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Asami Kojima


After working as a public elementary school teacher, he has been living in Brazil since 2011. As a reporter for the Nikkei Shimbun, he covers events and culture in the Japanese community, as well as people active in Brazilian society. Other serials include "Brazil: A Paradise for Fertility Treatment" and "Yuta: The Spiritual World of Immigrant Society."

(Updated January 2014)


Stories from This Author

"I want to protect Registro black tea" = 88-year-old Ume Shimada steps up = New brand "Obaa-chan" launched = Striving to develop sales channels

May 5, 2015 • Asami Kojima

Registro, São Paulo, once thrived as the "tea capital," but because the tea industry was dependent on exports, it lost its international competitiveness due to the high value of the real exchange rate over the past 20 years, and has been in steady decline. Shimada Ume Elisabeth (real name Umeko, 88, second generation) stepped up to protect the tea industry, which she has been involved in since she was five years old. Feeling heartbroken by the deteriorating tea fields, she …

太鼓指導員 蓑輪敏泰さんに聞く

March 5, 2014 • Asami Kojima

7年間で26万キロ=文化としての和太鼓伝え JICAシニアボランティアや、ブラジル太鼓協会の依頼により約7年間ブラジルで和太鼓指導にあたった蓑輪敏泰さん(65、宮崎県)が11月1日に任期を終え帰国する。コロニアの若い世代を盛り立て、ブラジル社会を巻きこみ普及していく和太鼓界を絶えず後押ししてきた。同協会で本紙のインタビューに答え、「皆さんお世話になりました。すばらしい思い出を持って日本に帰ります。また帰ってくることを願っています」と感謝をのべた。 これまで太鼓指導に訪…

ハイカラさん海を渡る = 移民画家 大竹富江の一世紀 ~ その4/4

Jan. 31, 2014 • Asami Kojima

その3を読む >> 日系人芸術家との親交=「100歳なんて気がしない」 仕事の上ではブラジル社会が主な舞台だった彼女も、私生活ではもちろん日系画家との親交も楽しんでいた。 70年代ごろに富江さんと親しく付き合っていた彫刻家の豊田豊さん(82、山形、帰化人)は、「当時の富江さんは、もう有名になっていた間部さんや福島さんを追いかけていた感じだった。普通は40歳になってから始めたら趣味で終わる場合が多い。それだけ意志の強い人」と振り返る。 毎週土曜日には芸術家のたまり場になっ…

ハイカラさん海を渡る = 移民画家 大竹富江の一世紀 ~ その3/4

Jan. 24, 2014 • Asami Kojima

その2を読む >> プロへの道をまっしぐら=とんとん拍子で出世街道へ重厚な作品集を繰りながら、「少しずつ細部を取り除き、骨組みだけを描き始めた。事物のエッセンスだけを描いているのが面白いところ」と作品の魅力を語るリカルドさんの言葉には、母への敬意がにじんでいる。 年を経るごとに絵の細部がこそげ落ちていき、わずか数年で抽象画に移行している。同時に、初期の作品に多い暗い色合いは影を潜め、明るい彩りが取って変わる。例えば彼女の多くの作品に表れる紅だ。まるで心の底に沈んでいた &…

ハイカラさん海を渡る = 移民画家 大竹富江の一世紀 ~ その2/4

Jan. 17, 2014 • Asami Kojima

その1を読む >> 「私は夢を追います」宣言=40歳遅まきのスタート次男のリカルドさんは好奇心の旺盛そうな目に、エネルギッシュな話しぶり。「セニョール」と呼ぶと、「今何ていった?ヴォセでいい」と訂正される。年を重ねても溌剌としている所は、富江さんと同じだ。 リカルドさんは「あえて西洋的教育を受けた」と感じているようだが、富江さんに「日本語を教えたい」との思いがないわけではなかった。「家庭教師まで準備をしたけど、戦争が始まって日本語使用が禁止されたから、日本語…

ハイカラさん海を渡る = 移民画家 大竹富江の一世紀 ~ その1/4

Jan. 10, 2014 • Asami Kojima

自由を求めた明治の女性 =「1年だけ」母との約束 2013年11月5日夜、聖市のイビラプエラ講堂は拍手と熱気に包まれた。今は亡きオスカー・ニーマイヤーと共に、連邦政府が贈る最高位の「文化勲章」を手にした大竹富江さん(99、京都、帰化人)は、その夜最大の拍手を浴びた。それは富江さんを、国民の一人として受け入れた伯国民の素直な賞賛の表れだった。翌日各伯字紙は「大竹富江は、ブラジル・ヴィジュアルアートを代表する最も著名な人物の一人」とこぞって報じた。 彼女ほどはば広くブラジル社…

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