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Tatsuya Sudo


Lecturer at Kanda University of International Studies. Born in Aichi Prefecture in 1959. Graduated from the Faculty of Foreign Studies at Sophia University in 1981. Graduated from Temple University Graduate School in 1994. Worked at the International Cooperation Service Center from 1981 to 1984. Lived in the United States from 1984 to 1985, and developed an interest in Japanese-American films and theater. Has been involved in English education since 1985, and currently lectures at Kanda University of International Studies. Since 1999, has presided over the Asian American Studies Group, holding study meetings several times a year in Tokyo. His hobbies are rakugo and ukulele.

(Updated October 2009)


Stories from This Author

From the perspective of two countries
ダニエル・オキモト~日本を代弁する国際政治経済学者 -その2

May 31, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その1日本にかわって、その立場を世界へ説明1974年、オキモトは、博士論文を書くために再び来日して、東大社会科学研究所に研究員として約2年間在籍した。75年4月の「トーク・ショー」は、その時に行われた対談である。対談は彼の専門である日本の政治がテーマで、高校生の私には英語も内容も高度で、番組を見た後、文字に書き起こされたNHK のテキストを辞書を引きながら読んで、何とかフォローするのがやっとだった。 オキモトは、日本の政界にみられる閨閥、つまり血縁関係について具体的な数…

From the perspective of two countries
ダニエル・オキモト~日本を代弁する国際政治経済学者 -その1

May 24, 2010 • Tatsuya Sudo

「アメリカに、地すべり的勝利という表現があるが、これは地すべりどころか、大地震といっていい」 国際政治経済学者で、日系人きっての知日派であるダニエル・オキモトは、今年(2009年)8月の衆院選での民主党の圧倒的勝利を、こう表現した。 この記事を読んで、オキモトはまだまだ健在、と私はうれしくなった。私がオキモトのことを知ったのは、1975年に「トーク・ショー」というNHKの英語教育番組を見たことがきっかけだった。 34年前に見せた、強制移住への問題意識 「トーク・ショー」は…

From the perspective of two countries
ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その5

April 30, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その4多文化、多人種の劇作家としてヒューストンは子どもの頃から文章を書く才があり、高校生の時に書いた詩がカンザス州の賞を獲得している。カンザス州立大学でジャーナリズムの学位を得た後ロサンゼルスに移り、1981年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で戯曲「Asa ga Kimashita」を書いて修士号を取得。その後、南カリフォルニア大学の映画学科で博士号を取り、現在は同大学の演劇学部で演劇論を講じている。また、1990年には学内で脚本部門の大学院を立ち上げ、創作の指導をし…

From the perspective of two countries
ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その4

April 23, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その3戦争が世界にもたらすものを見つめる日本人とアメリカ軍人との間に生まれたヒューストンにとって、戦争は、人種と同様、大きなテーマである。2007年に、戦争をテーマにした「ヒロシマよ、アフロディテよ―女と影―」が、ロサンゼルスで初演され、昨年(2008年)の8月には日本でも、練馬区にある「ブレヒトの芝居小屋」でリーディングの形での翻訳版が上演された。 1955年5月、被爆した25人の女性たちが、ケロイド治療のために渡米し、1年半の間に計138回の形成手術が施された。「…

From the perspective of two countries
ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その3

April 16, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その2歴史書から消された戦争花嫁を戯曲に1985年に初演されたこの作品は、『Unbroken Thread』(1993)という戯曲集に台本が収められており、この本の表紙に「ティー」のアメリカでの公演時の写真が使われている。 写真に映っている5人は、カンザス州のジャンクション市に住む5人の戦争花嫁、ヒミコ、アツコ、セツコ、チズエ、テルコ。出身地も夫の人種も違う5人は、ヒューストンの母を含めて、彼女がジャンクション市で知り合った複数の戦争花嫁がモデルになっている。 主人公…

From the perspective of two countries
ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その2

April 9, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その1アメリカ人とアジア人の親をもつ子どもとして 戦争花嫁の子どもであるベリナ自身も、様々な差別に遭遇している。沖縄出身の日系移民から「あなたのお母さんは売春婦だった」と言われたこと、学校での優秀な成績を学校側が認めたがらないことなど。アメリカは彼女を日本の子と見なし、日本はアメリカの子と見なす。でも、彼女は、そうした両方の存在であるがゆえに、アメリカの持つ独立心の感覚と日本人が持つ集団やコミュニティの感覚の両方をうまく融合することを学び、新しい考え方を創造している、と…

From the perspective of two countries
ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その1

April 2, 2010 • Tatsuya Sudo

以前に取り上げたフィリップ・ゴタンダと並んで、ベリナ・ハス・ヒューストンは、日系アメリカ人を代表する劇作家である。出版された作品数は、ゴタンダが8、ヒューストンが6、電子書籍を含めるとゴタンダが15で、ヒューストンが11である。この数字は、日系だけでなく、アジア系、という枠組で見ても、かなり多い。 2人の出自はずいぶん異なる。ゴタンダは両親とも日系人の日系3世だが、ヒューストンは父親がアフリカ・ネイティブアメリカン系、母親が日本人の戦争花嫁なので、3つの血が混ざった2…

From the perspective of two countries
アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その4

March 26, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その3「もし日本にいたら・・・」1世女性たちの人生キクムラは、母以外の1世女性からも聞き書きを行っている。それをまとめたのが『Mukashi Banashi: stories of the past from Issei Women in Fowler, California(昔話-カリフォルニア州、ファウラーの1世女性たちの物語)』で、『Promises Kept』でも、最終章にこのときの話が引用されている。 1981年の夏、彼女はカリフォルニア州フレズノのファウラー…

From the perspective of two countries
アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その3

March 19, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その2父の教えを受け継いでキクムラが自分史を完結させるためには、父、三郎のことも書く必要があった。三郎は1953年、アケミが9歳のときに不慮の事故で亡くなっていたため、母のときのように本人からの聞き書きができず、彼の周囲にいた人たち、すなわち、母、兄妹、日本の親類などから話を聞く必要があった。そのため、三郎のことをまとめた『Promises Kept(守られた約束)』を完成させるのに、一作目の『Through Harsh Winters』から10年を要した。守られた約束…

From the perspective of two countries
アケミ・キクムラ=ヤノ ~ ミクロとマクロの視点で日系人史を再構築する人類学者-その2

March 12, 2010 • Tatsuya Sudo

>>その1戯曲「賭博場」で扱った衝撃のテーマ 私がキクムラを知ったのは、1985年2月8日、当時、ロサンゼルスのサンタモニカ通りにあった EWP(現在はリトル・トウキョウにある)でのことだった。この頃、ロサンゼルスに住んでいた私はEWPの作品は欠かさず観にいっていた。この日、彼女が書いた戯曲、「The Gambling Den (賭博場)」という作品が上演された。アメリカ日系人社会における被差別部落の問題を取り扱った芝居で、私は椅子からすべり落ちるほど強い衝撃に襲われた。ア…

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