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The Nikkei of Latin America and Latino Nikkei

キューバの日系人とこれからのチャレンジ

今回、はじめてカリブ海にあるキューバを訪れた。ドミニカ共和国でパンアメリカン日系人大会に参加した後、メキシコ経由で主都ハバナに到着した。サントドミンゴからの直行便も週何便かあるが、かなり高額になるためちょっと遠回りをした。そのおかげで、メキシコシティーの国際空港ではメキシコ等に住むキューバ人に会うことができ、かなり有意義な情報収集ができた。

世界で最も多くキューバ人が住んでいるはアメリカで、2010年の国勢調査によると、180万人である(この6割以上がマイアミがあるフロリダ州にいる)。メキシコ人3千万人、プエルトリコ人460万人に次ぐヒスパニックコミュニティーなのである。メキシコは地理的にも近く、直行便もあるため2万人のキューバ人が住んでいる。海外で永住権を取得キューバ人は、本国と小規模ビジネスをしながら、キューバに住む家族を定期的に訪問している。親戚を呼び寄せたくとも、まだそう簡単に一般のキューバ人が出国できるわけではない。

メキシコの空港では午前8時45分の便に乗ることになっていたが、カウンターに到着した5時ごろには既に多くのキューバ人がびっくりするぐらいたくさんの荷物をもって行列を作っていた。トイレのプラスチックカバー、自転車のチューブ、バイクのタイヤ、エアコン、電気製品、工具、鞄や靴(販売用がほとんど)、等々卸売業者の集まりのようで、驚きの連続だった。彼らの話だと、物資の不足が深刻なので、ありとあらゆるものを持ち帰るという。転売して現金化できるものは、国にいる家族も重宝するというのだ。

以前JICAの日系研修員として来日し、今回街の案内や地元日系人との懇談に協力してくれたフランシス荒川さん。

ハバナのホセマルティ国際空港には、元JICA日系研修員の荒川フランシスさんが迎えにきてくれた。彼女とは、数年前に研修で来日したときに知り合った。今回のキューバ訪問では、他の日系人を紹介してくださったり、家にご招待してくださるなど、彼女には大変お世話になった。また、いろいろな話を聞くことができた。現在ハバナの日系人は今後交流の拡大が予想される日本とのビジネスや文化事業関係の強化を目指している。

キューバの日系社会は、ラテンアメリカの中でも古い歴史があり、1898年に最初の移住者が日本から到着している。家族連れではなく独身男性が中心で、メキシコから渡ってきた人も多いという。他の南米諸国のように計画的に農業移住地を形成したわけではなく国内各地に散らばり、1914年に当時のコンスタンシア(現シエンフエゴス県)に農業生産者団体が設立された。その後、コンスタンシア地域と、あまり肥沃でないピノス島(後のイスラ・デ・ラ・フベントゥー「青年の島」)に多くの日本人が集結するようになった。この両地域で、農協を組織し農業生産向上のためキューバではじめて化学肥料を使用したという記録がある。

皮肉にも、第二次世界大戦中は、このピノス島にあるハイセキュリティーの施設に多くの日本人が収容された(日本人男性342名、日系二世男性8名、日本人女性3名)。革命後カストロ議長が日本と国交正常化する1959年までは、日系人にとってはかなり厳しい状況だったという。

ハバナ滞在中、日系人のリーダーである宮坂フランシスコ氏1に会うことができ、同氏を通じて何人かの日系三世と懇談することもできた。現在、キューバには1200人ぐらいの日系人が存在し、そのうち戦前日本から移住した一世は一人のみでフベントゥー島で生活しているという。近年は、主都で生活する日系人も多く、その数は270名ぐらいで、日本との文化交流等を目的とする新しい団体の登記に奔走している(キューバでは、一つの外国人コミュニティーに一つの団体しか認めないという規定があり、今の緩和策に沿ってハバナを中心に新しい組織の設立を目指している)。

つい最近ハバナで開催された国際見本市(2015年11月2日から7日)では、在キューバ日本大使館とジェトロ(日本貿易振興機構)メキシコ事務所の共催で「ジャパンデー」が行われ、複数の日系企業が出展した。今年の5月には、岸田外務大臣が日本の外相としてはじめてキューバを訪問しており、日系企業の進出に対する環境整備及び経済関係の強化について政府関係者と意見交換をし、政府開発援助ODAの無償資金協力によって不足している医療機材の供与なども話し合われたとされている。この政策方針に沿ってJICA(国際協力機構)も現地事務所開設に動いている。

民芸品&アート市場。国内で外国人観光客向けの作品を制作するアーティストは政府も外貨稼ぎに活用しており、彼たちは海外にもいくことができ、展示会や商談会にも参加することができる。

半世紀以来のアメリカとの国交正常化は新たなビジネスチャンスを意味するが、その前に1962年から制定されているキューバに対する経済制裁の解除が必要不可欠である。外資を歓迎しているとはいえ、手続きや形式要件に手違いがあると許可が下りず、多額の罰金を課せられるので、アメリカ人も在米キューバ人も安易に投資することはできない。

忘れてならないことは、キューバは社会主義国家であり、すべての事業は時間のかかる計画と官僚機構の判断に委ねられている。外国人も外資系企業も、キューバで不動産を購入することはできないし、地元職員を雇うにも国の指定機関を通じてしかできない。すべての手続きに信じられないほど時間がかかるし、細かい規定の適用は行政官の過剰かつ勝手な裁量権と気分に左右されることも多い。フランスやスペインの企業は既に通信や観光産業等に進出しているが、そうした理不尽なエピソードはたくさんあるという。

