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よみがえった藤井整―『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会にて

3年越しの夢がついに叶う

加州外人土地法(排日土地法)を葬り、日系人の人権を確立させたことで知られる藤井整の生涯を描いた短編映画『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会が、今年9月14日、南加のパサデナ市にあるリミール・シアターにて行われました。この映画製作にあたり、暖かいご支援をくださった皆様、大変ありがとうございます。

エグゼクティブ・プロデューサーを務める藤田文子さん、生まれて初めてメガホンをとった陳監督、そして俳優のクリス・タシマさんや尾崎英二郎さんにとって、この日は特別な1日となりました。3年に及ぶ映画製作の苦労がようやく報われたからです。

試写会が始まる前、藤田さんは、どれくらいの人々が試写会に訪れてくれるかとても心配していたようですが、その心配も裏腹、およそ860名もの人々が会場に足を運んでくれました。

藤田さん,友人とともに (提供 藤田文子さん)

試写会のあとの奇跡

30分の上映が終わると、藤田さんは、陳さん、タシマさん、尾崎さんらとともに,観客からの質疑応答を受けました。観客からは、藤井整自身に関する質問が多く、中には、藤井整の子孫は今もアメリカ、あるいは日本に住んでいるのかという質問もあったそうです。この質問を受けた藤田さんは、実際に藤井氏の子孫については良く知らなかったので、近い将来、彼の故郷である山口県岩国市を訪れて、藤井整につながる人々を見つけたいという意向を示しました。

観客との質疑応答が終わると、藤田さんを始め、監督や俳優さんらは映画のポスターへサインをしました。

その後、藤田さんが、会場の外で観客や友人たちと談笑をしていると、ある三世の男性が話しかけてきたそうです。その男性は、こう言ったそうです。

「わたしは長峰(Hidekichi Nagamine)と申しまして,藤井整さんはわたしの祖父の葬儀に出席されました。しかし、葬儀が終わる直前に、その場で急に倒れ、悲しいことに、彼はその場で亡くなってしまったのです。」

1854年12月23日、藤井整は旧来の友人であり、同郷出身の長峰滝蔵の葬儀に出席しました。その頃すでに、藤井氏は、高齢のため病気を患っていましたが、大切な友人のためにと病に蝕まれた体をひきずって、葬儀に出席したそうです。彼が倒れたとき、同席していた医師の手によって応急処置がほどこそうとしましたが、彼はすでに息を引きとっていたとのことです。長峰さんのおじいさまの葬儀の日が、藤井氏が人前に姿をあらわした最後の日となってしまったのです。

藤田さんにとって、長峰さんが試写会に訪れて、このような話をシェアしてくださったことは、予想外の出来事でしたが、大変嬉しいことでもありました。この映画が、ひとりでも多くの方々に藤井整の功績を広めるのに役立つだけでなく、長峰さんのように、藤井整を間接的にでも知っている人と出会えたことは、この映画製作を行った成果でもありました。

日本人に知ってもらいたい藤井整の歴史

初めての映画の試写会を終えた藤田さんには、次の目標がありました。それは、この映画を日本でも上映することです。尾崎英二郎さんの協力を得て、日本国内で開催される映画祭に参加しようと試みています。

もともと藤田さんは、いずれは日本でも上映することを念頭においていたので、撮影中、役者の話す日本語が不自然でないかどうかを、厳しくチェックしていました。

この映画にも出演している日本人俳優の尾崎英二郎さんの協力を得て、三世俳優のタシマさんとアゲナさんは日本語の特訓をしたそうです。実際、藤田さんはわたしに会うたびに、ふたりが日本語を話すシーンが不自然ではないかどうかを聞いてきましたが、わたしは、日本語を母語としないこの二人の役者が流暢に日本語を話すことが出来たことに大変驚きました。この日本語であれば、日本で上映しても違和感なく見ることができるだろうと思いました。

そんな藤田さんに、面白いチャンスが訪れたのです。先日、藤井氏の故郷である岩国市の福田良彦市長が羅府を訪れました。この時、たまたま羅府に滞在していたわたしは、その機会を逃すまいとする藤田さんに頼まれ、福田市長にこの映画について紹介をする機会を得ました。市長には、サイン入りの映画のポスター、サウンドトラック、そして佐藤健一先生の書いた「羅府ぎぎゅう音頭」をプレゼントしました。大変嬉しいことに、福田市長は、この映画に,強い関心を示してくださったように思えました。近い将来、日本国内、とりわけ藤井氏の故郷である岩国市でこの映画を上映することが出来ることを望んでいます。

3年前、わたしは藤田さんと陳さんとともに、羅府のユニオン駅で夕食をとり、その時初めてこの映画製作のことを聞かされました。あれから3年、わたしは自分自身の修士号取得のための研究もあったのですが、少しでも多くの時間をつくっては、映画製作を手伝ってきました。

さまざまな苦難を乗り越え、やっと映画が完成し、試写会が大成功に終わったことは、わたしにとっても、非常に嬉しいことです。微力ではありましたが、この映画に貢献できたことは、私にとって誇れることのひとつとなりました。

また,これらの経験を通して,日系人の歴史を理解し、日系社会に貢献することの大切さを学びました。このような積み重ねがいつか日本人と日系人の「交わり」なり「つながり」を築くものになると、わたしは考えています。

藤田さん,友人とともに (提供 藤田文子さん)

藤田さん,陳さん,タシマさん,尾崎さん,そして,映画の制作にかかわった皆さんへ,わたしたちは皆さんに深い感謝の意をささげます。

© 2012 Takamichi Go

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