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https://www.discovernikkei.org/es/journal/2010/7/2/brenda-wong-aoki/

ブレンダ・ウォン・アオキ~日米の物語を語る3世のソロ・パフォーマー~ その2

>>その1

家族の死を受け止めるために

「汽車に乗って」は、ブレンダがアリス・ハギオという2世から直接聞いた話で、「Last Dance」(1998)に収録されている。第2次大戦中、日系人収容所に移送される電車の中で、看護師をしていた「私」は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いていたが、友人のミチの赤ちゃんが病弱だったため、その子の面倒も見ることになる。汽車で揺られること3日間。食事が出たのは一度だけで、母乳も出なくなった。ミチの赤ちゃんは、やがて泣き声がやみ、亡くなった。それから55年の月日がたち、夫はミチの家族と交流があるが、ミチはあの時のことを思い出すので、今でも「私」に会おうとしないという。

『Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century』

「さよなら、リア」は、ブレンダの家族に関する実話である。ブレンダの家族の養子になったサモア人のリアは、フットボールのキャプテンをつとめる活発な高校生だった。明日から大学に通うために家を離れるので、家族は前日、お別れ会を開こうとしていた。しかし、待てども待てども、本人のリアが現れない。やっと現れたとき、リアは棺の中にいた。14歳の見知らぬ子に心臓を打ち抜かれたのだ。『Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century』(1999)に掲載されている台本から、以下、抄訳。

私の家族、彼の友人、そして何百人もの高校の同級生がリアを見つめていた。皆ショックを受けた。その次に怒りが襲ってきた。でも何も言葉が出てこなかった。すると、フットボールチームの仲間が立ち上がり、自分たちのジャージを脱いで、棺の中にそっと入れた。チームはいつもリアと一緒にいるんだ、という思いをこめて。皆が泣いた。サモア語で、英語で。子供たちも大きな声で叫んでいた。その光景を見ながら、思った。
大きな銃をとって、リアを殺した子供を撃ち殺したい。
あの子が憎い。憎い。憎い!
あの子を産んだ母親を殺したい。父親を、家族全員を殺したい!
あの子が憎いから。
「ハアー!」
一人の老人が叫び始めた。
「ハアー!」
深く、低い声で。他の男たちも一緒に叫び始めた。
「ハアー!」
私たちに力を与えてくれるよう、私たちは先祖に祈り始めた。
「ハアー!」
この若い戦士の魂を家に戻すよう、私たちは先祖に祈っていた。
「ハアー、ハアー!」
「ハアー、ハアー、ハアー!」
すると、一族の長老が両手を挙げて、大きな声で言った。
「死は常なるものなのだ!!!」
皆、立ち止まった。
「生きていることが・・・奇跡なのだ」
皺が寄った彼の顔から涙がこぼれた。でも、私たちに微笑んでいた。(後略)

ブレンダの語りが終わると、マーク・イズが静かにベースを弾いた。リアの魂を沈め、ブレンダの気持ちをなだめるかのような演奏だった。その後、静かな雰囲気を掻き消すかのように、息子のKKが激しく踊り、彼らのパフォーマンスが終わった。

ラフカディオ・ハーンへの共感

『Mermaid Meat』

ブレンダにはラフカディオ・ハーンに対する強い共感がある。それは、一つはハーンが描く世界に対する共感であり、もう一つは、ブレンダと同じように、複数の血が混ざっているハーン自身に対する共感だ。「Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories」に収録されている、「Black Hair(黒髪)」という作品は、小林正樹監督の映画『怪談』(1964)に収められている「黒髪」をヒントにしてつくられた作品で、 YouTubeでもその一部を見ることができる。原作がハーンの「和解」という短編で、さらに辿ると、今昔物語に行き着く。

ブレンダのパフォーマーとしての訓練は、バレーやフラダンスから始まっているが、70年代の後半から、サンフランシスコで「シアター・オブ・幽玄」を立ち上げた土井由理子と、野村万作から狂言を、野村四郎から能を習っている。演者としても、まさに、東西融合の典型といっていいだろう。「黒髪」を見ると、彼女の所作が、日本の伝統芸能の影響を強く受けていることがよくわかる。

「黒髪」は、京都に住む貧しい侍の夫婦の物語である。自分の持ち物を売って献身的に夫に尽くす妻と、貧しさを嘆いて酒を飲む日々を暮らす夫。新しい着物が欲しいという夫に、妻は自分の黒髪を切って着物をつくる。着物に紋が入っていないと言われれば、妻は自分の小指を切り、その血で「心」と書いた紋を入れる。

その紋が入った着物を着て外に出ると、偶然大名行列に出くわし、行列の中央にいる着飾った女性から声をかけられて名護屋に行くことになる。夫と別居することになった妻は嘆いたが、涙は袖に隠して流した。名護屋の大名に取り立てられた侍は、この女性から結婚を迫られ、京都の妻を離婚することになる。新しい妻は気立てが悪く、侍は幸せではなかった。20年の歳月が流れた。侍はこの妻を捨て、京都に帰ると元の妻が待っており、2人は一夜を過ごした。翌朝起きてみると、侍の腕に抱かれていたのは、20年前に夫に捨てられて悲嘆にくれて死んだ、妻の死骸だった。

