二つの国の視点から

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。

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アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その1

日系2世のアケミ・キクムラ=ヤノは、昨年(2008年)2月、ロサンゼルスのリトル・トウキョウにある Japanese American National Museum(全米日系人博物館)のCEO(最高経営責任者)に就任した。全米日系人博物館は、日系アメリカ人の体験を伝えるアメリカで初めての博物館で、1992年に開館し、1999 年には新館がオープンした。日系アメリカ人に関する資料の収集、展示会やイベントの開催、書籍やDVDの作成と販売、ウェブサイトの運営などを行い ...

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ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その2

その1>>

次は、「線を引く」だが、その前にこの詩集の表紙について説明しておきたい。表紙に、ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所が描かれている。ハートマウンテンは中央が瘤のように膨れ上がっている山なので、一目見るとすぐにわかる。

イナダが収容されていたのはアーカンソー州のローワー収容所とコロラド州のアマチ収容所なので、この表紙には本人の体験とは違う特別な意味が込められている。

ワイオミング州にあったハートマウンテン収容所は、徴兵を拒否した男たちがいたことで知られる。1944年の春、徴兵を拒否した63人が、ワイオミングの連邦裁判所で有罪判決を受け、懲役3年の刑を言い渡された。彼らは上訴したが、上級裁判所でも最高裁判所でも敗訴した。2年服役した後、トルーマン大統領が恩赦を言い渡した。

服役した1人に、ヨシ・クロミヤという男がおり、イナダは彼のために一篇の詩を書いた ...

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ローソン・フサオ・イナダ~収容所、ジャズ、マイノリティを詠ずる懐深き詩人-その1

1970年。日本で万博が開かれた年だが、この年を基準にアメリカのアジア系・日系文学をとらえてみたい。

この年、中国系アメリカ人作家のジェフリー・ポール・チャンが日系人作家、ジョン・オカダの『No-No Boy(ノー・ノー・ボーイ)』という本をサンフランシスコの日本町の本屋で見つけた。ノー・ノー・ボーイとは、戦時中、アメリカに対して忠誠を誓わなかった日本人及び日系人のことである。日系社会はアメリカへの同化意識が強かったため、1957年に出版されてから、この本はずっと日系社会から無視されてきた。13年経ったこの年 ...

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ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その2

>>その1

第2次大戦とアメリカ国内の人種差別

歴史を正そうというタカキの視点は、アメリカ国内のことだけでなく、第2次世界大戦にも強く表れている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』と『ダブル・ヴィクトリー』がそれに当たる。

原爆を投下することで、戦争を早期に終結させ、本土決戦になった場合に予想されるアメリカ兵の死者数50万人の命を救った、とアメリカ人が一般的に信じていることがいかに間違っているかを、タカキは歴史上の事実から解明していく。

では、なぜトルーマンは原爆を投下したのか? タカキはその理由として、戦後の対ソ連・対スターリン戦略、男らしさの演出、人種差別意識、の3つを挙げている。『アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか』が出版されたのは戦後50年という節目だったこともあり ...

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ロナルド・タカキ~「自分」を他の文化、民族の視点から問い続ける - その1

今年の5月末、日系3世のロナルド・タカキ教授が自殺したというニュースを目にした。エッとわが目を疑った。

今から10年前の1999年4月29日、タカキがつとめていたカリフォルニア大学バークレー校で、twLF(third world Liberation Front:第三世界解放前線)の学生らが構内でハンガーストライキを行い、5日後に6人が逮捕された。同校では、1990年代に入って、民族研究学部の予算と教員が削減され、授業数も以前に比べて少なくなった。それが事件の発端である。

学生の逮捕を受けて、タカキはキャンパスに立ち、学長にこう言い放った。
     「学生を逮捕するのなら、私も逮捕すべきだ」
さらに続けた ...

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