじめてのことで本当に怖かった。

同じブロックに住む男の子たちと近くの川で野宿をしたことも。食堂に行って、ソーセージとひとかたまりのパンをねだって、ちょうど監視兵のいない横のフェンスから抜け出して、ハイウエイの下の直径6フット [約1.8m] の排水渠を通り抜け、ショーション川に通ずる深い渓谷を抜け、持ってきた毛布でテントをこしらえた。近くにスイカ畑があったけど、あいにくどれが食べごろか皆目見当がつかなくて、一人の男の子がポケットナイフをつっこんで、熟れぐあいを調べはじめた。最初のはまだ甘くなかったので、甘いのが見つかるまで次々にスイカを割っていった。……まもなくして週一回発行されていたキャンプ内新聞に、収容所のスイカ畑が荒らされたとの記事が載った。今ではあのエピソードに自分も一役かったことを深く恥じていますよ、本当に。2


夢をみる、本
をよむ———盛夏

夢をみること、本をよむことで有刺鉄線の囲いも自由に飛び越せることを子どもたちは知っていたようです。ブリードさんは子どもたちがポストン強制収容所へ移った後にも本を送り続けています。マーガレット・イシノの8月4日付けの手紙です。

親愛なるブリードさん、

ときどきわたしは、自分がウエブスターやウインストン [英国の代表的な辞書] だったらいいのに、と思います。そうすれば、あなたがわたしに送ってくださった美しい本のすべてに、「ありがとうございます」以外の言葉で感謝を述べることができますから。でも、ただのマーガレット・イシノでよかったとも思います。なぜなら、あなたからこんなにたくさんの素敵な本をいただけるのですもの。

この世界に再び平和が訪れたら、三つの国に旅行したいと思います。真っ先に、「真夜中の太陽の国」アラスカに行って、エスキモーや彼らの住むイグルー [雪や氷で作るドーム型の家] を見てみたいと思います。流れをさかのぼる鮭も見てみたいです。『霧の海の子』を読んでますます行きたくなりました。

二番目にフランスを見たいと思います。なぜだかわかりませんが、フランスに親近感を覚えるのです。フランス語を習いたいとずーと思っています。わたしたちのクラスでは、それぞれがどこか一つの国を選んで期末レポートを書きました。パリを見るまでは死ねないとずっと思ってますので、わたしはフランスを選びました。

最後は日本です。おばの家の裏の小川でスイレンと小さな魚がゆらゆら泳いでいるのを見たいです。日本には春夏秋冬の四季があり、それぞれが異なっていて絵のように美しいのです。それからわたしは残りの日々を、わたしのスイートホームであるアメリカで安らかに暮らしたいと思います。

もう一度お礼を申し上げます。……神の恵みが豊かでありますように。   かしこ

マーガレット・イシノ3  

次は、エリザベス・キクチがポストンでの夏をどう過ごしたかについて話しています。父親が牧師で、立ち退き前は牧師館や教会にすんでいて自分の家を持たなかったエリザベスに、ブリードは『エリザベスのための家』という本を送っています。ブリードの父親も牧師でしたから、いつか自分の家がほしいと思うエリザベスの気持ちが痛いほどわかったのでしょう。一人一人の子どもたちに向き合って本を選んでいたのですね。

わたしたちは夢を見つづけていた子どもでした。朝四時か五時には起きていました。日が昇って暑くならないうちに3〜5マイル [約4.8~8キロメートル] ぐらい歩いて川に行き、午前中から午後いっぱいをそこで過ごし、夕方涼しくなってから戻って来ました。そこにいる間、わたしたちはよく絵を描きました。わたしたちは十代の少女で、収容所を出た後の大学の寮や、自分の家での生活を思い描きました。よく砂の上に部屋の配置図を描きました。わたしのベッドはここ、サイドテーブルもあるのよ、などと言いながら、バラックの向こうにある、より良い生活に思いを馳せていたのです。ブリードさんが『エリザベスのための家』という本を送ってくださった時、「わたしたちは自分の家に住んだことがないわね。」と母に言ったのを覚えています。わたしは牧師館や教会、それから馬小屋、そしてバラックに住んでいました。だからブリードさんからこの本をいただいた時、特別な思いがありました。ブリードさんが、わたしの本当の家に関する本を送ってくれたのだと思いました。彼女は、わたしたち一人一人に送る本について、慎重に配慮してくださったに違いありません。4  


