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『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その1/6

トゥーリレイク収容所の文学同人誌『鉄柵』は、収容所で発行された雑誌のなかでもっともよく知られている。『カリフォルニア強制収容所』(白井昇、1981年)で詳しく紹介されているほか、『南加文芸選集』(藤田晃編、1981年)および『遠い対岸』(山城正雄、1984年)、『帰米二世』(山城正雄、1995年)など日本で出版された本のなかで言及されている。そのため帰米二世文学のルーツは『鉄柵』にあると言うのが定説になっている。しかしその全容は明らかにされていない。当事者の野沢襄二は『南加文芸選集』のなかで、『鉄柵』は第10号で終わったと述べているが、実際は第9号が最後である。第10号は計画されていたが実現しなかったのであろう。このように当事者でさえ記憶違いがあり、それがそのまま受け入れられてきたのである。

『鉄柵』はすべての収容所の日本語雑誌のなかでももっとも充実した内容をもち、文学的水準も高い。日系文芸人のご厚意によって『鉄柵』全9号の復刻が実現したことは日系アメリカ文学の研究上意義深いことである。とくにこのなかに藤田晃、山城正雄などのちに作家となった人びとの若き日の作品を見るのは興味深い。

トゥーリレイク収容所では、定期刊行物としてほかに鶴嶺湖男女青年団の機関誌『怒濤』、短歌誌『高原』があり、加川文一の随筆集『我が見し頬』、矢尾嘉夫の歌集『歸雁集』、泊良彦の歌集『渦巻』などの単行本も発行されて、日本語文学の隆盛をみた(『怒濤』については『日系アメリカ文学雑誌集成③④』を参照)。

1.トゥーリレイク収容所の生活

オレゴンとカリフォルニアの州境に近いニューウェルという小さな町のはずれにトゥーリレイク収容所はあった。はるかに雪をいただいたシャスタ山をのぞみ、深い森や水鳥の棲息する沼地を通り抜けたところにかつて巨大な湖があった。トゥーリという葦が生い茂っていたことから「トゥーリレイク」と呼ばれていた。1940年、政府はこの湖を購入して湖の水を抜いた。なぜ排水したのかは不明だが、たぶん農地にする目的であったのかもしれない。しかしここは周囲の美しい環境とは異なって荒れ地のまま放置されていた。強制収容所はこの広大な国有地に急造された。収容所の名称の片仮名表記は、「ツーリレーキ」「ツールレーク」「ツルレーキ」など、日系人の出版物のなかでさまざまに表わされているが、先住民が生活用具の材料に使う「トゥーリ」が生えた湖であったことから、地元では「トゥーリレイク」と発音している。

収容所の西には先住民の古戦場キャッスルロックが聳え、その頂上には十字架が建っている。収容者はそれを直訳して「城巌山」と呼んだ。キャッスルロックの左手の彼方にはシャスタ山が美しい姿を見せており、75、76、79、80の各ブロックから眺めることが出来た。収容所の北東部、つまり裏側にはアバロニ・マウンテンという鮑の形をした溶岩丘があって、「鮑山」または「鮑ヶ丘」として親しまれていた。これらの丘は一本の木もない殺風景な収容所のなかの数少ない風物として、歌や詩のなかに詠まれている。日本人は古来から花鳥風月を文学の主題としてきた。トゥーリレイクには見るべき花はなかったが、鳥や月を眺めることができた。他の収容所と比べると風はおだやかであったが、鳥が来るような木はなかった。人びとは数少ない自然のなかで、空を飛んで行く鳥の姿に注目した。矢尾嘉夫の『歸雁集』からも分るように、収容所の上を飛び去るたくさんの渡り鳥が短歌や俳句に詠まれている。

キャッスルロックと収容所跡(1987年、筆者撮影)

トゥーリレイクは忠誠審査の結果、合衆国に不忠誠な人びとが多かったことから、1943年7月に不忠誠者を収容する隔離収容所に指定された。不忠誠者が多ければ、忠誠者をほかへ移動させる手間が省けること、野菜、肉、鶏卵などのさまざまな食料が生産されて自給できたことなどが指定の理由としてあげられる。所内には農事部があり、収容者が優秀な農業技術を生かして開墾した土地に大農園が作られた。現在、このあたりがホースラディッシュなどで有名な農業地帯となっていることからも分るように、土壌が肥沃であったと思われる。1944年11月の記録よれば1ヶ月23万600ポンドの野菜、8万ポンドの豚肉が収穫されて、自給してもさらに余剰が出るほどであった。

隔離収容所となってから所内の雰囲気は一変する。一部の過激な帰米二世集団が人びとを煽動して、収穫期の農園やモータープールでストを組織し、ことあるごとに監理者側との対立を深めていった。二世の市民権放棄を認める法律が成立したのち、1944年8月には帰米二世を中心とした「祖国研究青年団」が結成されて、日本精神の高揚を目的に早朝から勇ましい軍隊式の行進を開始した。さらに一世を中心とする「帰国奉仕団」、帰米二世の「報国青年団」などの極端な親日派集団が結成された。人びとが心の拠り所としたのは現実の日本ではなく、日本という名の幻の理想郷であった。収容所内の混乱によって1943年11月からは軍の監理下に置かれた時期もあり、トゥーリレイクの名はトラブルメーカーを収容する場の代名詞となって全米に知られるようになった。日本敗戦の後は騒動も鎮まり、市民権を放棄して日本への帰還を申請していた人びとは、ここから日本へ去っていった。トゥーリレイクは10ヶ所の収容所のうちもっとも遅く、1946年3月に閉鎖された。

その2>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

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Sobre esta serie

Muchas revistas en japonés de origen japonés se perdieron durante el período caótico durante y después de la guerra, y fueron descartadas porque sus sucesores no podían entender el idioma japonés. En esta columna, discutiremos ``Yokkaku'', que fue llamada revista fantasma porque solo tenía un nombre pero no pudo encontrar la versión real, así como revistas sobre campos de concentración que faltaban en los registros estadounidenses porque eran japonesas. revistas y revistas sobre inmigrantes de posguerra. Presentaremos los títulos de las revistas incluidas en la colección de revistas literarias japonesas estadounidenses, como las revistas literarias que se han agregado.

Todas estas valiosas revistas literarias no se almacenan juntas en una biblioteca, sino que fueron tomadas prestadas de revistas privadas y se completaron con la cooperación de muchos artistas literarios japoneses-estadounidenses.

*Reimpreso de Sadae Shinoda e Iwao Yamamoto, "Investigación sobre revistas literarias japonesas estadounidenses: centrándose en las revistas japonesas" (Fuji Publishing, 1998).

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Acerca del Autor

Profesor, Facultad de Humanidades, Universidad Kasei de Tokio. Completó sus estudios de posgrado en la Universidad de Mujeres de Japón. Se especializa en historia y literatura japonesa americana. Principales logros: coeditado de la “Colección de revistas literarias japonesas americanas”, coautor de “La cultura japonesa en las Américas” (Jinbun Shoin, 2007), cotraducido “Nikkei y la globalización” (Jinbun Shoin, 2006), cotraducido “ Memorias de Yuri Kochiyama” (Sairyusha, 2010) y otros.

(Actualizado en febrero de 2011)

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