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移住地の文化活動 発行物にみる社会の変遷

サンフアン移住地は、1955年に最初の入植者らが足を踏み入れてから、今年で54年になる。日本国内における50年の歴史は、昭和から平成を迎 え、そして戦後の混乱を乗り越えた激動期でもあった。その記録を、と見ると、どの家庭でも新聞やラジオで報道がなされ、雑誌やグラビアなどもあったであろ う。

しかし、移住地となると条件は変わる。

サンフアン移住地は亜熱帯気候に属し、年間平均気温は24度。暖かいということは、虫や湿気が多く、害虫との闘いを強いられることもしばしば。本棚の本がいつのまにかシロアリの餌食に、なんてこともよくあること。

そんな劣悪な環境の中でも、移住地においては入植当初から読み物が発行されていた。

サンフアン移住地は、国内の37都道府県からの入植者が応募し、その職業も農業はもちろん、炭鉱、大工、左官、板前、豆腐屋、パン屋など多方面にわたり、さらに大学を卒業したインテリ層も存在していた。

開拓で精一杯だった移住者のなかに、力仕事以外に筆に手を伸ばした人がいたことは、過去を知る手がかりになり、先人に感謝することしきりである。

次にあげるのは、過去に発行された日本語の出版物である。
発行の記録があり、保管状態が良好なもののみ列挙)

1957年

「やぱかに」 毎月1回発行 青年会発行
わら半紙にガリ版刷りでA4版18ページまでにおさめている。
タイトルは移住地を流れる「母なる河」の名称から。移住者にとっては、短波ラジオに並ぶ情報源。当時の思いをつづったもの、農業の知識や保健衛生、料理に 加えて辛口の社会批判も。青年たちの発行だが内容は移住地のあらゆる層を対象にしている。コピー機もワープロもない時代、青年たちが集っては出版作業をし たと思われる手作りの装丁に当時の面影が映し出される。

1980年

「トボロチ」 年2回発行 サンフアン連合婦人会
婦人学級の一環として発行。B5版30ページほど。
婦人会の発行だが、親団体の日ボ協会長や農協組合長、JICA事務所長も依頼を受けて文章を提供している。文集的要素が強い。この年以降の発行物はコピー機を使用。

1988年

「暮らしのページ」 連合婦人会発行 
文字とおり、暮らしに役立つ情報を掲載。この当時は移住地のインフラも整備され、人々の暮らしも豊かになりつつある頃。

1989~2005年

「婦人会文集 ともしび」 B5版 70~120ページ
その後節目の年に第3巻までが発行された。いずれも思い出や日々の暮らしの中で考えていること、社会への提案などが主な内容。初刊と第二刊を読んだ日本の読者から製本化の申し入れを受け、ワープロで読みやすい冊子ができる。
文集 「長 寿」 B5版 80ページ
日ボ協会が主催する敬老の日祝賀会を記念して発行される文集。投稿者は年配者から一般、そして小学生たち。昔話や体験談、健康の話題にお経の寄稿も受けている。原稿提供者は限られているが、回数を重ねるごとに提供者の年輪が見えるところが面白い。

1990年

「広報サンフアン」 日ボ協会・サンフアン青年会発行 1996年まで毎月1回発行
その昔、青年会が「やぱかに」を発行していたが、担当者不在により休刊。早稲田大学文学部卒の人材を得て、日ボ協会発行の会報が誕生した。内容は行事予定 から、回覧の見出し、一般読者からの旅行記やレシピ、オピニオン、専門知識のミニ講座が寄せられ、さらにNHK短波放送で聞いたニュースも載っている。こ の頃になると、日本から派遣されたJICA専門家や開発青年も編集に加わり、新風を吹き込んでいる。

1997年

「仲よし通信」 仲よし文庫発行 毎月1回
児童文庫による会報で現在も続いている。新着図書の紹介、イベント、感想文や紹介文などがリーガル版両面に掲載。同文庫のボランティアの女性たちが母親の視点で編集しているやさしい会報。

1997年

「ABJ(アベホタ)通信」 日ボ協会発行 毎月1回 レターサイズ12~18ページ
日ボ協会の会報として、移住地内のニュースや雑学、ボリビア国内のニュースなど情報を提供。10年を経過した現在も粘り強く発行を続け、ホームページ上でも公開している。

1999~2000年

「ひまわり」 2回発行 レターサイズ6ページほど。
同じく婦人会発行。この頃になるとパソコンを使った編集になり、写真も増え、レイアウトにも趣向が凝らされる。

2005年

「侃々諤諤(かんかんがくがく)」サンフアン青年会発行
日本語で書かれた写真満載の会報。青年行事やコラムなど盛りだくさんの内容。
青年会を知ってほしい、との目的で発行され、サンフアンの日系世帯全体に配布された。
青年らしく、CGを使ったユニークなイラストが興味深かったが、第4号を見ずに休刊。

「サンフアン日本人移住地の記念誌」 15年、30年、40年、50年史
節目の年に、記念事業として発刊。日本国内や現地で印刷されており、内容のみならずその体裁も歴史を語っている。50年史は2007年に発行され、100人の証言を受け560ページに及ぶサンフアン史を実証している。

上記のほかにも、移住地の経済をつかさどるサンフアン農牧総合協同組合では「農協便り」を毎月一回発行して農業技術や農時ニュースを提供しており、 農協創立40周年時には「40年の歩み」と銘打った記念誌も発行している。同様に、日ボ協会でも今までにガリ版刷りの「サンフアンだより」「サンフアン月 報」などを1970年代から80年に発行されているが、保管状態が悪く、発行記録も定かでない。

開拓、改善、とにかくインフラ整備が必要だった移住地に、情報を伝え、文学には及ばなくても人々の心に栄養が送り込まれていることは、非常に興味深 い。発行物以外にもサンフアンではラジオ局を開設して素人アナウンサーによるニュースや朗読、はては時間つなぎに自慢ののどを披露していた時代もあった。

1964年から2000年まで続いたエクアドルのキト市から放送していた「アンデスの声(短波放送)」の熱心なリスナーもおり、「サンフアン移住地からのリクエスト」も放送され、誰もがラジオに耳を傾ける共通の時間があった。

同じ物を読み、同じテーマについて考える。それは連帯感を生み出していたのかもしれない。過去の発行物には「・・・への提言」というようなタイトル の読者からの投稿が目立つ。それは辛口の批判であったり、または栄養改善方法のような指導的なものもあった。共通の話題を以ってうなずきあい、時には疑問 をぶつけ合い、議論し、そして投稿、情報発信へと進んでいたのだろう。

インターネットも整備されつつある現在の移住地では、若者はパソコンや衛星放送で好きなときに情報を入手し、一世世代はNHK衛星放送でニュースを 楽しむ。情報が手に入りやすくなった分、情報の発信が少なくなっているようにも見受ける。書ける一世の高齢化もあげられるが、便利な時代になった反面、文 字を書くということ、考えをまとめるということ、自ら発信しようという意志から遠ざかりつつあるのは、文化的衰退なのかもしれないし、移住地住人のグロー バル化かもしれない。

サンフアン移住地のこれからの情報発信と伝達-。スペイン語が得意な二世以降による情報発信になるだろうが、彼らの活躍を祈りつつ、発信と受け手の双方向の交流になることを期待したい。

* 本稿は、ボリビア日系協会連合会(ディスカバー・ニッケイの協賛団体)が協賛団体の活動のひとつとして、当サイトへ寄稿したものです。

© 2009 Kimie Bani