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「ノーノー・ボーイ」の世界を探る

第10回 第二章、同じ境遇の友との再会

小説のなかにも出てくるシアトルのキング・ストリート駅の時計台

二年間の服役を終えて、イチローはシアトルのわが家に戻る。しかし、その帰郷はまったく心休まるものなどではなく、戦争に行かなかった者への冷たい視線を感じた。一方、日本が負けてはいないと信じる母親への憎悪は募り、その母と日本に背けなかった自分とは何かと問い苦しむ。


狂気だと、母への憎悪が爆発

二章では、一章につづき母に対する怒りと苛立ちが描かれる。戦死した日系人のボブとその母を、日本人ではなくなっため罰をうけたのだと非難する母に対して、イチローはあえて問う。そして母が答える。

「もしおれが軍に入ってボブみたいに撃たれたらどうなるんだ?」

「そのときは、私も死ぬだろうね」

「おれみたいに死ぬのかい?」

「そう、おまえがアメリカの軍隊に入るときに私も死ぬよ。アメリカの軍隊に入るって決めてもだよ。おまえが日本人であることをやめて、アメリカの軍隊に入ろうって気を起させるような気になっても私は死にますよ。お前が弾丸にあたるよりずっと前に死ぬよ。でも、お前は行かない、私の息子だからね」

イチローは母を狂っているとなじる。そしてさらに自分の鏡であるような母に対して激しく迫る。母が自分の強さが息子の強さだと胸を張るとイチローは憎悪を爆発させる。

「あんたの強さなんかじゃない、バカ女、母さんはバカだ。おれが受け継いだのはあんたの狂気だ。おれを見ろよ」イチローは母親の手首をつかみ、顔から手をはぎとろうとした。「おれはあんたと同じように狂っている。狂っている息子を見てみろよ。狂った自分が見えるだろ」

こう言ってイチローは母を引っぱってバスルームへ無理やり連れて行こうとする。そして止めに入った父を倒してしてしまう。そこでイチローは我に返り、父に申し訳ない気持ちでいっぱいになり「ごめん、ごめん」と謝り、どうかしていたと反省する。


苛立ちを隠せない仲間

このあと、イチローは家を出て、かつての友人フレディーを訪ねる。フレディーもまた、イチローと同じで、徴兵を拒否したか何かで刑務所に入っていたが、5週間前に出所し帰郷していた。イチローは、フレディーに自分たちのような人間が、日系社会、とくに戦争に行っていた者たちからどう見られているかを知りたかったのだ。

しかし、フレディーからははっきりとしたものは得られなかった。久しぶりに会うフレディーはすっかり変わっていた。なげやりな態度や苛立ちが彼の言動から見て取れた。その日その日を楽しく生きようという彼は、同じアパートに住む亭主持ちの日系人女性といいなかになっていた。

ノーノー・ボーイという言葉に象徴されるようなイチローたちのような日系人に対する、同胞からの扱いがひどいことをフレディーの言葉から感じたイチローは、もめごとはなかったのかときく。すると、フレディーが吐き捨てるように言う。

「おれたちは間違った」

 「もめごとか。なんで。おまえとおれは間違った方を選んだんだ。だからなんだ。生きるのをやめなきゃならないってことはないだろ」

 ドイツ人から鉄砲玉でもくらってた方がよかったのに、とまでいうフレディーだが、実際は苦しみもがいていることがイチローには感じることができた。ただ心の奥は、何かで被われていて入り込むことができなかった。

フレディーから、教えてもらえるものはそれほどないと考えたイチローは、

「また来るよ、ショーティー。自分自身で見て回ってみたいんだ。わかるだろ?バスにでも乗って町中を回ってみたいんだ」

と、言って、気持ちを整理するために、友のもとを離れて町へ出て行くことにする。

ここで二章は終わる。フレディーは、このあとも登場するが、イチローとは違った意味で、上手に生きることができない十字架を背負っている。一方、イチローは、このあとさらなる問いを自分に発し続け彷徨う。

(翻訳は筆者による)

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© 2016 Ryusuke Kawai

John Okada literature No-No Boy (book)

About this series

太平洋戦争を挟みアメリカで生きた日系アメリカ人二世、ジョン・オカダ(John Okada)が残した小説「ノーノー・ボーイ(No-No Boy)」。1971年に47歳で亡くなった彼の唯一の作品は、戦争を経験した日系アメリカ人ならではの視点でアイデンティティをはじめ家族や国家・民族と個人の在り方などさまざまなテーマを問う。いまも読み継がれるこの小説の世界を探りながらその魅力と意義を探っていく。

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