第2回の「オシャレをしてもお洒落ではない?」で言葉の変化について触れた。継承されている日本語が本来の意味を失って変化していることを取り上げて、一世の生活を想像しながら考えた。海を渡ってきた彼らが日々懸命に働き、祖国に送金した残りの中から少しでも蓄えに回していたであろうことを。そこに「オシャレ」の意味の変容の理由がある、という仮説を立ててみた。
そうした気づきは、今のハワイの日系社会で日系人の友人たちに親しく付き合ってもらう中で得られたものである。家族同様のMさんとLさん夫妻、とくに奥さんのLさんは小学校の教師だった経験もあり、私が英語の表現に強く興味を持っていることをすぐに見抜いていたのだった。
今回はフィールドワーカーとしての自己開示も兼ねて、私自身の経験を紹介してみようと思う。
1996年に職を得て、私はハワイの小学校に毎年通うようになった。アメリカ本土で仕事があれば、どんなに短期間でも帰りにハワイに寄るようにしていた。そうすることを5年ほど繰り返し、2001年には1年近く住み込んで、Mさんの小学校を集中的に観察することになる。
今と較べるとその頃の英会話力は惨憺たるもので、よくあれほどたくさんの観察記録を残すことができたと不思議に思うほどである。中学校時代から英語は一番の得意教科で、英語にまつわるあらゆることを身につけていくのが楽しくて仕方なかった。「暗唱文」と…