その2 >>激動の10年に重ねた青春期I Hotelとは、かつてサンフランシスコのマニラタウンにあったInternational Hotel(国際ホテル)のことで、主にフィリピン系の低所得者層が暮らすアパートだった。
1920年代によりよい生活を求めてアメリカにやってきたフィリピン人にとって、低料金で利用できるI Hotelは不可欠な存在だった。1950年代には、このホテルを中心として約1万人のフィリピン人が暮していた。
1968年の12月、ホテルのオーナーであるミルトン・マイヤー社は、ビルを駐車場にするので立ち退くよう、住人に通達した。この頃には、マニラタウンは、I Hotelがある一角だけになっていた。高齢者のために安い宿泊施設を提供してきたこのホテルを守ろうと、労働団体、教会、活動家などが抗議運動を起こした。その結果、ミルトン・マイヤー社が統一フィリピン協会(UFA)にホテルをリースすることになったが、その契約の前日にホテルで不審火が発生し3人の犠牲者が出た。契約は中断された。放火の疑いが強かったが、マイヤー社もサンフランシスコ市も事故扱いとし、市は同社に建物の取り壊しを命じた。その後の運動でホテルが期限付きでUFAにリースされたが、1977年8月4日の未明、武装した警官300名が、ホテルを囲む数千人のバリケードを突破して、最後の50人の住人が強制退去さ…