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ビューティースクール経営の傍らハリウッドの第一線ヘアスタイリストとして活躍 - 徳永優子(Yuko T.Koach)さん

リトリトーキョーにあるKC Beauty Academyでは定期的にオーナーの優子さんがワークショップも開講

海外への憧れ封印し美容師に・自分の夢を娘たちに託し渡米

「SAYURI」(原題:Memoirs of a Geisha)やマイケル・ジャクソンの遺作となった「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」でヘアスタイリストを務めたYuko T.Koach(日本名:徳永優子)さんの名前は知っていた。8月某日、彼女がリトルトーキョーにあるビューティースクールでワークショップの講師を務めると聞き、その様子を見学に行った。生徒たちを前に、ハリウッドの現場でのエピソードを披露しながら笑顔でエクステンションのつけ方を指導する優子さん。話を聞いて初めて、その学校、KC Beauty Academyのオーナーであることを知った。ハリウッドの第一線で活躍し、学校を運営し、さらにリトルトーキョーとパサデナではサロンも経営と幾つもの顔を持つスーパーウーマンだ。

日本でも「夜のヒットスタジオ」をはじめ、テレビや映画の仕事に携わっていた彼女の渡米の理由は、当然自身のキャリアのためだと想像していたのだが‥。「娘たちにアメリカの教育を受けさせたいと、上の娘が3歳、下が3カ月の時に渡米してきました」と優子さんは言う。さらに母親としての顔が加わった。

神戸出身の優子さんは幼い頃から海外への憧れが強かったと振り返る。「近所に外国人がいた環境の中で、彼らの食べるパンが日本のものとは違ったりして興味津々でした。幼稚園に進むとそこにも外国人の子がいて、自分から近づいて行きました。異文化に反応する子供だったんです」

しかし、昭和一桁世代の厳しい父親からは「普通に結婚して、父が経営していた会社を継ぐ」ことを望まれていた。父親に畏敬の念を抱いていた優子さんは海外への憧れを封印。結果的に父の3度目の妻(優子さんにとっての継母)から、彼女が昔、美容師になりたかったという話を聞き、将来の進路を美容業界に定めたのだった。

20代で韓国人男性と結婚した。その頃すでに美容師や着付けの指導者として忙しく働いていた優子さんだが、時が経つと共に忙しさは加速度を増していった。夫が求める妻像とはかけ離れていったと彼女は言う。さらに二人の娘のためには、英語を話すメイドを雇って、就学前から子供たちの語学教育に力を入れていた。インターナショナルスクールに通わせる計画だった。自分の幼い頃の夢を娘たちに託したのだった。しかし、夫からは優子さんの教育方針について「子供たちがまだ日本語も話せないうちから英語を教えるのはおかしい」と反対された。溝は広がるばかりだった。

「結局、離婚が決まり、経済的な理由から、その計画を断念せざるを得なくなりました」

日本でインターナショナルスクールに通わせるには高額な学費がかかる。そこで優子さんは、国内のインターが無理なら、娘たちに現地の教育を受けさせようとハワイを経由して2001年にロサンゼルスに渡ってきた。ホテル暮らしで3人家族の新たな生活がスタートした。


ハリウッドで揺らいだ日本の価値観・多様性受け入れ、発想の扉が開いた

現場での優子さん。最初の頃は「空気が読めず働きすぎた」と振り返るが、今は「自分らしく働ける環境になった」と語る  

アメリカでの最初の仕事は着付けだった。着付けのコンサルタントから始めて、それはやがて大作映画「ラストサムライ」の仕事につながった。さらに「SAYURI」へ。しかし、実際は着物姿が登場するハリウッド映画はほとんどないと言っていい。着付けではなく、キャリアをヘアメイクに転換させることで次々に仕事の話が舞い込んだ。ユニオンにも加入した。それでも最初の頃は「アメリカ的な働き方」がわからずに苦労したこともあるそうだ。

「皆が休憩中の時も、何十年もの間、身体に染み込んだ癖で、せっせと片付けしたり掃除したりして私だけ働いていました。でも、アメリカでは自分の仕事以外の事を手伝うのはタブーだということを、他の人に注意されて初めて気づいたのです。『これが自由な国、アメリカなのか?やりたいことを自由にやらせてもらえないのか?』とショックでした。せっかちな性格もありますけど、それまでの私は言われてもいないのにとにかく身体が動いていました。日本にはそういう気がきくことが喜ばれる風潮があるでしょう?だから、日本とは違う点に慣れるのに時間がかかりましたね」

また、日本で身につけた正しい着付けを施したものの、女優に否定されたこともあった。「女性は着丈を合わせるために着物をたくし上げるので、帯の下に余分な生地がはみ出します。その方はドレストレインのように引きずって着たいと、たくし上げた部分を自分で引き抜いてしまいました。日本では絶対考えられないことで、ショックだったと同時に、自分の中の新しい発想力の扉が開いたのも事実です。そういうことが何度かあって、そうか、これが多様性ということか、国が違うんだから、自分が日本でやったことをそのまま喜んでくれるわけではないのだ、ということにも気づきました。その境地にたどり着くまで渡米してから7年かかりました」

言葉の面では娘たちが助けてくれた。「私が何も知らないものだから、私が担当する俳優さんが、いかに人気者かを説明してくれたり、台本を代わりに読んで教えてくれたりしました。彼女たちの助けは非常に大きな力になりました。アメリカでは彼女たちが私の母親のような役目を果たしてくれました」

今は大人気のテレビ番組「アメリカズ・ゴット・タレント」「アメリカン・ダンスアイドル」(原題:So You Think You Can Dance)のヘアスタイリイングも担当している。どうしてそんなに現場の仕事が途切れることがないのか、素朴な疑問をぶつけてみた。

「現場が一緒になった仲間同士で紹介し合うのです。互いに現場で仕事振りを見ているでしょう?そうするとやっぱり仕事ができる人と次の仕事でも組みたいと思うものです。ですから、番組が変わっても同じメンバーがチームとして続いていくんですね。それからキャストの中にアジア人が入っていると、必ずと言っていいほど、誰かが『優子がいいんじゃないか』と紹介してくれて声がかかります。今では仕事仲間は家族のような存在です」

家族と言えば、プライベートでも2005年にグレンさんと結婚したことで4人家族になった。長女のミクさんは21歳になりUCLAで英語を専攻、次女のリノさんは19歳だ。

「子供の教育が渡米の理由でしたが、私のためにも正解だったと思います。ここまで仕事を続けてこられたことに感謝しているし、アメリカに恩返しをしたいという気持ちです。さらに私がアメリカの業界で学んだことを日本にどう伝えていくかが今の課題ですね」

日本の美容業界に優子さんが新たな風を吹き込む日も遠くないかもしれない。

 

© 2016 Keiko Fukuda

hair stylist Los Angeles Shin-Issei Yuko T.Koach