Select a primary language to get the most out of our Journal pages:
English 日本語 Español Português

We have made a lot of improvements to our Journal section pages. Please send your feedback to editor@DiscoverNikkei.org!

media

ja

ハリウッドに賭ける映画監督・北村龍平 その2

(写真提供:北村龍平)

その1を読む>>

封印された第1作

ハリウッドでの第1作は「ミッドナイト・ミートトレイン」。当時はまだ無名だったブラッドリー・クーパーを、北村さん自身が主演に抜擢した作品。しかし、配給会社ライオンズゲートが最も期待をかけていた同作は、思わぬクーデターを経て、北村さんの言葉を借りれば「抹殺」されることになる。会社のトップが変わったことで、新しいトップは旧経営陣が手掛けた作品の全米規模の公開中止を決断したのだ。

当初は3000館で公開される予定だった。これで成功すれば次にはさらに超大作を手掛けることもできたはずだ。しかし、それは叶わず、不運なことに同時期に全米脚本家協会のストライキも勃発。さらにはリーマンショックの影響もあり、2008年から2010年にかけてはハリウッドが機能停止に陥った。北村さんはタイミングが悪い時に渡米したと思われたが、「意地でも日本には帰国したくなかった」と振り返る。「僕が悪いわけじゃなかった。酷評されたわけでもない。ただ、出場するはずの試合がキャンセルされてしまったのです。しかし、自分が悪いわけではないが、負けは負け。環境のせいにすべきではない。そういう逆境をはねのけて(作品が)大規模に公開されるだけの結果にならなかったのは、自分の力が足りなかったからだ、とそう思いました」

日本ではほとんどお目にかからない “クーデター” だが、ハリウッドでは「割とよくある」と北村さんは言う。そして、その低迷期から復活するまでは3年を要した。その間にはさまざまな出会いがあった。アカデミー賞受賞監督でもありケヴィン・コスナーや俳優アル・パチーノには自宅に呼ばれて映画の話に花を咲かせた。知らない番号の電話に出てみると、相手がニコラス・ケイジだったこともある。「I’m a big fan of you(私はあなたの大ファンだ)」とケイジに言われ、北村さんはすぐに「I am a big fan of you(私こそあなたの大ファンだ)」と応えた。

こうした出会いもあり、自分の作品を見て評価してくれる人がいる、と確信した。さらに嬉しい出来事が起こった。抹殺された作品の主演を務めていたブラッドリー・クーパーは、北村監督作品で世に出ることはなかったが、「ハングオーバー」の大ヒットを経て、3年と経たずにスターに登りつめた。2012年には「Silver Linings Playbook(世界にひとつのプレイブック)」でアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた。ノミネートされる前、業界で同作が話題になっていた時、人々は北村さんに「あの映画を見るべきだ」と強く薦めた。さらには、「今、クーパーに脚本を持って行けば、製作資金が簡単に作れる、そうすべきだ」と言う人もいた。しかし、北村さんは「それは、僕がハリウッドで、ブラッドリーに追いついてからやることだ。今はそんな寄生虫のようなことはしたくない」と突っぱねた。

自分でも不器用だと思うと北村さんは言う。3年間、彼に連絡を取ることはなかった。しかし、遂に評判を呼んでいたクーパーの出演作「プレイブック」を見た。「ブラッドリーとジェニファー・ローレンスがデートして大げんかをするシーンがあるんです。その時、そのシーンの背景の映画館にかかっていた映画は何と『ミッドナイト・ミートトレイン』でした」

それを見た時、北村さんの感激はどれほどのものだったろう。そして、クーパーがアカデミー賞にノミネートされた当日、彼に「So proud of you(君をとても誇りに思う)」とテキストした。すると1分半後、返事が届いた。「日本に行くんだが、是非一緒に行かないか」と誘ってくれた。「彼は役者としてだけでなく、人間として素晴らしい」と北村さん。クーパーが自分の作品の中で北村監督作品をさりげなく取り上げたことと、3年ぶりにも関わらずにすぐに返事をくれたその人柄から、低迷期を脱しつつあった北村さんは大きな勇気を得たはずだ。

(写真提供:北村龍平)


日本の才能受け入れたい

さらに敬愛していたメキシコ出身の監督、ギレルモ・デルトロとの交流にも恵まれ、北村さんは新しいプロジェクトを開発し、ハリウッドの初作で失った土台を再構築した。そんな時、日本から呼び戻された。「ルパン三世」の実写版の話だった。「ルパン三世」はアニメ作品として絶対的な支持を受けている。ファンの数だけ「ルパン三世」像が存在する。「ゴジラ」より映画としては難しいとも言われた。しかし、それだけに挑戦しがいがあると北村さんは考えた。映画監督としてのスイッチが押されたのだ。同作の製作には脚本から公開まで2年を要した。VFXとアクションは韓国のチームが担当した。「韓国映画のクオリティはハリウッドに引けを取りません。韓国チームは、僕が提示したビジョンに対して前向きに取り組んでくれました。そういうポジティブでクリエイティブなパッションを彼らは持っています」

「ルパン三世」は大ヒットを記録。「7年ぶりの日本は非常に居心地も良く感じられました。久々の日本復帰作がルパン三世で、絶対に失敗するとか色々とまたネガティヴなことを言われましたが、フタを開けてみると大ヒット。苦労が報われました。でも公開が始まった3日後、僕はロサンゼルスに帰って来ました。居心地のいい場所に留まるわけにはいかないんです。僕が勝負をかけているハリウッドは、世界中からとんでもない才能の人たちが集まっている場所です。しばらく留守にすれば忘れられてしまう。戦線離脱するわけにはいかないのです」

5年後を聞くと「好き放題やっているでしょう。もう、よくなっていくだけ。小さい映画だろうが大きい映画だろうが、やりたいことしかやっていないはずです」と答えた。そして、ハリウッドでの地盤を固めた後は、俳優をはじめとする日本からの才能を受け入れて、一緒にアメリカで映画を作りたいという夢も抱いている。

「ロッキー」「エイリアン」…ハリウッド映画を見て映画監督になると心に決めた日本人の少年は、30数年後、ハリウッドでその夢を形にした。何も約束されていなかった曲がり角の先に、自分の居場所を見つけたのだ。

 

北村龍平オフィシャルサイト: http://www.ryuheikitamura.com/

 

© 2016 Keiko Fukuda

director filmmaker hollywood Ryuhei Kitamura