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孤独な望郷 ~ フロリダ日系移民森上助次の手紙から

第12回 強盗に襲われる 

南フロリダの大和コロニーの一員として渡米、コロニー解体後もひとり最後まで現地にとどまり生涯を終えた森上助次は、戦後、夫(助次の弟)をなくした義理の妹一家にあてて手紙を書きつづける。相変わらず帰国するか、義妹らをアメリカに呼び寄せるか思案するなかで、あるとき郊外でひとりポツンと暮らしている助次は、強盗に押し入られる。

* * * * *

森上助次は、アメリカではジョージ・モリカミとして、ときどき地元の新聞などで、その生涯や生き方が紹介された。(Ihe Native Sun: South Florida's Alternative, Vol. 3, No. 4, November 21, 1990) 

1955年6月

〈一時は万事休すかと〉

美さん、暫くご無沙汰しました。みなさん、お変わりはありませんか。お手紙を頂いた数日後の一夕、寝こみを強盗に襲われました。重傷を負い一週間ばかり病院で治療を受け、ようやく傷も癒えたので、数日前デルレー(デルレービーチ)へ帰り友人(白人)の家で世話になっております。

傷が深く出血がひどかったので、一時は万事窮すと観念しておりました。宵の9時頃から翌朝の8時頃まで血の中に横たわっていたようなものです。今、思うと、よくも生きていたと不思議に思います。

何分、郊外の暮らしで、隣家といっても一町(約109メートル)余りも離れており、わが家には電話もありません。翌朝、知人が来るまで、何の手当もできなかったのです。いまは傷は癒えましたが頭がボッーとして記憶力が元のようではありません。

この夏は不景気という程でもないが、殺人強盗がヒンピンと起こるありさまで、戦々恐々としています。それで警察の勧めで護身用のピストルを買いました。


〈また生まれ故郷の夢を見る〉

今年は近年稀な旱魃で、昨年の秋からつい2週間前までほとんど降雨がなく、あるタウンは、用水の不足という有様でした。2ヵ月ほど前、雹(ひょう)が降って、折角作り上げた作物は全滅。今年もまた働き損のくたびれ儲けに終わりました。

2、3日前の晩、神経が興奮して眠れず、幸い日本の雑誌が来ていたので、夜明け近くまで読み続けようやく眠ったらと思うと、日本の夢です。見たことのない田舎町、会う人は皆、知らぬ者ばかり。

不思議と私の言うことが通じない。お腹が空いたのでちょっとした茶屋へ入り、食事し、手真似で注文。出て来た物は大きな茶碗に山盛りの御飯、蕪(スズナ、春の七草の一つ)の煮つけ、お香の物と番茶。50年前実際食べていたメニューのままです。

誰か知った人はいないか、あちこち行き廻りますが、だれにも会わず。実家の竜馬(京都府宮津市)の家さえ見つかりませんでした。あきらめて停車場へ向うと、背の低い太った婆さんが大きなフロシキ包を背負い、12、13の娘の手を引いてやって来る。娘は何か歌っており、耳をすますとアメリカの流行歌。英語で歌っている。私が話かけても、私の言う事が通じない。私はこうした夢を時折見ます。やはり真の心の底では、生まれ故郷が恋しいのです。

あなたの渡米について取り調べ中です。いずれ遠からず判明すると思います。こうした事は中々面倒で時を要します。気永く待って頂くより外ありません。


〈新しいトレーラーハウス〉

最新型のハウストレーラーを買いました。二人住まいの小型で、幅8フィート、長さ22フィート、車輪つきですから、カーの後ろにヒッカケてどこまでも移転できます。小型とは言え応接間はもちろん、台所も便所も風呂場と冷蔵庫も押入れも、全部がそろっており、外観も内部のつくりも中々立派です。値段も小さな住宅を建てる位です。写真を送ります。

隣の牧場の草は青いという諺があります。余り人を羨んだりしてはいけません。自己中心では不平をつのらせるばかりです。


1955年9月30日

〈今度はトラクターでケガを〉

美さん、永らくご無沙汰しました。済まぬ、済まぬと思いながら、どうしても手紙を書く気になれないのです。知人や友人達へもまことに申し訳けない次第です。

ホールダップ(強奪・強盗)を受けた傷が癒へ切らぬうちに、今度はトラクターで左足や腕に大怪我をして歩行はむろん、立ち上がる事も出来ず、随分永い間、苦痛と不自由な目に遭いました。幸い、歩行も出来るようになりましたが、時々痛むので困ります。

若い時はキズが直ぐ癒えるのですが、年を取ると中々手間取ります。重ね重ねの災難で、何もかもそのままになっています。健康もようやく恢復したので近く措置する事が出来ると思います。何分頭が変で、記憶力は衰え、もちろんまとまった考え等はぜんぜん出来なくなったのです。

フロリダは、秋とは名のみで景色も気候も何ら変わりもありません。ただ、日が少し短くなっただけです。

京都あたりは夏の暑さも去り、嵐山辺はさぞ好い事と思います。先達て、山内君(マイアミ在住)の息子が結婚しました。招待されたが、病害のため行けませんでした。花嫁さんはアメリカ生まれ、日本でも教育をうけており、字も文も中々うまい。ハキハキとし、中々社交的な人らしいです。まだ会っていませんが、手紙と写真で想像したことです。

