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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第38回 アメリカに来て70年、長い夢だった 

助次が土地を寄付した地元パームビーチ郡の群政委員、William Medlen 氏から贈られたバースデー・ケーキのロウソクの火を消す助次(© 撮影・提供: Akira Suwa [諏訪徹])

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。さまざまな病をかかえ、体調を崩しながらもアメリカに来てから70年目を迎えたことや、数えで90歳となったことに感慨を覚え、故郷を去って以来一度も会わず先に逝った父母や兄弟のことを思い涙ぐむ。その一方でこれまでの年月を振りかえり、「何もできなかった」、「長い夢にすぎなかった」と嘆息する。

* * * * *

〈新しい家がどんどん建つ〉

1975年7月26日

玲さん(姪)、暫くご無沙汰した。私の気分は別に変らぬ。よかったり悪かったりだ。ゴタゴタもあり不機嫌になることもある。物価は肉類の外は少し下向きだ。衣類、家具は投げ売り同然で、あまりはけないらしい。金はあっても使わない。先ずは不安なので皆、銀行に積み立てている。

利子は下がって銀行は大繁盛、新しい家がドンドン建って行く。住宅も土地もずっと値下がりした。ここ数年は現況が続くだろう。新聞は景気の好い事を書くが、余り当てにはならぬ。破産続出で皆頭を痛めて居た。

日本製TVやカー(車)も値下がりしてずっと安く買える。こちらは今、夏の真っ盛り、風のない日は焼け付くように暑い。避暑客で海岸は隙間もない。土地の者は皆、山に出かける。無理算段しても出かけて行く。私は長い間山を見ぬ。行きたいが、足腰不自由でどうにもならぬ。木陰に寝転んで夢を見るより外ない。京都も、もう暑かろうし宮津もおなじだろう。

世の為人の為に尽くすもよいが、……私についての新聞記事などはほとんど小説のようで、賞金めあてになって事実とは遠い。

送ってくれた本は早速本人(病人)に渡したが、どうやらろくに読もうともしないから全部取り戻した。22日、ドイツ人の友人がやって来た。亡き夫君の一周忌との事だった。彼は稀な好人物で親友の一人だった。スナイダーさん一家は皆元気だ。夫のロス君は家の修繕で多忙だし、バージニヤは市に奉職の傍ら著書に一生懸命だ。養子になった大江ジョージ君は今東京に居る。

あんた達と文通三十年近い。数百通あるが、焼き捨てるのもおしいし、始末に困っている。よければ全部送る。何時か、何かの参考になるし、過去のいきさつ追憶の何よりの好材料だ。

(送った絵葉書に添えた文)

絵葉書1:フロリダ海岸の夕日・今も昔も少しの変わりもない。

絵葉書2:当地の海岸の景です。冬は観光客で雑踏を極め、立錐の余地もありません。70年近い前には人影一つなく、沖を通る船も稀でした。


〈何より語学を学べ〉

1975年9月17あるいは21日

玲子さん、あんたの手紙繰り返し読んだ。あんたの気持ちは私には痛いほどよく解かる。いわば昔の出戻りだ。理解のない旧式の家には居ずらかろうが、お母さんの気持ちもわからぬわけでもない。事実は先の心配より当座の人の口だと思う。世間には馬鹿者が多い。気にかけず、ほっておくのだ。

あんたは裁縫が何より好きだという。好きこそ物の上手なれで、一番好きな事をするのがよかろう。もっとも従来の目論見は何か。自分で店を経営するか、学校でも勤めて教えるか。方法はいろいろあろう。

最初、あんたの離婚直後、お母さんからあんたを引き取ってくれといってきた。例の一人合点だ。私は不可能な訳を述べて断るより外なかった。

今日、ワシントンの友人から手紙が来た。細君は内職でソーイング(裁縫)を教へているが、大当たりで、昨夏二ヵ月の休暇中に150人の応募があった。ほとんど十代の人達で吃驚したとの事であった。

