限りなく遠かった出会い
義父

薬漬 医学の進歩に 泣ける老い
妻逝きて 知る木枯らしの 冷たさを
この俳句は義父、上村正治が晩年の孤独の中で詠んだ句である。義父は長年趣味として和歌を綴り、それをサンパウロ、ニッケイ両新聞の歌壇、柳壇などに投稿していた。それを読むたびに私は、義父の心とその雰囲気が写生されたかの様で心を打たれたものである。
義父は、和歌山県出身で上村家の男3人女4人の次男坊である。10歳の時1928年、家族とともにサントス丸で移民として来伯した。兄弟中で一番の働き者であったようである。サンパウロ州奥地のべラクル―スの耕地に入り、苦労の果て独立してドラセーナ市で店を経営するようになった。
妻静子との間に2男4女をもうけ、6人の子どもたちへ最高教育を与えた(医科大3人 ...