今年、日本は近来稀な豊作とのこと何よりめでたい。こちらの米は見かけは好いがとても不味くてよほどうまく炊かぬと、食べる気になれません。近頃歯が悪くなって好きな漬物が食べられなくなりました。

気分が好い時は畑へ出て土いじりをしています。トメト、ペッパー、エッグプラント(茄子)等の苗物が立派に育っています。来週から小遣い稼ぎに少し売り出す考えです。畑へ出て作物の世話する時が私の天国です。どんな心配も苦痛も忘れてしまいます。

ところで、アメリカの婦人達も太るのを悩んでいます。若い人達のなかには断食して健康を害した者がいます。あなたも余り太り過ぎるようならお医者さんにみて貰ったらどうです。中には病的な人もいるらしいです。私は相変わらずヤセコケています。少し肥えたいですが、中々早急には行きません。私はまた移転しました。

現住所、左の通り


1955年11月8日

〈赤飯を炊いて祝ってもらい〉

美さん、お手紙、有難う。私の病気もよくなり、痛みも感じません。一昨日から家へ帰りました。自炊を初めました。去る5日は私の誕生日でした。いつもなら忘れがちで、後で思い出す位ですが、吉岡さんがわざわざハワイからの粳米(うるち米)と小豆で、赤飯を炊いて祝ってくれました。

赤飯は渡米以来初めてです。何年経っても日本の食物は恋しい。病気でなにものどを通らぬ時でもお茶漬で香の物丈は食べられます。

フロリダも大部涼しくなりました。夜の7時過ぎですが、もう外は真っ暗です。今、温度は華氏74度(約23℃)。朝方は70度(21℃)位に下がります。暑からず寒からず、身体さえ元気なら全く天国です。

私の年になると、あまり遠い将来の事を考えなくなります。何時死ぬかわかりません。私は生来、人様の厄介になるのを好みません。

だから病気等しても無理をするのです。こまった性(さが)です。昨日気分が好かったので、久し振り畑へ出て自家用の野菜の種子を蒔きました。お蔭で今日はまた足が痛くなり、一日中、寝転んでいました。今年も早11月の半ば近くになりました。


1955年12月

(助次は、義妹一家と家族になることについて、手紙で何度もやり取りしている。自分が日本に帰るか、義妹や一家を日本に呼び寄せるか、助次や義妹の悩みはつづく。)

〈あなたは渡米、渡米と言うけれど〉

美さん、手紙も写真も受け取りました。あなたは丈夫らしく見える。何より結構です。こちらの人達は三十越えてソロソロ太り始める。四十代になりブクブク豚のように肥え、ヨゴヨゴあひるのように歩く。食いたい物も食わず痩せようと苦心惨憺の有様です。

私は痩せる一方で、125ポンドまで下がりました。日本の目方で何貫になりますか。マァ、あなたの半分位でしょう。

あなたは渡米、渡米と言われますが、アメリカは外国です。隣へ行く程、容易ではありません。第一、家族と行くつもりのようですが、あなた自身は布教者として来ても家族同伴は出来ません。それに私も考えました。人間70になると、何時死ぬか分からぬ。矢張り、この際、私が思い切って帰国した方が双方のためではないかと思うのです。

しかし、重ね重ねの災難の為、貯蓄の大半を失い、このままでは到底、日本で生活は不可能。今、暫くこの国に留まり、残りの土地を売り払い、充分の都合が付き次第、帰国する方が最善の策ではないかと思うのです。

最近、日本から帰って来られた人から日本の事情を聞きました。生活費はこの国(アメリカ)と余り変わらないが住宅が払底で大問題だと言っていました。

先ず50ドル、住友銀行を経て送りました。これで、皆で何かプレゼントを買って下さい。これが今年最終の便りです。どうか、皆さん丈夫で新年を迎えて下さい。私もお雑煮の夢でも見る事にします。

12月19日夜

(敬称略、括弧は筆者注)

 

© 2019 Ryusuke Kawai

family florida Sukeji Morikami yamato colony

About this series

20世紀初頭、フロリダ州南部に出現した日本人村大和コロニー。一農民として、また開拓者として、京都市の宮津から入植した森上助次(ジョージ・モリカミ)は、現在フロリダ州にある「モリカミ博物館・日本庭園」の基礎をつくった人物である。戦前にコロニーが解体、消滅したのちも現地に留まり、戦争を経てたったひとり農業をつづけた。最後は膨大な土地を寄付し地元にその名を残した彼は、生涯独身で日本に帰ることもなかったが、望郷の念のは人一倍で日本へ手紙を書きつづけた。なかでも亡き弟の妻や娘たち岡本一家とは頻繁に文通をした。会ったことはなかったが家族のように接し、現地の様子や思いを届けた。彼が残した手紙から、一世の記録として、その生涯と孤独な望郷の念をたどる。