CDにはこの話について、ブレンダの次のような解説がある。

「以前、日本で、ある古いお寺を訪ねたときのことです。ガラスの箱に、黒みがかった茶色い髪のような縄がありました。それを見て何か背筋がぞくっとしたんです。日本語の解説は読めなかったのですが、日本語の下に英語で'人の髪'と書かれてありました。第2次世界大戦中、縄はすべて戦争に持っていかれました。だから、この村の女性たちが自分たちの髪を切って、お寺の鐘を鳴らせるようにしたのです。この縄は、彼女たちの犠牲の証拠として保存されました」

CDにはこんな記述もある。

「私は語り部です。語りによって記憶が伝えられていきます。私は自分の体と、声と、髪を使って聴衆に語りかけます」

「The Train Ride」上演中のブレンダ・ウォン・アオキ (撮影:須藤達也)

自分の体と声に加えて、「髪」と言っているのがとても印象的だ。特に「黒髪」では髪が重要な役割を果たしている。

ハーンの幻想の世界に、ブレンダは「もののあわれ」を感じるという。束の間の人生のなかにある身を切るような美しさ――もののあわれを、彼女はこのように説明している。リアを失った体験、生きていることは奇跡なのだという長老の言葉、そういった中で、彼女はもののあわれの感覚を得、ハーンの怪談に共鳴するようになったのではないか。そんな気がする。

このように、ブレンダの話をみていくと、若くして亡くなったリアとカリ、収容所行きの列車で亡くなった赤ちゃん、ユタに追放された祖父、異人種間結婚を成し遂げた大叔父、市民権を剥奪された大叔母、あるいはまたアイルランド・ギリシャ系のラフカディオ・ハーンが、この世に生きた証とその意味を後世に伝えようとしているように思える。私は一人の日本人として、彼女が語り継ぐメッセージを全身で受け止めたいと思う。

(敬称略)

※作品の訳は筆者による。
※写真と資料を提供してくれたブレンダ・ウォン・アオキに感謝します。

ブレンダ・ウォン・アオキのCD
* Dreams & Illusions, Rounder Records, 1990
  Twilight Crane(Japan), Grandpa, a reflection(California)など5話を収録
* The Queen's Garden, Asian Improv Arts, 1998
* Mermaid Meat and Other Japanese Ghost Stories, Belly to Belly, 2007
  Mermaid Meat, The Bell of Dojoji, Dancing in California, Black Hairを収録

ブレンダ・ウォン・アオキが参加しているCD
* Last Dance, Bindu Records, 1998
  The Train Rideを収録

映画出演
* Living on Tokyo Time, Steven Okazaki監督, 1990
* Do 2 halves really make a whole?, Martha Chono-Helsley監督, Center for Asian American Media, 1993

参考資料
* The Queen's Garden, Contemporary Plays by Women of Color: An Anthology, Routledge, 1996
* To Fa, Lia, Mermaid Meat, Extreme Exposure: An Anthology of Solo Performance Texts from the Twentieth Century, Theatre Communications Group, 1999
* Uncle Gunjiro's Girlfriend (グンジロウ叔父さんの彼女) パンフレット 国際文化会館 2007年10月26日
* 「日系アメリカ人のジャズと語りの世界」 パンフレット 第29回アジア系アメリカ人研究会 2008年1月8日
* 「和解」『日本雑記』 小泉八雲 恒文社 1986
* 『新世界』1909年3月20日号

参考ウエブサイト
* http://www.brendawongaoki.com/
  Uncle Gunjiro's Girlfriend、Mermaid Meatなどの一部を収録
* http://www.youtube.com/watch?v=qx5HU7UGdQg
  Black Hairの一部を収録
* http://www.cafecreole.net/archipelago/Brenda/
  1999年のブレンダの札幌公演のレポート

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第10回目からの転載です。

© 2010 Association Press and Tatsuya Sudo

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Sobre esta serie

Aproximadamente 3 millones de personas de ascendencia japonesa viven en el extranjero, de los cuales se dice que aproximadamente 1 millón están en los Estados Unidos. A lo largo de su historia, que comenzó a finales del siglo XIX, los estadounidenses de origen japonés en Estados Unidos han estado en ocasiones a merced de la relación entre los dos países, pero a través de sus dos culturas, han llegado a tener una perspectiva única. como nikkei. ¿Qué podemos aprender de estas personas que han vivido entre Japón y Estados Unidos? Exploramos nuevas visiones del mundo que surgen de las perspectivas de estos dos países.

*Esta serie es una reimpresión de la revista web ``Kaze'' de Associative Publishing , que publica información sobre libros nuevos, como artículos que relacionan temas actuales y temas diarios con libros nuevos, bestsellers mensuales y columnas críticas sobre libros nuevos.

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Acerca del Autor

Profesor de la Universidad de Estudios Extranjeros de Kanda. Nacido en la prefectura de Aichi en 1959. Graduado del Departamento de Estudios Extranjeros de la Universidad Sophia en 1981. Graduado de la Escuela de Graduados de la Universidad de Temple en 1994. Trabajó en el Centro de Servicios de Cooperación Internacional de 1981 a 1984. Vivió en los Estados Unidos de 1984 a 1985 y se interesó por las películas y obras de teatro japonesas estadounidenses. Ha estado involucrado en la educación inglesa desde 1985 y actualmente es profesor en la Universidad de Estudios Internacionales de Kanda. Desde 1999 preside el Grupo de Estudio Asiático-Americano, que celebra grupos de estudio en Tokio varias veces al año. Mis pasatiempos son el rakugo y el ukelele.

(Actualizado en octubre de 2009)

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