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長崎源之助が描いた日系人―『ボク、ただいまレンタル中』を読む

日本の児童文学においても、日系人の存在を見つけることができます。わたし自身、かなり前からこの作品のことを知っていましたが、長い間、この作品を強く意識することはありませんでした。しかしながら、数年前に日本社会における韓国系の人々の結婚事情に関する研究を知る機会を得たときに、ふとこの作品を思いだしました。

『ボク、ただいまレンタル中』は1992年11月に、作家の長崎源之助氏(1924-2011)がポプラ社から出版しました。そして出版の翌年、この作品は第39回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書に選ばれました1

この作品の主な登場人物は、主人公の小学6年生の井上一也君と、物語の展開において最も重要な鍵を握る夢野孫一郎こと花村健治のふたりです。

物語は、お年を召した人々の心のよりどころとして,小学生の子供たちを「レンタルまご」として派遣しようと画策していた夢野が、ひとりで公園で遊んでいた一也君に声をかけ、夏休みのアルバイトという名目で彼を「レンタルまご」として採用する場面から始まります。夏休みの間、一也君は「レンタルまご」として、さまざまなお年を召した人々の過去を知る機会を得ました。

一也君が出会ったお年を召した人々に共通するものは「先の戦争」でした。彼は広島の被爆者、「一億総火の玉」のプロパガンダのもと、多くの子供たちを戦場に送り込んだ元教師、日本人による民族差別に苦しんだ韓国系のハルボジ(おじいさん)に出会い、たくさんの話を聞くことになります。

ここで取り上げるのは、一也君が出会った日系人のアキコさんです。


アキコさんとの出会い

ある日のことでした。夢野はいつものように、一也くんにお年を召した人を紹介しました。その人は、アキコ・オノという名前の日系アメリカ人のおばあさんでした。彼女はとてもふくよかで、よくしゃべる人でした。都内のとある駅で待ち合わせたふたりは都電荒川線に乗って、とげぬき地蔵に近い庚申塚の停留所まで行き、「おばあさんの原宿」とよばれている巣鴨の町を目指しました。

アキコさんは日本で生まれたたものの、幼いときから加州(カリフォルニア州)は桑港(サンフランシスコ)の郊外で育ちました。アメリカで成人した彼女は結婚し、子宝にも恵まれました。しかしながら1941年に戦争が勃発した結果、彼女は家族とともに住み慣れた桑港の地を追われ、ユタ州に設けられたトパーズ収容所に入れられました。毎日のように砂嵐が吹くトパーズでの生活は、大変苦しいものでした。

強制収容に続いて、彼女はさらなる悲劇に見舞われました。愛する息子、ススム君が肺炎で亡くなったのです。医療設備や薬の乏しい収容施設では、十分な医療処置を施すことは不可能でした。

彼女はこのときのことを、一也君にこのように語りました。

「ススムは、ああ、不死身のはずのあの子は、その収容所のなかでブタのように死んだんだ。いや、殺されたといっていい。日本軍とアメリカに殺されたんだあの子は、砂あらしのなかでたおれていて肺炎になったが、栄養のあるものも食べられず、薬も注射されずに、苦しさにうめき、熱さにからだじゅうの水分をすいとられて死んだんだ。せめて、あの子に水をじゅうぶんのませてやりたかった。砂あらしによごれない、きれいな空気を胸いっぱいすわせてやりたかった」2
               (*下線部による強調は筆者による)

戦争さえなければ、愛する息子の死という悲劇に見舞われることはなかったのです。アキコさんは、向こう見ずな判断をして戦争を始めた日本政府ににたいして、憎悪の感情をいだくと同時に、日本との戦争を理由に自国民を強制収容したアメリカ政府にたいしても、極めて複雑な感情をいだいていました。

「ミーたち(私達)は長年アメリカに住み、アメリカを愛していた。籍こそ法律でアメリカ人にはなれなかったけど、アメリカを自分の国だと思っていたし、ミーらの子どもたちは、正真正銘のアメリカ国籍だ。それをまるで囚人あつかいにし、家畜同様に収容所にとじこめるなんて、あれはアメリカ民主主義の歴史に、大きな汚点をつけたと思うよ3
               (*下線部による強調は筆者による)

一也君は彼女の話に耳をかたむけていましたが、正直なところ、彼にとって彼女の話は面白いものではありませんでした。見たこともなく行ったこともない、日本から遠く離れた外国で起こったことなど、彼にとっては知るよしもなく、関心の対象ですらなかったからです。そんな一也君でしたが、アキコさんは彼のことを気に入りました。


長崎氏が子供たちに伝えたかったこと

長崎氏がこの本を出版する少し前の1984年、アメリカの日系人社会の中心地として知られる羅府(ロサンゼルス)で夏季五輪が開催されました。同じ頃、この夏季五輪を大きな理由に、作家の山崎豊子が雑誌「週刊新潮」に、日系アメリカ人二世の兄弟を中心に、その友人や家族が引き裂かれた太平洋戦争の悲劇を描いた 『二つの祖国』を連載(1980年6月26日号から1983年8月11日号)し、その後、日本放送協会(NHK)がこの連載小説を題材にした大河ドラマ『山河燃ゆ』を放映(1984年)するなど、日本社会に「日系人ブーム」ともいうべき風潮がみられました。

長崎氏がこのような「日系人ブーム」を強く意識して、アキコさんを登場させたかどうかは定かではありませんが、この本に描かれているアキコさんの戦争体験を読む限り、長崎氏が相当な時間をかけて日系人の歴史について調べたのは明らかです。わたしは、詳細なリサーチのもと、的確な日系人像を子供向けに描いた長崎氏の試みを高く評価するだけでなく、日系人を登場させることで、国や民族といった枠組みに関係なく戦争は悲劇をもたらすんだという強いメッセージ感じ取ることができました。

長崎氏がこの物語をとおして子供たちに一番伝えたかったことは、戦争は人々に悲劇をもたらすだけでなく、人々を狂気に陥れるということです。中国大陸への従軍の経験のあった長崎氏は、市井の人々の戦争体験―日本人のみならず、アメリカに住む日系人の戦争体験なども含めて―に焦点をあてることで戦争を多面的に語り、人類全体にたいする脅威であるということをわかりやすくまとめています。児童文学ではあるものの、万人向けの作品であると、わたしは思います。

注釈:

1. 長崎氏は1956年に『チャコベエ』と『トコトンヤレ』で日本児童文学者協会新人賞を受賞したほか、1980年には『忘れられた島へ』で野間児童文芸賞も受賞しました。1986年から1988年にかけて、偕成社より全集(全20巻)が出版されました。

2. 長崎源之助 『ボク、ただいまレンタル中』 80ページ。

3. 長崎源之助 『ボク、ただいまレンタル中』 80ページ。

 

© 2016 Takamichi Go

Boku tadaima rentaruchu children's book Gennosuke Nagasaki World War II