Takamichi "Taka" Go

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  

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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その2/3

その1 >>鉄血勤皇隊―沖縄諸島における戦争体験 沖縄に到着した翌日、わたしは沖縄タイムスの本社にて、沖縄タイムスの安里記者、当時少年兵だった安里祥徳さんと彼の親戚安里洋太郎さんから詳しいお話をうかがう機会を得たほか、彼と一緒にエンジェル島に送られた人々の連絡先をいただくことができました。 鉄血勤皇隊とは、さきの戦争時に、沖縄県内の旧制中学校や師範学校などに通っていた14~17歳の男子学生を中心に作られた組織です。未成年者を徴兵することはできなかったのですが、悪化した戦況などを理由に、いわゆる超法規的措置として特別に組織されたものでした。当時、およそ1,700人の沖縄の若者たちが鉄血勤皇隊として徴兵され、半数以上が悲劇の最期を遂げました。そのなかには、1990年代に沖縄県知事をつとめた社会学者の大田昌秀さんもいました。 戦時中は那覇一中(現在の沖縄県立首里高校)の学生だった安里祥徳さんは、親類の安里洋太郎さんとともに鉄血勤皇隊の一員で、通信隊に配属されました。 アメリカ軍の攻撃はすさまじく、沖縄戦がはじまると、沖縄本島北部があっという間にアメリカ軍に制圧されました。さらには、日本軍の救援に向かった戦艦大和がアメリカ軍によって撃沈されるなど、戦況は日本にとって非常に不利なものとなっていました。 アメリカ軍の使用していた武器は日本軍のそれとは大きく違い、非常に攻撃力の高い…

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あのときの少年たちはいずこへ ― 沖縄県系日系二世ピーター・オオタさんと沖縄の少年兵たち - その1/3

オオタさん“だけ”の戦争体験オレンジ郡はタスティン(Tustin)市内に住むピーター・オオタ(Peter Ota)さんは、沖縄出身(現在の沖縄県うるま市)の日系一世を父に持つ、沖縄県系の日系二世です。彼は羅府で生まれ育ち、日米戦争が始まると彼は家族と共にコロラド州の収容施設に送られました。その後、ほかの二世の若者と同じく、彼は収容施設からアメリカ軍に入隊しました。陸軍の基礎訓練を経て、彼は情報部隊の一員となるべく、日本語の習得に励む毎日を過ごしました。 ところが、日本語を習得した彼に与えられた運命は、誰もが予想しないものでした。それは、世界各地の戦地における日本軍の諜報活動でもなく、敗戦後の日本への進駐軍の一員でもなかったのです。彼に与えられたものは、サンフランシスコ湾に浮かぶ小さな島エンジェル島での任務でした。そこは、かつて太平洋を横断したアメリカへの移住者が新天地にたどり着いたとき、最初に足を踏みいれる地でもあり、東海岸のエリス島とともに移民の審査が行われる地として、アメリカの歴史にその名を残しています。 この小さな島での任務を命じられた日系二世は、オオタさんを含め5人いました。第2次世界大戦当時、エンジェル島には敵国の戦争捕虜が一時的に収容されていました。オオタさんたちは、主に南洋の諸地域(ガダルカナルやラバウルなど)でアメリカ軍の捕虜となった日本の…

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スピット・アンド・ポリッシュ―先人たちの歴史と向きあう

JAリビングレガシーでは昨年11月3日、「スピット・アンド・ポリッシュ」とよばれるイベントをおこないました。 「スピット・アンド・ポリッシュ」とは徹底的に磨き、徹底的に綺麗にすることを意味する言葉です。JAリビングレガシーは毎年、日米文化会館(JACCC)に隣接する戦死者の名前が刻まれた記念碑を綺麗にするイベントをおこなっています。そのイベントが「スピット・アンド・ポリッシュ」です。 このイベントの当日、JAリビングレガシーの執行部役員と参加者たちが朝の10時から正午にかけて、記念碑に刻みこまれている戦死者の名前をひとつひとつ綺麗に磨き上げました。そして、徹底的な清掃作業を終えた参加者たちは、JAリビングレガシーが用意した昼食に舌鼓をうち、おたがいの親睦を深めました。 「スピット・アンド・ポリッシュ」は、公共物を綺麗にする行事なので、いわゆる社会奉仕活動の一環であると思われがちです。しかし、自らの命を犠牲にした多くの若い人々の存在を理解することによって、先人への感謝の気持ちをあらわすと同時に、日系社会の一員であることを自覚して、日系社会の将来に貢献することと、その歴史を語りつぐことの大切さを理解してもらうことに、このイベントの意義があります。 この行事にには、戦死者につながりを持つ人々も参加しています。このイベントを通じて参加者たちは日系社会のために、そしてアメリカと…

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オレンジ郡の日系社会の歴史を将来へ―ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん

ウラシマさんとの「出会い」先日、わたしはオレンジ郡で活躍されているフリー・ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん(Mary Adams Urashima)に会いました。 彼女は現在、「ウインターズバーグ地区のブログ(英語名は“Historic Wintersburg”)」を通して、オレンジ郡南部の日系社会の歴史を将来に残す為の活動をされており、ブログを通してこの地域に活きる日系人についてのストーリーを紹介しています。 オレンジ郡の南部には、加州大学などの著名な教育機関のみならず、日系の小売店や日本企業の事業所等があるため、在米日本人にとっては最も親しみのある地域のひとつです。また、ディスニーランド、エンジェルス・スタジアム、ホンダ・プラザ(プロホッケーチームのダックスの本拠地)、サウス・コースト・プラザ等もあり、多くの日本人観光客が訪れます。数年前に書いた記事でも述べましたが、このオレンジ郡にはあまり知られていない1世紀以上にも続く長い日系社会の歴史があるのです。 ウラシマさんは、この知られざるオレンジ郡の日系人の歴史を知ってもらうと、自らのブログをとおして、この地域の日系社会にまつわるさまざまなエピソードを紹介しています。また、ウインターズバーグ長老教会の旧礼拝堂をはじめとした、オレンジ郡の日系社会にゆかりのある建造物等をオレンジ郡の…

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リトル・トーキョー・レポーター 異色のコラボがもたらした映画作品

編注:ディスカバーニッケイは、個人や団体などの様々な意見を紹介しています。ここで紹介するエッセイは、作者の意見を反映したもので、ディスカバーニッケイまたは全米日系人博物館の意見を反映したものではありません。ディスカバーニッケイでは、コミュニティにある様々な見解を紹介するために、このようなエッセイも紹介しています。 今年9月におこなわれた『リトル・トーキョー・レポーター』の試写会が成功したことは、わたしにとっても、大変うれしいことでした。この作品が幅広い人々から支持を得ることができた理由は、自分たちの人権を確立するために、不正義に立ちむかうことの大切さを伝えているからです。その大切さは、現在の日系社会にも受けつがれています。この映画を観てくださった人々のなかには、藤井整が生涯をかけて繰りひろげてきた、日系人の人権を確立させるための闘いの姿に、自らの体験を重ねあわせた人々がいたことと思います。 『リトル・トーキョー・レポーター』の魅力は、藤井整の人生にスポットライトをあてたことのみならず、この作品の制作にかかわった人たちにもあります。 監督は20代の中国系アメリカ人の好青年、エグゼクティブ・プロデューサーは70代の日系三世の女性、そしてふたりを全面的に支えた百戦錬磨の日系三世のハリウッド俳優。まさに、異色のコラボレーションによって生まれた作品なのです。今回は、この映画をつく…

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