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グース外間: 心に咲くカーネーション

孫: ねぇオジー、どうして僕たちの顔は他のアルゼンチンの人の顔と違うの?

祖父: グース、私たちは日本人なんだよ。

孫: 日本人なの?アルゼンチンに住んでいるのに?

祖父: そうだよ。オジーはね。17歳の時、オバーと一緒に移民船でアルゼンチンへ渡ったんだよ。3ヶ月もかけてね。

これは、アルゼンチン出身のミュージシャン、グース外間の歌、『時空の花』のミュージックビデオのイントロダクションに収録されているアニメーションでの会話だ。日系四世の彼が幼少の頃、実際に祖父と交わした会話をイメージして作られている。

グースは、この歌によってミュージシャンとしての人生が大きく揺り動かされた。そして、歌は、アルゼンチンを飛び出し、祖父母の故郷、沖縄で花を咲かせたのだ。

写真提供 : グース外間

2015年、グースはスペイン語の歌 『Entre claveles(カーネーションの中で)』をアルゼンチンで完成させた。「この歌は、祖父母への特別な想いを込めて作りました。1934年、祖父母は、貧しかった沖縄から、より良い暮らしを求めてアルゼンチンへ移民しています。しかし、お金はない、言葉は通じない、アルゼンチンの文化も習慣も知らない。多くの移民が経てきた道のりではありますが、祖父母も同じように苦難を強いられます。豊かさを手に入れるために、仕事も住む土地も転々とし、身を粉にして働いたそうです。そして、花卉栽培を営むようになり、少しずつ光が射し始めたと聞きました」とグースは話してくれた。

「当時、花卉栽培には、多くの日系人が携わり、『日系人といえば花屋』と言われた時代。日系人を象徴する職業だったそうです。特に祖父母は、カーネーション栽培に力を注いでいました。僕たち子孫が平穏に暮らし、アルゼンチンで不自由なく教育が受けられたのは、祖父母のおかげ、一世たちのおかげです。僕は、全ての一世への感謝と敬意をこの歌に込めました。」と、グースは語る。そして、「今、祖父母は、雲の上で咲かせたカーネーション畑で、誇らしげに僕らを見守っていると思っています」と付け足した。それは、『時空の花』の歌詞のサビの世界を連想させる。

2015年にアルゼンチンで『Entre claveles(カーネーションの中で)』を作ったのには、訳があった。その年の9月、沖縄県北中城村移住者子弟研修プログラムの研修生として3ヶ月、沖縄で暮らす予定があったからだ。初めて訪れる祖父母の故郷。グースは、沖縄の人にもアルゼンチンに渡った一世の姿を伝えたくて、この歌を沖縄へ発つ前に完成させたのだ。そして、そのスペイン語の歌を沖縄で披露した。しかし、彼が望む「伝わった」という実感は、残念ながらも得られなかった。そんな折、同じ北中城村でペルーからの研修生を受け入れていた仲宗根ゆうこさんと出会った。彼女は音楽・映像に携わる仕事をしていた。そして、この歌を聴き、即座に「日本語で伝えてはどうか?」と彼に提案した。その一言で、グースの世界が一変したのだった。

「全てはそこから始まりました。日本人に伝えることに焦点を置き、歌を全編、日本語歌詞に作り直して、『Entre claveles(カーネーションの中で)』というタイトルは、より日本人に伝わるように、“時も場所も越えてカーネーションは僕らを見守ってくれる”という意味を込めて『時空の花』というタイトルをつけました。ゆうこさんの祖父母もペルーへ移民した一世。そして彼女も自身のルーツが知りたくてペルーで暮らした経験があり、この歌を深く理解してくれていました。彼女は『この歌を多くの人に伝えるべきだ』と言い、日本のテレビや新聞、雑誌、ラジオへのプロモーションに奔走してくれました。そして、シングルをリリースし、2016年、世界のウチナーンチュ大会へ参加することへ導いてくれました」

仲宗根さんは今、グース外間のマネージャーである。アルゼンチンと沖縄という遠隔の中、二人三脚で歌作りが続けられている。
 

音楽という魔法

マジシャンは、空っぽの黒い帽子の中からウサギを取り出して観衆の心をつかむが、それはトリックであり、魔法ではない。しかし、人と人の心が繋がる瞬間、絶望的な荒れ果てた土地に希望の泉があふれるかのような、目に見えぬ感動が人の心を動かす。それが私は魔法だと思っている。

