Sataye Shinoda

東京家政大学人文学部教授。日本女子大学大学院修了。専門は、日系人の歴史・文学。おもな業績:共編著『日系アメリカ文学雑誌集成』、共著『南北アメリカの日系文化』(人文書院、2007)、共訳『日系人とグローバリゼーション』(人文書院、2006)、共訳『ユリ・コチヤマ回顧録』(彩流社、2010)ほか。

(2011年 2月更新)

culture ja

日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その3/8

その2>>

2.『ポストン文藝』の創刊と目的

ポストンで最初に文学活動を開始したのは「ポストン歌会」で、1942年9月に第1回歌会が開かれたという記録がある。開所当時は印刷物の配布が禁止されていたため、歌会を開いても、そこで詠まれた短歌を印刷して配ることさえ許されなかった。

そこで川柳愛好者の矢形渓山と石川凡才(庄蔵)は川柳を書いた大きい紙を週に1、2回メスホール(食堂)入り口に貼り出した。36ヵ所の食堂に貼って歩くのに2日かかったというから、川柳にかける2人の熱意は大変なものだったといえる。2人は人びとが貼り紙の前に足をとめて作品を読んでほほえんだり、批評したりする姿と遠くから眺めて満足したという。これは文学好きの2人が炎熱の収容所に見出したささやかな楽しみであった。

『ポストン文藝』は第1館府で、前に述べた ...

Read more

culture ja

日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その2/8

その1>>

しかし収容者は協力してこの不毛の地を次第に人の住まいらしく変えていった。

まず人びとがしたことは、砂塵を防ぐための植樹であった。砂漠に生えているコットンウッドや柳の一種は厳しい環境に耐える強い生命力をもっていたので、挿し木で簡単に苗を作ることができた。収容者には農家も多かったので、このような作業は得意であった。木ばかりでなく、家の周囲には、デヴィル・グラスという芝草の一種も植えて芝生の代用にした。デヴィル・グラスは根が深く、畑にはびこると除去が難しい嫌われものの雑草であったが、このときばかりは砂嵐を防ぐ貴重な植物となった。さらにいくつかの公園、屋根つきの避暑施設などが造られた。

造園業にたずさわっていた人も多く、公園はその技術の粋を凝らして造られたようで、所内の新聞『ポストン・クロニクル』の日本語版『ポストン新報 ...

Read more

culture ja

日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

望郷の総合雑誌 - 『ポストン文藝』 その1/8

ポストン収容所(以下ポストンとする)では二つの文芸雑誌、『ポストン文藝』および『もはべ』が発行された。前者はポストン文芸協会により1943年2月、後者はポストン・ペンクラブによって3月に相次いで創刊された。とくに「ポストン文藝」は全ての収容所の雑誌の中でもっとも早く発行され、収容所が閉鎖になる2ヶ月前まで続いた。3年近く継続して発行された収容所雑誌は『ポストン文藝』のみである。

『若人』『怒濤』のような青年団機関誌、『鉄柵』のような文学誌とは異なり、『ポストン文藝』は一般的な娯楽雑誌の要素をもつ。さらに前述の3誌と異なる点は ...

Read more

culture ja

日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その6/6

>>その5

4.『鉄柵』の特色と果たした役割

『鉄柵』の特色は、第一に一世の指導の下に創られた帰米二世の文学同人誌であること。加川文一、泊良彦など戦前から詩人や歌人として評価を得ている一世が指導的立場にいて、主力は帰米二世の若者たちであった。彼らはきわめて身軽な独身者で、ある意味では収容所を読書と思索、創作の場とすることができた。この時期は日系社会の主導権が一世から二世へと移行した時代であるが、この世代交代は文学の世界でも同様で、一世の指導のもとに帰米二世という新しい世代の台頭を促したのが『鉄柵』であった。

第二に水準を設けて掲載作品の選考を行ったこと。「お高くとまっている」などと悪口を言われながらも、水準に満たない作品の掲載を断ることで、文学作品の質を高めようとした。同人は各号が出るごとに合評会を開いてお互いの作品を批評しあった。したがって同人はつねに作品を向上させようと努力した ...

Read more

culture ja

日系アメリカ文学雑誌研究: 日本語雑誌を中心に

『鉄柵』 発展途上の帰米二世の文学 -その5/6

>>その4

井阿之雨という変ったペンネームで書いているのは、戦後長い間ロサンジェルスの日系新聞『羅府新報』の編集長を勤めた帰米二世の矢野喜代士である。矢野の戦前のペンネームは創刊号で使っている丸山定夫であったが、収容所ではアメリカ人がYANOを発音するときの「イアノウ」を漢字にあてはめて井阿之雨としたのだという。

「終身教室」(第3・4号)、「ジャーナリズムに現はれた精神分析」(第6号)、「常識と文化」(第8号)、「直観について」(第8号)、および丸山の名で短編小説「智識人の責任」(創刊号)がある。このなかで「智識人の責任」は無責任なうわさがうわさを呼び ...

Read more