Takamichi "Taka" Go

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  

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よみがえった藤井整―『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会にて

3年越しの夢がついに叶う 加州外人土地法(排日土地法)を葬り、日系人の人権を確立させたことで知られる藤井整の生涯を描いた短編映画『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会が、今年9月14日、南加のパサデナ市にあるリミール・シアターにて行われました。この映画製作にあたり、暖かいご支援をくださった皆様、大変ありがとうございます。 エグゼクティブ・プロデューサーを務める藤田文子さん、生まれて初めてメガホンをとった陳監督、そして俳優のクリス・タシマさんや尾崎英二郎さんにとって、この日は特別な1日となりました。3年に及ぶ映画製作の苦労がようやく報われたからです。 試写会が始まる前、藤田さんは、どれくらいの人々が試写会に訪れてくれるかとても心配していたようですが、その心配も裏腹、およそ860名もの人々が会場に足を運んでくれました。 [inline:Photo Fujita2.jpg] 試写会のあとの奇跡 30分の上映が終わると、藤田さんは、陳さん、タシマさん、尾崎さんらとともに,観客からの質疑応答を受けました。観客からは、藤井整自身に関する質問が多く、中には、藤井整の子孫は今もアメリカ、あるいは日本に住んでいるのかという質問もあったそうです。この質問を受けた藤田さんは、実際に藤井氏の子孫については良く知らなかったので、近い将来、彼の故郷である山口県岩国市を訪れて、藤井整につながる人…

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Nikkei Chronicles #1—ITADAKIMASU! A Taste of Nikkei Culture

わたしが「バイカルチュラル」にいたるまで:日系食文化をとおして学んだ「バイカルチュラル」の意味

「バイカルチュラル」な人間性は、どのようにして形成されるのでしょうか。日本社会では異文化理解の重要性が強調されると同時に、「バイカルチュラル」にたいする関心が高まりつつあります。 「バイカルチュラル」であるためには、文化や民族といった「つながり」と真剣に向きあい、それらをアイデンティティとして受けいれる能力が必要とされます。日本社会では、単一民族、単一文化という考え方が良くも悪くも社会に定着したことから、「バイカルチュラル」そのものに対するる理解が深まっているとはいえません。 今回は、日系食文化をとおして、わたしが「バイカルチュラル」な人間性を身につけた経緯を、皆様と分かちあいたいと思います。 ① スパイシー・ツナ・ロールとの遭遇 2002年の夏、わたしがアメリカの地に足を踏みいれて間もない頃、小東京で「SUSHI」を食べたことがありました。レストランに入るとすぐに、非常に興味深いものを見つけたので、それを注文しました。それは・・・ スパイシー・ツナ・ロール スパイシー・ツナ・ロールという面白い名前。そして、パンチのきいた辛味の心地良さは、日本では見ることも味わうことの出来ないものです。わたしにとって、それは非常に異質なもので、得体の知れない食べ物でした。日本の「寿司」のようで、「寿司」ではない、とても不思議な存在でした。 小東京で味わったスパイシー・ツナ・ロール。アメリカに来た…

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ヴィジター・ノートからうかがい知るマンザナー

マンザナーでのインターンシップが終わってから7年、日本に生活の拠点を移した今でもわたしは定期的にマンザナーを訪れるようにしています。最後にわたしがマンザナーへ戻ったのは2年前のことですが、そのさいにマンザナー資料館にある「ヴィジター・ノート」に目を通す機会を得ました。 ヴィジター・ノートとは、来館者が自由にコメントを残すことができるノートのことで、日本の博物館ではあまり見かけませんが、アメリカの博物館では良く見かけます。来館者のコメントに目を通すことで、彼らが何を目的にやってきたか、何を学んだか、何を感じたかなどを知ることができるのです。 マンザナーのヴィジター・ノートを見ると、そのコメントの多くは,英語で書かれたものでしたが、日本語で残されたものもいくつかありました。実際に書かれたコメントを紹介しながら、日本人にとってマンザナーがどのような場であるのか、どのような役割を果たすことができるのか、考えていきたいと思います。 平和の尊さを学ぶ ヴィジター・ノートに残された日本語のコメントで一番多かったものは、平和に関するものでした。 いつまでも平和でありますように 世界平和を祈っています 日本もアメリカも平和でありますように 今後、このようなことが二度と起こらないことを望む 世界の平和をあらためて考えさせられました 平和が一番 これらの感想を見ると、戦争がもたらした悲劇は、どのよ…

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実現しなかった五輪出場―「スリー・イヤー・スイム・クラブ」と「コーチ」ソウイチ・サカモトの生涯に触れる

イースト・ウエスト・プレイヤーズ(East West Players)は羅府の小東京交番のすぐ近く、相磯街(Judge John Aiso Street)の120番地にある劇場です。これは、1976年まで羅府合同教会(Los Angeles Union Church)の礼拝堂として使われていた建物を改築したもので、これまでに多くのアジア系アメリカ人の歴史を題材とした作品が演じられてきました。 わたしがこの建物のことについて知ったきっかけは、いつもお世話になっている永松先生のお母さんが、合同教会で結婚式を挙げたことをわたしに語ってくださったことでした。その時以来、わたしはここを訪れたい考えていましたが、スケジュールの都合などで小東京に来ることはあっても、この劇場に足を運ぶことはありませんでした。 しかしながら、機会というものは突然やってくるものです。ラッキーなことにわたしは先日、友人の藤田文子さんの誘いで、この歴史的劇場にて演劇を観る機会を得たのです。この劇場を訪れること、さらには、20年ぶりに演劇を鑑賞すること、わたしはまるで宝くじに当たったような気分でした。 * * * [inline:threeyearswimclub_sm.jpg] 今回、藤田さんとわたしが観たのは「スリー・イヤー・スイム・クラブ(Three Year Swim Club)」と題されたもので、ハワ…

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JACLの日本支部―「絆」をつくることが最大の課題

皆様は、JACLと言う日系アメリカ人の団体をご存知でしょうか?JACLは、1929年、アメリカ西海岸地域に住む二世の若者らによって、日系人の人権を「護る」ことを目的に設立された団体です。戦時中は、日系社会にたいしてアメリカ政府への全面的な協力をよびかけたため、日系社会に「亀裂」をつくったことは、今でもJACLの「汚点」とされていますが、1970年代から1980年代にかけて展開されたリドレス活動(戦時中の強制収容などにたいする賠償要求運動)では、JACLによって活動が成功したといっても過言ではないでしょう。現在、JACLは全米各地に支部をもっており、今でも日系人をはじめとするマイノリティの権利向上の為の活動を続けています。 そして、このアメリカの日系社会にとって歴史的にも重要な団体であるJACLは、日本に支部を持っているのです。JACL日本支部(以下日本支部)は、アメリカのJACLと異なり、人権擁護というより、日本人と日系人をつなぐ「絆」的な役割を担っていることが大きな特徴です。今回は、その日本支部の活動について紹介してみたいと思います。 JACLの日本支部のあゆみ JACLの日本支部の活動が活発になったのは、1980年代の以降のことでした。その背景として、バブル景気とよばれた空前の好況や、1990年の入管法改正によって日系人が日本に定住しやすくなったことがあげられます。 設立当初…

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