グースは『時空の花』で、その魔法を手に入れたと思えてならない。

 「世界のウチナーンチュ大会でステージに立った時、この歌がこんなにも人々に強く響くとは想像もつきませんでした。今、思うと、それは、『世界のウチナーンチュ大会』という移民を思う特別な状況の中だったということ。そして、日本語で歌を歌ったこと。そして、もう一つ。ステージで歌う僕の背後の大型モニターでは、歌詞になぞって、祖父母が生きてきた軌跡をアニメーションで伝えたからだと思います。観衆は歌を聴きながら、映像で、さらにその時代へ、アルゼンチンの移民の世界観へ引き込まれました。そして、歌っている最中、涙を拭う人の姿が飛び込んできた時、僕に強い力で高揚が押し寄せてきました。観客も僕も含めて、一つの魔法にかけられたような5分間。僕はいつまでもこの経験を忘れないでしょう」

写真提供 : グース外間

この歌の大きな特徴であり、彼が最も重視したのは、イントロダクションに祖父と孫の会話を挿入したということ。「会話」と「歌」というアニメーション仕立てのステージング構成は、魔法を施すのに十分な手法となった。

また、グースが沖縄で得たものは、アーティストとして沖縄の音楽や芸術に触れ、彼の音楽性を高めることばかりではなかった。

「私は小さい頃、よく知らなかった祖父母の苦しみが、沖縄へ来て深く理解することができました。例えば、僕の両親はいつも 『ご飯を残してはいけない』というシンプルな教えを言い続けましたが、それは、父母が貧しい経験をしていたのではなく、沖縄が本当に貧しかった時代があった事をアルゼンチンの次の世代へと受け継いでいたのです」

グースはこの歌は、祖父母の「戦い」の遺産で、自身も移民や移民ファミリーが残した遺産を次の世代へ継承することを強く望んでいる。


音楽は心の旅

写真提供 : グース外間

彼の母はピアノを教え、また、父は普段から歌に熱心だった。こういう環境で、グースが音楽と寄り添うように育ったのは、ごく自然なことだった。

彼のピアノの指導をしていたのはマルセロ・ステッファノーリ。グースのスタイルを作る上でのキーパーソンだ。「先生はとてもエネルギッシュで、実践重視の教えでした。彼からハーモニーを学び、そして、作曲する上で“僕らしさ”を引き出してくれました」

しかし、音楽の夢を少し傍においた時期がある。それはもう一つの夢を叶えるためだった。彼の父は医者で、彼は父の背中を見つめて育ち、医学の道を志した。しかし、2011年、ペルーで思いがけず、もう一つの夢が眠りから覚めたのだった。

「Lidercambioと呼ばれるリマの日系人のイベントに参加した時のことです。そのイベントで僕がかつて作った曲を歌う機会がありました。その歌は、遠く離れた人を想うラブソング。歌い終わると、若者たちの喜びに満ちた顔があり、また、多くの知らない人に『感動した』と、声をかけてもらいました。僕は、帰路の飛行機の中で、歌を通して何かをしなければいけないと強く感じたのです」

アルゼンチンへ帰国後、趣味を越えて音楽と関わることを決意し、プロデューサーを探し始めた。そして、出会ったのがルナ・ディエゴ。彼は現在も良き友人であり、音楽を創る上で大切な仲間でもある。

グースは現在、医者とミュージシャンの二足のわらじを履く。そして、その二つの仕事には、共通するものがあるという。

「僕は、医者を辞めるという考えは全くありません。どちらが欠けても僕にとって完全じゃないからです。患者と向き合い治療をすることは、単に体を治すということではありません。医者は人の心の中に深く入り込む作業も大事です。そして、音楽も同じ。僕はこの二つのバランスにとても惹かれています」

また、グースにとっての音楽は、心を解き放つ一つの手段でもあったようだ。

「僕は、感情や考え、また悩みといったことを言葉で伝えることが苦手でした。でも、曲作りを始めて、自分の闇のような部分が自由になりました。音楽は僕にとっての光でした。だから作詞作曲に没頭できたのです」

また、グースは“音楽は旅”だとも言う。歌を通して空想の世界が広がり、経験したことのない想いが溢れ出す。そして、新しい人との出逢いがやって来る。しかし旅にも途中下車や終わりがあり、心が癒えた時、また新しい旅を探し始めるのだという。

そしてグース外間自身が世界へと飛び出す新しい旅が近づいている。11月にはペルーで開催される北中南米の日系人が結集するイベントCOPANIへの参加し、日本語の『時空の花』が披露する。そして来年の1月には日本でコンサート、ニューアルバムのリリースも予定されているそうだ。

今後も世界に心のカーネーションを咲かせる日系アルゼンチン・ミュージシャン、グース外間の動向に目が離せない。

 

© 2017 Enrique Higa

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