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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第24回 さまざまな観点からの批評、分析

「ノーノー・ボーイ」を最初に翻訳した中山容氏が本名、矢ヶ崎庄司の名で残した「日系アメリカ人と文学―ジョン・オカダとローソン・F・イナダ―」(平安女学院短期大学紀要、 8, 23-30, 1977)を嚆矢として、その後も断続的に今日まで、この小説は論ぜられてきた。

作品紹介的なものから学術的な論文まで、出版物を中心に気がついたものを年代順に並べてみる。(「論文」、筆者・著者、『それが収められている出版物』の順)

  1. 「帰ってきたノーノー・ボーイ 谷譲次とジョン・オカダ」、室謙二、『アジア人の自画像』(晶文社、1979年)

  2. 「日系二世によるアメリカ文学―トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』とジョン・オカダ『ノー・ノー・ボーイ』」、畑中和紀子、『文学空間』(1980年5月)

  3. 「John Okada とNo-No Boy  日系米人によって書かれた初めての本格的小説」、坂口博一、『早稲田大学社会科学部学会』(1980年11月)

  4. 「強制収容所と日系文学」、千栄子・ムルハーン、『知識』(1985年8月)

  5. 「かすかな希望 ジョン・オカダ『ノーノー・ボーイ』」、神田稔、『思想の科学』(1987年9月)

  6. 「二つの否定―『ノー・ノー・ボーイ』を読む」、酒井直樹、『思想の科学』(1990年2月)

  7. 「ジョン・オカダ ノーノー・ボーイ」、中根和代、『日系アメリカ文学―三世代の軌跡を読む』(植木 照代・ゲイルK佐藤著、 1997年5月)

  8. 「イチローの回復された愛国心 : ジョン・オカダの『ノー・ノー・ボーイ』試論」、佐藤清人、『山形大学紀要(人文科学)』(2002年2月』)

  9. 「No-No Boyとアイデンティティ」、森岡 稔、『サイコアナリティカル英文学論叢』(2005年1月)

  10. 「No-No Boyの地理学―失われたニホンマチ/イチローの回復」、前田一平、『AALA journal / アジア系アメリカ文学研究会』(2007)

  11. 「二分法を越えてJohn Okada, No-No Boyの静かなる挑戦」、篠田実紀、『神戸外大論叢 』(2010年11月)

  12. 「ノーノーボーイであることの病い―身体への視線の欲望」、五島一美)、『憑依する過去―アジア系アメリカ文学におけるトラウマ・記憶・再生』(小林富久子監修、金星堂、2014年)


可能性や力強さを評価

以上のように、時々思い出されたように考察されている。アメリカ文学にかかわる研究者をはじめ移民問題についての研究家などの手によるものである。このほか、インターネット上でもブログなどでいくつか「ノーノー・ボーイ」について言及しているのを見ることがある。

ここ挙げた批評などからいくつかその要点を紹介したい。

「アジア人の自画像」(室謙二著、1979年)  

まず、室謙二氏は、「『ノーノー・ボーイ』は、アメリカの移民文学、マイノリティー文学としてくくることができるが、それはまた日本文学だということもできる。日本語によって書かれない、日本国内で抱えれない日本文学があってもいっこうにかまわないはずだ」という。

また、「海外の日本人の持ちえた文学の多くを知っているわけではないが、この小説は大変なものではないかという予感がする」と、不可思議な魅力を感じている。

畑中和紀子氏は、作品紹介の最後で新鮮な驚きのようなものをこう述べている。「(そして)、これは私の思い過ごしかもしれないが、作者が努力をして書いたという印象を受ける――才能の問題ではなくて、独自の文化も、文学も、作品もないところで、要するに文学的遺産などないところで、日系アメリカ人がアメリカという国との関係を素手で文字に結晶しようとすれば、せざるを得ない努力のようなものを感じる」

はやくに真正面から作者と作品をとらえていたのは、坂口博一氏である。ジョン・オカダの弟から話を聞くなどして、実証的に作者と作品を論じている。ジョンが職務に忠実で、家庭を愛する人物である一方、「ノーノー・ボーイ」のような作品を書いたのはなぜかと問い、それは「二世という特異な立場に加えて、謹厳であるだけに不正や中途半端な妥協を許さない彼の性格が大きく影響している」とみている。

坂口氏は、この作品を読んだアメリカ人が、どこかアメリカ人の書いた小説とは違うという感想を引き合いにだし、ジョンと彼が描いた二世たちも日本的なのだろうという。

佐藤清人氏は、「愛国心」というテーマでイチローや二世の心を考察する。「合衆国に対する忠誠、愛国心の喪失という点において、ノー・ノー・ボーイと退役軍人の間に違いはない」とし、イチローはもはや退役軍人たちに引け目や負い目を感じる必要はなくなり、最後は合衆国を信じて愛国心を取り戻すことになる、という。

前田一平氏は、日本人移民により早くからシアトルに作られた“ニホンマチ”が、戦争を境に姿を消してしまったことを具体的に記し、同様に精神的に喪失したイチローが、なにを求めようとしたのかを、ワシントン大学のスティーブン・スミダ氏の解釈を紹介しながら述べている。スミダ氏は、埋もれていた「ノーノー・ボーイ」を再発見したグループの一人である。

小説では、一世と二世の世代対立が描かれる。イチローの心にもあるその対立は、イチローの一世に対する無知から生じるものでもあるが、それは「オカダが組み込んだ物語構築の決定的要素なのである」という。収容所政策が、この対立を生起させたという点を、これによって浮かび上がらせているというわけである。

小説が書かれたのが1955、56年だとされていることから、物語の舞台である戦争直後にイチローが追いかけながら表現できなかったものは、「今日でいうところの “multiculturalism” あるいは “multiracialism”」であることを、作者はほのめかしているという。

最後に、松浦雄介氏がブログで書いている「『ノ―・ノー・ボーイ』―これは「日系人文学」ではない」を紹介したい。「ノーノー・ボーイ」が小説というよりドキュメントの類であるといった批判は出版直後にあったことは以前書いた。

松浦氏はこう言う。「『ノー・ノー・ボーイ』は日系アメリカ人についての社会学的ルポルタージュではけっしてないし、通常そうされるように「日系人文学」(の代表作品)として位置づけることさえ、不十分なことである。それはここで描かれた体験が、徹頭徹尾、「日系人」という存在の歴史的特殊性を帯びているにもかかわらず、この社会学的カテゴリーの範囲を超えて、訴えかけるものがあるからである」。

そして著者の文章の力を評価し、「『ノー・ノー・ボーイ』は徹頭徹尾、日系人の歴史的経験に根ざしており、それを抜きにしては成り立たない小説でありながら、やはりこれは日系人文学ではない。紛れもない文学である」と結んでいる。

(一部敬称略)

 

© 2017 Ryusuke Kawai

critics John Okada literature No-No Boy (book) reviews

About this series

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。

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