Laura Honda-Hasegawa

Laura Honda-Hasegawa was born in Sao Paulo, Brazil in 1947. She worked in the education field until 2009. Since then she has dedicated herself to exclusively writing which is her great passion. She writes essays, short stories, poems, and novels, all under a Nikkei lens.

Updated September 2018

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デカセギ・ストーリー

第四話 サウダーデ

ある日、キミコは息子の引越しを手伝っていたとき、思いがけない物を見つけた。引き出しの底にビスケットの缶があった。子どもの頃、たまにしか食べられなかった「Biscoitos Duchen」だった。とても懐かしく思ったが、息子の家に置き忘れた覚えはなかった。それなのに、どうしてアレックスが大事そうにしまっていたのであろうか。何が入っているのだろう、と気になった。

すると、孫のマルコが「バチャン、早く行こうよ」と呼びに来た。引越しだったので、みんなで外食。そのとき、キミコはビスケットの缶のことを息子に尋ねた。「あれは捨てていいよ ...

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デカセギ・ストーリー

第三話 マサオに羽ばたく時が来た

                                                          I

幼い頃、父親が急死した。畑仕事をしている時に倒れ、そのまま息を引き取った。それから、母親は5人の子どもを育てるのに苦労したが、長男と3人の娘は結婚し、残ったのは末っ子のマサオだけだった。

母親は朝市で野菜を売っていた。マサオは15歳の頃からそこで手伝っていた。思い出に残る幸せな日々だった。母親と一緒に朝5時に市場に着いて、店を開いて、みずみずしい野菜をテントの下に並べるのが日課だった。マサオは朝市が大好きだった。広々とした空の下で、店主の掛け声とお客さんの明るい朝の挨拶が飛び交い、カラフルな果物や野菜が並んでいて、何とも言えず、良かった。そして、何よりも、働く母親の笑顔が大好きだった。

ところが ...

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デカセギ・ストーリー

第二話 キミコ、24年後

そうですね、あれは1988年4月のことでした。私は27人の女性だけの団体の一人として、日本にデカセギに行くことになっていました。初めての女性だけの団体だったのでとても話題になりました。新聞記者やテレビ局が空港に来ていて、記者たちは私たちに「どうして日本へ」とインタービューしましたが、私は緊張していて何も言えませんでした。でも、ほかの人は必死に理由を述べていたので、エライなぁ、と思いました。「だってブラジルに居たら食べるのも大変だもの」「子どもの学費でも稼げたらいいなと思って」「旦那も子どももいないから、生きていくためのお金が必要だから」など。

みんな、理由は様々でも、お金が稼げるということで日本へ行く決心をしたようでした。誰の世話にもならないで生きていくためとか、夫がもう日本で働いていた人や、後から子どもを呼び寄せようと考えている人もいました ...

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デカセギ・ストーリー

第一話 ケンジンニョはブラジルを発見した!

新しい学校での初めての日、大変な下痢のため、少年は学校に行けなかった。

母親は心配した。フェイジョアーダがあたったのかと思った。

しかし、少年は内心ではちゃんと分かっていた、どうしてそうなったのか。前の学校の友だちは言った。「向こうはガイジンだけだよ」

「どうしよう?」今までずっと山に囲まれた小さな町に暮らしていた少年は地球の反対側にやってきた。「イラセマばあちゃんの家ではさっぱり分からない言葉でみんなが話す。学校でも同じなのかなぁ」と、とても不安だったのだ。

気持ちを入れ替えて次の日には学校へ行った。母親は学校の門まで一緒だった。少年は焦って、母に「チャオ」も言わずに校門をくぐった。

校庭は少年と少女であふれていた。

チャイムが鳴ると、みんなが一斉に教室に向かった ...

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フェイラが大好き

遊園地でもないのに楽しい。映画館でもないのに面白いものが見られる。サーカスでもないのにカラフルで、リズミカルで、アトラクションがいっぱいだ。わたしにとってフェイラはとても魅力的な場所だ。

「フェイラ」はポルトガル語で「市場」、「朝市」のこと。17世紀からサンパウロ市にはフェイラがあった。1914年に公営化され、1948年から毎週一回各地域で行われるようになった。

わたしは1947年生まれなので、生まれたときには、フェイラはすでにあった。フェイラが開かれる通りに住んでいたので、物心付いたときから、フェイラはあたかも我家の庭の一部のようだった。決まった曜日の朝の4時頃から外は騒がしくなる。品物がトラックから道路に置かれ、店主はテントの下の台に商品を並べていく。わたしの寝室は道路に面していたので、フェイラの準備の音が耳に入ってきた ...

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