キューバ市立墓地内にある日本人霊堂。
戦前に移住した多くの日本人の棺が納骨されている。

今回は、ハバナのみの3泊4日の滞在だったが、フランシスさんのご好意で外国人観光客がいく旧市街地を散策し、多くの日本人一世や日系二世が永眠しているハバナ市営墓地の中にある「キューバ日系人慰霊堂」も訪れることができた。荒川さん宅では楽しい夕食を共にした。また、観光客一人ではあまり行かない地区を見学しながら、いろいろな地元の人と雑談した。

一般市民の生活はかなり苦しく、今も食料の配給に依存している。食材の質もあまり良くなく、市場で購入するにも現金が必要である。月3千円から5千円相当の手取りでは、最低限のものも購入できないという。国連のラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC-西語ではCEPAL)によると、一人当たりの平均所得は年間75万円相当で、国内総生産が9兆円弱だが、社会生活をみる限りそれを反映しているとは到底思えない2

政府も自営業の拡大を奨励しており、家や車を持っている者は民泊サービスやタクシー経営ができる。外国人観光客向けだといい収入になるが、その75%は国に上納しなくてはならない。許可事業なので、当局を騙したりすると大変なことになるそうだ。それでも、こうしたビジネスをできる人はまだ恵まれている。街の市場には野菜や豚肉等が売られていたが、衛生管理が十分とはいえず、冷蔵庫もなかった。また、あっても停電が多いのできちんと保存ができないと指摘していた。

一般のキューバ人が肉や野菜を購入する市場だが、衛生管理はかなりずさんだ。

外国人居住者向けの購入スーパー。

病院にもちょっと立ちより、アルゼンチンなまりのスペイン語で待合室にいたおばちゃんたちに話を聞いてみた。待ち時間も長く、検査用の機材や資材もないとぼやいていた。世界的にも医療水準が高いキューバだが、それは一部の特権階級とドルで支払う外国人富裕層のためだと言っていた(病院の外で露天をやっている人たちは何でも知っている様子だった)。

後から調べると、キューバ人医師の質はそう悪くなくとも多くが外貨稼ぎのために政府から海外に派遣されており、5−6万人がベネズエラやブラジル、コスタリカ、アルゼンチン、ポルトガルなどで働いている。政府は一人当たり月4千ドル以上を請求しているが、医師の手取りは1200ドルぐらいだとされている(キューバ国内いるときは月50ドルで年収7万円だったので、月15万円相当は高額でとても魅力的である)。ときにはこうした医師も亡命してしまい、キューバに戻らないことを選択するようである。キューバにとって、医師の派遣は年間8,000億円相当の外貨収入であり、海外の同胞から送金されてくる1,200億円(10億ドル)よりかなり高い数字である。

「万人が平等の国家」という理想のもとアメリカやメキシコ等から送金が届く世帯は比較的恵まれた生活水準で、そうでない世帯との格差はますます開いている。モノが買える人にとっては、今後の輸入拡大はもっと豊かで便利な生活を意味するが、社会不満が拡大することも懸念されている。

観光客は現在300万人ぐらいだが、今後はもっと増えるに違いない。一泊2万円から3万円の高級ホテルは常に満室状態で、宿泊施設も足りない。そのため観光産業への投資も急務とされている。農業生産や加工食品産業の育成も優先課題とされているが、労働生産性や技術革新という概念はまだ多くのキューバ人には聞き慣れないものである。特産品である葉巻、モヒートのベースになるラム酒(サトウキビから醸造する蒸留酒)、ロブスター、ニッケル、砂糖だけでは、一般の人をもっと豊かにすることはできない。

教育水準や平均寿命(平均80歳)が高くても、グローバル化した世界経済の中で生き延びるにはこれまでとは想像できないほどの努力と意識改革が必要である。制度上、ベトナムのような経済開放と政治体制で今後の改革を目指していきたいという政府関係者の発言もあるが、ベトナム人とキューバ人との間には仕事への姿勢も国内市場規模も根本的に異なる3

今後ネット環境もかなり改善されるであろう。政府がいくら監視体制を強化し、限定的にしか経済を開放しなくても、新たな情報や可能性が国民に刺激をもたらすに違いない。期待感が高まるとそれだけ当局への要求も増える。

ハバナ在住の日系人も日本との架け橋という役割に期待を高めている。そのうちに日本での研修や留学の機会も増えるに違いない、そしてここで学んだ知識や経験が、どのように多くのものが不足しているキューバのために活用できるかが大きなチャレンジである。

注釈:

1. ディカバー・ニッケイに掲載されているインタビュー ”Francisco Miyasaka On Being a Cuban Nisei” [3パート、英語のみ] (October 2013)。
宮坂氏は、戦後カストロ政権になってからはキューバ通産省に入省し、1961年から64年の間在京キューバ大使館の商務官として就任した。現在、日本の商社双日の現地幹部である。

2. 信頼度の高い統計かどうか定かではないが、この数字は、経済が好調なペルー並みの一人当たりの所得額に値する。政府からの食料・住宅・教育及び医療補助等を含めると、ほぼ同等の生活水準を表しているのかも知れないが、数字上ではペル一の一人当たりの所得と同等である。

3. ベトナムの人口はキューバの9倍で、9千万人を超える。GDPは約20兆円相当で、一人当たりの平均所得は25万円で、キューバの3分の1以下である。しかし、市場規模や購買力等をみるかぎり、ベトナムの活気が何倍も優っている。 
参照:ベトナム概況(JETRO)

 

© 2016 Alberto J. Matsumoto

cuba nikkei

About this series

Lic. Alberto Matsumoto examines the many different aspects of the Nikkei in Japan, from migration politics regarding the labor market for immigrants to acculturation with Japanese language and customs by way of primary and higher education.  He analyzes the internal experiences of Latino Nikkei in their country of origin, including their identity and personal, cultural, and social coexistence in the changing context of globalization.