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映画評  『アメリカンパスタイム 俺たちの星条旗』 デズモンド・ナカノ監督作品 2007

単館ながら東京でも上映された作品だが、未見の方もおられると思うので、粗筋から紹介したい。ネタバレの部分もあるかもしれないけれどもご容赦下さい。

ロサンゼルス生まれのライル・ノムラは1世の両親を持つ日系2世。一家ではじめて奨学金を得、サンフランシスコ州立大学へ進学する筈だった。しかし 1941年12月7日を境に、彼の、そして家族の運命はすっかり変わってしまう。他の12万人の日系アメリカ人と同じく、ノムラ一家も告知後10日間で家 や仕事、殆どの財産を手放し、ユタ州のド田舎にあるトパーズ収容所へやってきた。砂埃と塵にまみれた、砂漠の中のバラック小屋生活が始まる。

フェンスに囲まれ常に監視される生活。白人の看守や兵士は聞こえよがしに日本や日本人の悪口を言う。アメリカで生まれ育った日系人の方が多いという のに。中村雅俊演じるライルの父親、カズ・ノムラは幼い頃アメリカへやってきた。はじめはうまく英語をしゃべれず、皆にいじめられた。だが彼は野球に夢中 になり、上達するうちに周りに溶け込めるようになる。独立リーグでベーブ・ルースとも共にプレーしたという設定になっているが、実際に日系人の優れた野球 選手は少なくなかったことは書籍や研究で明らかになっている。そんな経験もあって、カズは収容所の中で野球チームを作ろうと思い立つ。ライルの兄や友達た ちも協力し、やがて若者たちに笑顔が戻る。夜は夜でバンド演奏をバックに男女でダンスに興じる。意外に楽しそうな日系の若者たちを見て、看守たちはボヤ く。この戦時中、住む家も食事も与えてやっている上に、野球とJAZZにうつつを抜かしているのかよ・・・

ひょんな事で、ライルと看守(軍曹でもある)ビリーが対決する。ライルは元学生野球のピッチャー、そしてビリーは実はメジャーリーグをめざすベテラ ン捕手でもあった。ストライクをボールと言い張るビリー。くやしがるライルに「放っておけ(Let it go!)」と諭す一世とおぼしき謎の老人(セス・サカイ) が物語の狂言回しか。

ライルはかなり芸達者でサックスも得意。ある夜、いつものようにダンスホールで演奏していると、そこへ収容所の音楽教師ケイティがやってくる。楽譜 無しではピアノが弾けなかった彼女が次第にJAZZに目覚め、ライルと練習するようになる。ちょっといい感じ・・・けれどケイティの父親はあの看守ビ リー。そして彼女の兄はマーシャル諸島で戦死してしまう。許されぬ恋。

そうこうしているうちに、ライルの兄が日系人部隊に志願し、ヨーロッパ戦線へ向かう。千人針を息子に差し出す母親。ジュディ・オングの好演が光る。 このキャスティングは見事だ。千人針という日本的な風習と米国内の強制収容所から出征する二世兵士というミスマッチも印象的。この兄は後に帰ってくるのだ が、右足を失っていた。勲章を授与され、階級は中尉となっていたものの、地元の白人の床屋に散髪を拒絶されてしまう。ハワイ出身のダニエル・イノウエ上院 議員が経験した実話が反映されている。

物語はトパーズ収容所チームと地元のチームの野球の対戦で締めくくられる。トパーズ・チームが勝てば、兄は床屋に散髪してもらうという事になってい る。トパーズの応援席にこだまする喚声、"GO FOR BROKE!" "GO FOR BROKE!" 同点でむかえた9回裏2アウト3塁、3塁走者ライルはベースに向かって走り出す・・・ホームスチール失敗と思いきや・・。なお、この映画はデズモンド・ナ カノ監督の兄(442部隊に参加)に捧げられており、エンドロールには、「ノリユキ・パット・モリタを追悼して」という言葉が添えられている。

