テキサスに夢をみた100年前の日本人: 米作ブームを機に野菜栽培、そして油田も ~その3/4

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山本五十六も2度訪れる
当初は米作にしぼり成功したが、のちに野菜作りに転換した。この間、日本人をはじめメキシコ系、アフリカ系、ヨーロッパ系の労働者も雇った。吉松氏はコロニーのために強いリーダーシップを発揮し、一方で地域にはさまざまな面で貢献しアメリカ社会に積極的に溶け込んでいった。
1924年には土地を提供してキリスト教の教会を建て、その運営にも私財を投じた。また、1928年にはコロニーの近くの学校に土地を譲渡している。彼自身は仏教を信仰していたが、子供たちにはアメリカで生活していく以上キリスト教を受け入れ、英語を学ぶべきだと考えていた。
1919(大正8)年、吉松氏が所有していた土地から石油が出ることが分かった。彼は「オレンジ石油会社」を設立した。このことを知って当時アメリカに留学中の山本五十六が ...