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Ryusuke Kawai

@ryusukekawai

Journalist and non-fiction writer. Born in Kanagawa Prefecture. Graduated from the Faculty of Law at Keio University, he worked as a reporter for the Mainichi Shimbun before going independent. His books include "Yamato Colony: The Men Who Left Japan in Florida" (Shunpousha). He translated the monumental work of Japanese American literature, "No-No Boy" (Shunpousha). The English version of "Yamato Colony," won the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.

(Updated November 2021)


Stories from This Author

国力が弱まった今こそ情報発信力を高めよ:日系社会との連携が1つのポイント - その1

Jan. 3, 2013 • Ryusuke Kawai

あまり一般には知られていないが、毎年秋、海外日系人大会(主催:公益財団法人海外日系人協会)が都心で開かれている。各国の実情を報告し合い、国際交流、国際理解を深めることを目的に世界各地の日系人が集まる。 その大会に関連して海外における日本語新聞など日本語メディアの関係者が集まる海外日系新聞放送大会も毎年開かれている。 海外にあってその国に在住する日本人に向けて日本語で情報を発信するというユニークなこれらのメディアは、東京に本社を置く大メディアとは違った視点や目的から情報を…

戦時中の米国、中国系少年と日系少女の悲恋ベストセラー「あの日、パナマホテルで」から読み取るものは ― その2

Dec. 18, 2012 • Ryusuke Kawai

その1を読む>> 多様な登場人物と効果的なジャズ そんなとき、長い間閉鎖されていたパナマホテルの変化に出合う。オーナーが代わり長年保管され忘れられていた日系人の家族の荷物が発見されたのだ。そこにはケイコにつながる2人の思い出のものがあるかもしれなかった。 それは見つかった。過去が蘇り、いまの自分との距離を徐々に埋めていき、最後は過去をいまのなかに生かしていく。 物語は、「戦時中の日系人が置かれた状況」という重たい背景もあるが、一方で公私ともに第一線を離れ少し虚ろな中高年…

戦時中の米国、中国系少年と日系少女の悲恋ベストセラー「あの日、パナマホテルで」から読み取るものは ― その1

Dec. 11, 2012 • Ryusuke Kawai

日中関係が険悪になり、なんとか事態が改善の方向へ進まないかと最も気をもんでいるのは、中国在住の日本人と日本に在住の中国人ではないだろうか。なかでも、日本人と中国人のカップルはその思いを強くしているだろう。 世界中のほとんどの国の人間が国境を越えて移動し、異なった国や民族の人間同士が結婚し、新しい世代がつぎつぎに誕生している。日中間に限らず、国家間の紛争や民族対立が激化すると、こうした人たちは宿命的に辛い思いをする。 もちろんそれはいつの時代にもあることで、例えば9.11…

もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その2

Sept. 12, 2012 • Ryusuke Kawai

その1>>日本人からアメリカ人になっていく不思議さ ――明治時代から多くの日本人が移民として海外に出ましたが、同じ頃日本の地方から多くの人が東京などの都市に出ていきました。たまたま向かった先が国内か海外という違いが、後の世代にとっては非常に大きな違いになりますね。 モリグチ:  最初にひとつ違うのは、アメリカに来た人は、いつかお金を儲けて日本に帰ろうと思っていたのがほとんどでしょう。でも、目的地が東京だったら田舎に帰らないのでは。私の父親の富士松も当初は日本に帰…

もっと日系の意見を聞いてくれればいいのにシアトルの日系スーパー、宇和島屋・モリグチ会長 - その1

Sept. 5, 2012 • Ryusuke Kawai

アメリカで最も成功した日系資本のスーパー、Uwajimaya(宇和島屋、シアトル)の歴史については昨日紹介した。長年にわたってその経営をリードしてきたトミオ・モリグチ(森口富雄)会長は、ビジネスのみならず日系2世として、現地の邦人紙・北米報知(The North American Post)の発行や、日系人の高齢者福祉の観点から生まれたNPO、日系コンサーンズ(Nikkei Conscerns)の運営などアメリカの日系社会でのさまざまな文化、福祉活動にも積極的に関わってきた…

アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その2

Aug. 22, 2012 • Ryusuke Kawai

その1>>顧客は日系、アジア系、非アジア系というバランス一方、品揃えについては、日系人・日本人を対象にスタートしながら徐々に日本食の広まりをとらえて変化させていった柔軟さが業績を伸ばした。 宇和島屋の顧客は、その3分の1が日本人あるいは日系人、3分の1が日系以外のアジア系、残りの3分の1が白人ほか非アジア系と見ている。このバランスが功を奏しているようだ。 「これからはべルビューにあるような店を展開していきたい。ハイクオリティーのものを売っていくようにしたい」と、新店舗展…

アメリカで最も成功した日系スーパー日本食材を広めたシアトル・宇和島屋ファミリー その1

Aug. 15, 2012 • Ryusuke Kawai

ずらり並んだ日本酒の瓶。ここ数年の日本酒ブームでどこのスーパーの酒類売り場でもずいぶんと銘柄が増えたものだが、この店ではビンについた値札がすべてドル($)表示。といっても免税店ではない。 同じく、納豆、豆腐はもちろんのこと、どら焼きも大福などの和菓子もドル表示。そして、総菜コーナーには海苔巻きから太巻き、各種弁当も並ぶが、これらもみんな“ドル”だ。 一方、精肉コーナーに行くと大きな肉の塊が並び、氷の上にのった鮮魚は、並べ方も切り身もスケールが…

70年代、日系アメリカ人が遠いヒロシマへ捧げた歌

Feb. 16, 2011 • Ryusuke Kawai

9月、アジア系アメリカ人文学の研究者たちの集まりに出席したとき、珍しい音源を入手した。出席者の一人で、アジア系アメリカ人が1980年代に設立した音楽NPO「Asian Improv aRts/Records」(AIR)の日本通信員をつとめる神田稔さんからいただいたものだ。 ふだんあまり目にすることのない、文化の狭間にある音楽を追う彼が勧めるものだけに興味をそそられた。その音源は「YOKOHAMA, CALIFORNIA.」(ヨコハマ、カリフォルニア)。この名の日系アメリカ…

Japan in the World and the World
フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その3

Nov. 19, 2010 • Ryusuke Kawai

>>その2沖家と酒井家沖氏のおかげでいくつかの謎が解けたというか、コロニーがどういう歴史的な経緯で誕生したかが浮かび上がってきたが、さらに沖氏の姉である長屋光子さんからは、沖家やコロニーについてのエピソードを聞いた。長屋さんは、祖父である光三郎氏のことを覚えていて、「体が大きくて、厳しい人だった」と振り返る。また、祖母とは田舎(峰山町)の大きな門構えの家で小さいころ一緒に暮らしていたこともあったという。 この祖母というのが酒井襄氏の姉にあたるわけで、光三郎氏がアメリカで急…

Japan in the World and the World
フロリダと天橋立~ヤマトコロニー先導者と丹後ちりめん - その2

Nov. 12, 2010 • Ryusuke Kawai

>>その1 謎が解け、コロニーの背景もこうして酒井氏と知り合ったことをきっかけとして、これ以後何人かの人たちに取材できたことで、酒井襄氏に関する謎が一気に解けていっただけでなく、ヤマトコロニーが誕生していく歴史的な背景が明らかになっていった。というのは、電話で連絡をとった隆子さんから教えてもらった沖守弘氏という写真家にまず出会ったからだった。 沖という名前がこのコロニーへのおもな入植者の一人であることはわかっていた。1961年に新日米新聞社から発行された「米国日系人百年史…