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フロリダと天橋立-その2

その1 >>

自分の名前をフロリダに残すために

結局、耕作条件は悪くそのため農業としては目立った成果も上げられず、入植者は徐々に減っていった。真偽のほどは定かではないが、土地を所有した日本人のなかには1925年にマイアミビーチが開けて、フロリダの土地ブームがおきるなかで土地を高値で手放し、帰国したり他州へ移ったものもいたという。

そして、太平洋戦争が始まる頃には、コロニーに残っていたのはわずか数家族だけになった。また戦争によって42年には、コロニーの土地はアメリカ政府によって没収される。こうしてコロニーは戦前に事実上消滅していった。

しかし、森上氏だけは農業を続け踏みとどまった。これより前に英語の話せなかった彼は、地元の子供たちにまじって英語を学び、自分で収穫した作物を売買もした。戦争中森上氏は、地元の農園主の管理下に置かれ無報酬で耕作を続けたが、戦後になって耕作した土地を無償でもらい受けることができたという。

戦後も農業を続ける一方で少しずつ土地を買い増ししていった。そして最終的には150エーカー以上の土地を所有することになった。それでも土地を売ることはせず、パイナップルや野菜に囲まれた自然のなかに彼は身を置いたが、現地での家族はなく、トレーラーハウスを生活の場としての暮らしぶりは質素だった。

日本人の移民一世の多くが、成功の暁には故郷に錦を飾ることを夢見ていたように、森上氏も当初は一旗揚げて故郷に凱旋するつもりだった。しかし、晩年はアメリカの市民権を得てアメリカに骨を埋める覚悟だった。ジョージ・スケジ・モリカミと現地では名乗った彼が、最後に望んだのはなんとか自分の名前をフロリダで残すことだった。

一方、彼の所有する土地の価値は時とともに高くなる。それはいいのだが、同時に多額の税金もかかる。そこで彼は、自らの土地をすべて地元に寄付することで名前を残すことにした。その橋渡しをしたのは、現在「モリカミ」の副理事長をするジェームズ三堀氏だった。日本からマイアミ大学に留学した後、フロリダで就職をしようとしていた彼は、たまたまデルレイ・ビーチに出かけたときに、「あんた、日本人かい?」と、日本語で声をかけられたのだった。その声の主が森上氏だった。それが縁でいろいろと相談され、法律に詳しい三堀氏の助力によって、地元パームビーチ郡に土地は寄贈され、日本庭園を含むミュージアムができることになった。一口に寄贈して公園化するといっても、その間の手続きや法的な問題をクリアーするのは並大抵のことではない。

「森上さんの持っている土地が、いったいどれなのかを、あの原野のようななかで土地台帳と照らし合わせながら確認するのだって大変だった」と、三堀氏は当時を振り返る。これはほんの一例である。

1976年2月29日、森上氏は89歳でこの世を去った。そしてその1年後、「モリカミ」は一般に公開され、徐々に拡張と整備を重ねて2001年に現在の形になった。05年にはコロニー誕生の100年祭が現地で行われ、かつて入植した日本人たちの末裔が、フロリダやアメリカ各地、そして日本から集まった。その人たちの皮膚の色はさまざまだったところに、世代を超えた時間の流れが映し出されていたようだ。

日本へ残してきた思い

森上氏は、生涯を通じて独身だったことに加えて、渡米してから一度も日本に帰ることはなかった。フロリダに渡るとき、まず神戸から横浜まで船に乗った。そのとき船上から見た富士山が生まれて最初で最後に見た富士山だったという。横浜からは海路でアメリカ西海岸のシアトルに渡り、そこから延々鉄道をつかってフロリダにたどり着く。

森上氏が日本へ送った手紙

彼は、土地はもっていたが現金はほとんどもっていなかったと三堀氏は言う。あるとき「日本に一度帰ったらどうだ」と、お金を援助してくれる人がいたが、彼はそれを断った。父親が亡くなったときも帰らず、故郷の宮津にいる親戚は憤慨したことがあった。しかし、彼が故郷や実家のことを思わなかったかと言えば、決してそんなことはなく、長男として家のことを案ずる手紙を、実際家を継いだ妹にあてて何通も書いている。

また、森上氏がそもそもアメリカに渡るきっかけとなった一つに、結婚を申し込んだ相手の家に断られたという“失恋”の事実がある。その女性のことを渡米後もずっと思っていたことが、これらの手紙からうかがい知ることができるという。このことは、現在宮津市に住む井田和明氏を訪ねて聞いた話である。井田氏は森上氏の妹の孫にあたり、その家は、場所は少し移動したが、かつて森上氏が生まれ育った家だった。

建築後、百数十年がたつしっかりした構造で、建築時の図面も残っているほどだった。家業はもともと農業だったという。長男だった助次氏がどうしてこの家を出てフロリダへ渡ったのかというと疑問はあるが、ことによると“失恋”の痛手が大きかったのかもしれない。

その3>>

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」(2010年6月30日号)からの転載です。 

© 2010 Association Press and Ryusuke Kawai

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Sobre esta serie

En los 150 años transcurridos desde que Kanrin Maru llegó a los Estados Unidos y desde la transición de Japón a la sociedad moderna, muchos japoneses han dejado su huella en el mundo. Vivir heredando la herencia japonesa y aceptando otro país y cultura. Seguimos el mundo de las personas que tienen vínculos con Japón más allá del marco de la nación, centrándonos en los Estados Unidos, y consideramos lo que significa ser japonés y cuál es nuestra identidad.

-Jardines japoneses y cosplay en Florida (3 partes)
-Florida y Amanohashidate (3 partes)
-Florida y Amanohashidate-Yamato Colony Leader y Tango Chirimen (3 partes)

*Esta serie es una reimpresión de la revista web ``Kaze'' de Associative Publishing , que publica información sobre libros nuevos, como artículos que relacionan temas actuales y temas diarios con libros nuevos, bestsellers mensuales y columnas críticas sobre libros nuevos.

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Acerca del Autor

Periodista, escritor de no ficción. Nacido en la prefectura de Kanagawa. Se graduó en la Facultad de Derecho de la Universidad de Keio y trabajó como reportero para el periódico Mainichi antes de independizarse. Sus libros incluyen ``Colonia Yamato: Los hombres que abandonaron 'Japón' en Florida'' (Junposha). Tradujo la obra monumental de la literatura japonesa americana, "No-No Boy" (igual). La versión en inglés de "Yamato Colony" ganó "el premio Harry T. y Harriette V. Moore 2021 al mejor libro sobre grupos étnicos o cuestiones sociales de la Sociedad Histórica de Florida".

(Actualizado en noviembre de 2021)

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