ヒラ・リバー収容所でのジーン一家の住むバラックはキャンプの端の方にあり、すぐ裏のブロックは倉庫として使われていました。ある日、倉庫になっているバラックの一つに本が積みあげられているのを見つけたジーンと友達は、窓から中へ忍び込みます。

…… 外部の各団体から寄贈された使い古しの教科書などが、いくつもの山をつくって積まれていた。…… 手あたり次第に本の山をひっくり返した。大部分の本は「ディック・アンド・ジェイン」タイプの教科書で面白くとも何ともなく、『詩歌名作選』が唯一の収穫だった。部屋に持ち帰った本をゴローに見せると、兄も大喜びだった。二人してたくさんの詩を一緒に読んだ。兄がことのほか気に入ったのは、エドガー・アラン・ポーの『アナベル・リー』で、これを感情豊かに朗読する。続いてぼくが朗読を受け持つと、ヴァイオリンを弾く真似をしたとき同様、またもや胸をかきむしる。ヘンリー・ワズワース・ロングフェローの『村の鍛冶屋』やウォルト・ホイットマンの『おお「船長」、僕の「船長」よ』も一緒に読んだ。ぼくはこの三編の詩が気に入って、兄がいなくなってからも繰り返し愛読した。これらの詩は、遠くからぼくに何か呼びかけているようだった。5

後に大学で文学を専攻したジーンは、「数多くの詩を読んだけれども、兄と一緒にヒーラで盗んだ本から味わったような親密感は、ついぞ一度も得られなかった」と言います。有刺鉄線の囲いが高ければ高いだけ、制約が多ければ多いだけ、その中で出会った一編の詩がより深く心に響くのでしょうか。


ぶらんこの少女­­­———晩秋

寒々としたハートマウンテンのバラックを背景にして、一人でブランコをこぐ少女は、カメラを向けられて反射的に少し微笑んでいるような気がしますが、カメラマンがじゃまする前は、物思いにふけりながら一心にブランコをこいでいたのでしょう。何を思っていたのでしょうか、遠くを見つめるまなざしは何を見ていたのでしょうか。撮影は、後に二世で唯一転住局の正式な写真家になったヒカル・イワサキ6で、11月24日のことです。

ぶらんこの少女、ハートマウンテン強制収容所。(写真:ヒカル・イワサキ、アメリカ国立公文書記録管理局)

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注釈: 

1. 柄のついた半球状のアイスクリームすくいで、一すくいしたアイスクリームをコーンの上にのせたもの。

2. 前掲 Colors of Confinement: Rare Kodachrome Photographs of Japanese American Incarceration in World War II

3. ジョアンヌ・オッペンハイム著、今村 亮訳「親愛なるブリードさま」柏書房 2008

4. 前掲「親愛なるブリードさま」

5. 前掲「引き裂かれたアイデンティティ———ある日系ジャーナリストの半生」

ジーンはその時の気持ちをこのように説明しています。

今日ふたたび読み返してみると、この三編の詩にぼくが魅せられたのは、それらが失恋、父の死、失意の人生をうたっていて、この絶望感に共鳴したのだということが見えてくる。中でもホイットマンの詩は、いちばん難解だったがいちばん興奮させられた。詩の主人公、「ぼくの父」でもある「ぼくの船長」は、苦難に満ちた遠征の使命を成し終えて、船の甲板に横たわり「冷たくなってこの世を去った」。ぼくは悲運の主人公に哀惜の情は感じたが、どこか心の隅に安らぎが得られた。この詩が安心感を与えることは、ぼくが父の死を望んでいるということかと、ぼくはいささか不安になった。

6. イワサキは1944年から1945年にかけて、転住局のカメラマンとして収容所を出て新しい生活を始めた人々を訪ねて写真をとり、丁寧なキャプションをつけています。一足先に収容所を出て新天地で元気に仕事をしている人々の写真が、外に出ることを躊躇している人々へのなにがしかの力になればと思っていたのです。      

 

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第136号(2014年2月)からの転載です。

 

© 2014 Yuri Brockett

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Sobre esta serie

東京にある、子ども文庫の会の青木祥子さんから、今から10年か20年前に日本の新聞に掲載された日系の方の手紙のことをお聞きしました。その方は、第二次世界大戦中アメリカの日系人強制収容所で過ごされたのですが、「収容所に本をもってきてくださった図書館員の方のことが忘れられない」とあったそうです。この手紙に背中を押されるように調べ始めた、収容所での子どもの生活と収容所のなかでの本とのかかわりをお届けします。

* 子ども文庫の会による季刊誌「子どもと本」第133号~137号(2013年4月~2014年4月)からの転載です。