気の付くままに感想を書いてみる。真珠湾攻撃のニュース映像にフランクリン・ローズヴェルトのパールハーバー演説が重なるシーンはいささか紋切り型 で、従来の「パールハーバー神話」(『アメリカは忘れない-記憶のなかのパールハーバー』エミリー・S・ローゼンバーグ著[法政大学出版局])から抜け出 ていないが、戦前の日本町と日系人の暮らしぶり、実際に収容所内で家庭用8ミリカメラにより撮影された映像などの挿入により、フィクションの部分がより濃 密になった。フィクションとノンフィクションとの緊張関係を維持している映画は多くない。また、水たまりのようなスケート場でひとり滑る少女の実写映像な ど、物語には関係ないが、映画を見る者を収容所でのなにげない日常に導くカットも効果的だ。

ナカノ監督も述べているように、この映画はふたつの家族のナラティブでもある。収容所の日系人家族に、軍隊に志願することで米国人であることを証明 しようとする兄と、アメリカ市民を収容所に閉じこめるアメリカ合衆国に根本的に疑問を持つ弟がいるように、米国人家族には、メジャーリーガーへの果たせぬ 夢を長男に託す父親と、日系人に惹かれ、奨学金でカレッジに進み、閉鎖的な田舎町から出ようとする娘がいる。長男は南方戦線の対日戦で戦死する。戦争に子 供を取られた親の心情に胸が痛む。テキサス大隊を救出した442部隊に敬意を表するようになる看守もいる。そして、収容された日系アメリカ人たちは、ジャ ズ、Boy Meets Girl、米国人の「国民的娯楽」である野球、そしてフェア・プレー精神により、米国人としての誇りと自信を取り戻すのである

評者が気になったのは前述のセス・サカイが演じた役で、このキャラには故ノリユキ・パット・モリタが重なるが、サカイ演じる老人が「なにを隠そう空 手や柔道の達人」ではなく、密造酒を作り若者に博打を勧める怪しい老人(とはいえ実は真面目な賢人)に設定してあってホッとした。「カラテ・キッド」の Mr.ミヤギもまたステレオタイプなのである。

しかし、収容所で起きたことはこれだけではないだろう。細部にまで配慮が行き届いた作品であるが故に、「ないものねだり」をしたくなる。例えば、映 画の前半でPro-Japanあるいは徴兵拒否者と思われる集団が登場するのだが、すぐ後のシーンで、彼らはトラックで別の収容所に移送されてしまい、彼 らの「その後の物語」には一切触れられない。その反面、442部隊の訓練を報じた当時のニュース映像が何度も挿入され、前述のように、クライマックスでは Go for Brokeの大合唱がわき起こる。

評者にこれらを否定できるわけはなく、批判するつもりもないが、ナカノ監督にもし機会があれば、次の作品では、是非とも、別の収容所に送られた人々 のナラティブを撮ってほしい。映画の最後で、日系アメリカ人に加えられた理不尽な仕打ちと442部隊の武勲が文字で説明される。この編集の仕方に、まだま だ知る人の少ない米国現代史の暗部を照らそうとするナカノ監督の強い意志を感じる。しかし、誤解を恐れずに書かせてもらえば、このままでは「JACLの書 いた正統日系アメリカ人史」に寄り添いすぎるのではないか。

様々な立場や見方を並列させようとしたナカノ監督の意図はかなりの部分で成功しているし、日系人強制収容所と日系アメリカ人を描いた映画の中でも上 位に位置する作品であることは間違いない。しかしながら、これほどクオリティの高い作品を制作する力量を持つ監督だからこそ、これ以上のものを求めたくな る。

”American Pastime”は、勿論、「ベースボール(野球)」の代名詞である。ベースボールは単なるスポーツではないということだ。しかし、「アメリカン・パスタ イム」は、同時に「戦争」を暗喩しているようにも思える。米国はひっきりなしに世界のどこかで戦争をしている。あたかもそれがアメリカ合衆国の Pastimeであるかのように・・・

© 2007 Minoru Kanda