労働者としての渡米は出来ぬ。が、方法は色々ある。入学、養子も可だ。5年も待てば帰化も出来る。何をするにも先立つのは語学である。やさしい会話が出来れば就職は容易だし、直ぐ上達する。

あんたも色々思い悩んで居る事と思う。今日来た手紙であんたの事を思いだし書く事にした。あんた自身でよく考え委しく知らしてくれ。急いては事を仕損じる。最近明子(姪)から手紙が来た。久し振りで意外だった。一昨年の暮れに私の帰化の通告をした。誰より喜んでくれた。悲しんでもいたが、ウンともスンとも言って来なかった。

私も多少厳しいことを言った。文通は途絶えた。年賀状も来なかった。手紙の様子では会社はやめて修養しているようだ。あれほど家計のために給金を当てていたのに私には不可解だ。多分、金満家の信者から莫大な寄付でもあったのだろうと思っている。


〈近くに京都出身の人がいる〉 

1975年10月6日

美さん(義妹)、御手紙ありがとう。永い事ご無沙汰、すまんと思いながら別に書く事もないのでそのままになった。考えたのだが、骨を折っても何一つ思うように行かん。つい、焼け糞になり、勝手にしろといいたくなる。誰も人の定めにはうんざりする。私は長い間病んでいる。足腰はたたん、胃潰瘍は再発、吐血、一時は心配した。腎臓も悪い。心臓も弱って居る。一寸した事でもすぐ疲れる。  

何も出来ん。寝転んで追想や空想に耽るより外ない。隣りはいるが、留守勝ちで誰も来ない限り、二日も三日も物言わん時がある。暑い暑いという中、今年も10月になった。晴れて風のない日はかなり暑いが、今夜は涼しい。蚊や蠅も殆ど居なくなった。

近くに伏見(京都)の人が居る。戦争花嫁で20歳の息子さんは近くの大学に在学。40歳前後だが、きれいなので10歳位若く見える。明るくて評判がよい。親切な人で何かと日本の珍しい物を下さる。伏見は日本の柿どころ。手作りのミノ柿もそうだ。来年の夏には帰国との事、あんた達に逢って貰う事にする。

長い闘病、医者も薬も、口養生も全く無効。天命のままに自然を友に日を送っている。


〈この国のおかげだ〉

1975年11月×日

玲さん、ノリ(海苔)有り難う。久し振りに好きな巻寿司がほおばれる。私はクック下手。11月も半ば、お正月も間もない。好きなお雑煮を思い出す。何年経っても故国の味は忘れられん。こちらは暑からず、寒からずです。この世の天国だ。

国からの手紙は皆保存する事にした。スナイダーさん(友人でジャーナリスト)が私の本を書く参考になるという。スナイダー家の養子になった大江昭二(大分県人)は日英両語に精通、翻訳の仕事をしている。今日本に居るが、Xマスまでには帰って来る。

古い手紙を読んでいて以前に増して驚いた。政平(弟)のこと、父母の苦労、米治(弟)の心痛。まぶたが熱くなった。米治はあんたの〇歳頃の事を書いて居る。近頃急に視力が衰え、耳が遠くなった。時には電話が役立たぬ。半身不随で足腰立たぬ。あぶったり、たたいたりだ。

90歳(数え年で)になった。アメリカに来て70年経った。努力はしたが、何一つ出来なかった。只、長い夢に過ぎなかった。

私は老齢、天涯孤独。異郷の地で病むが、幸い食うには困らぬ。これ、皆、この国のお蔭だ。生あるうちに何とかお返ししておきたいと思う。昔から人命、朝露の如しという。明日の事もわからぬ。私には財産がある。不動産、銀行の預金に就き、遺言書の書き直し中だ。 

(敬称略)


※姪にあてたこの手紙からおよそ4ヵ月後の1976年2月29日、森上助次(ジョージ・モリカミ)は、89年3ヵ月余の生涯を閉じた。

 

© 2020 Ryusuke Kawai

About this series

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。