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NHL試合で米国歌を演奏したミュージシャン -トシ・ヤナギさん- その1

「日本人の僕でいいのかな?」

2015年10月のNYレンジャースの試合の前の国歌演奏。左がトシさん。(写真:Jared Silber/MSG Photos)

2015年10月18日、ニューヨークのマジソンスクエアガーデン。NHL(ナショナルホッケーリーグ)のニューヨーク・レンジャースの試合前の国歌演奏の晴れ舞台に立ったのは、日本人ギタリスト、トシ・ヤナギさんだった。全米ネットワークされているABCの「ジミー・キメル・ライブ」に出演しているギタリストと言えば思い当たる人も少なくないはずだ。彼のレギュラー出演は番組開始当初からで13年になる。

プロスポーツのシーズン最初の試合の前に斉唱されるアメリカ国歌は非常に神聖なイベントであり、シンガーやプレイヤーとして指名を受けることは栄誉あるとのこと。「ジミー・キメル・ライブがちょうど1週間ニューヨークで撮影されるという時期に、レンジャースの国歌演奏に声がかかっているけどやってみないか?と、僕の東海岸での仕事をブッキングしてくれるエージェントに言われたのです」と、経緯を語るのはトシさん本人だ。

「最初は日本人の僕でいいのかな?という思いもありました。でも、アメリカ国歌を大勢の人が注目するプロスポーツのゲームで演奏するなんて、そうそうない機会です。面白そうだな、よしやってみよう、と。そして、ギター1本ではなくやはり歌が必要だろうということで、キメル・ライブのバンドのシンガーを誘って二人でやることにしました」

アメリカ国歌をどのようにギターで表現するかについてトシさんなりの研究を始めたのは、話を受けてからだった。彼はいつだってそうだったと振り返る。「イエスと言ってから、さてどうやって弾くのかを練習し、どのように弾こうかと研究するんです」。興味が引かれる話には乗ってみる、それから必死に対策を練るのがトシさん流だ。

さて、アメリカの映画界では、ハリウッドに根を下ろして活躍する日本人の顔が何人か思い浮かぶ。しかし、アメリカの音楽界で活躍している日本人となると果たして?そのような状況の中にあって、全米ネットワークのテレビにレギュラー出演しているミュージシャンであるトシさん。彼はどのような道を辿って現在の地位を手に入れたのか?話は30年前に遡る。


サンフランシスコ行きの片道切符

1985年4月、成田発サンフランシスコ行きの機内にトシさんの姿があった。オペラ歌手の父親とピアノ教師の両親のもとで育ったトシさんは、クラシック音楽と並行して、いつしかロックミュージックの虜となっていた。高校を卒業したらアメリカに行き、ロックの本場でギタリストになりたい!そんな熱い夢の後押しをしてくれたのは、アメリカ行きの片道切符をトシさんに渡してくれた母親だった。こうして、高校を卒業したばかり、英語もほとんど話せなかった19歳の彼は、1本のギターとパスポートを手に日本を後にした。

サンフランシスコ経由でロサンゼルスに落ち着いたトシさんは、ハリウッドに現在もある音楽専門学校に入学した。その学校で、教師に言われた次の言葉が今も印象に残っていると言う。

「音楽の世界で食べていけるようになるには最低10年が必要だ」。トシさんはその言葉を聞きながら、30歳までに音楽で生計を立て、結婚をして家庭を構え、できれば一軒家を購入していたいとぼんやりと考えていたそうだ。そして彼のその夢は一つひとつ叶えられていった。

学校卒業後にスタジオミュージシャンとの交流を通じて、彼らのバンド、セシリア・アンド・ワイルドクラムスへの加入が認められ、そこからトシさんの音楽業界でのストーリーが始まった。バンドの活動拠点だったのがハリウッドにある老舗ライブハウスのベイクドポテト。トシさんは演奏がない日でも、ほぼ毎日のようにベイクドポテトに通った。そして、高校時代に憧れの存在で、渡米したいという思いに火をつけたロックバンドTOTOのスティーブ・ルカサーともその店で実際に出会った。

さらにワールドカラーというバンドでは、三味線とギターのプレイヤーとして活動に参加。三味線を演奏できたことが永住権取得に役立った。

トシ・ヤナギさん(写真:Greg Vorobiov)

こうして音楽活動を続けていけばいくほど、ネットワークが広がっていった。渡米11年目の1996年には、ビッグなミュージシャンのワールドツアーにも声がかかるようになっていた。シェリル・クロウやブライアン・アダムスのツアーに参加したのもこの頃だ。

そしてロサンゼルスの家に帰宅すると、嬉しいニュースが待っていた。大御所の音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズの音楽番組「ヴァイヴ」の専属ギタリストのオファーだった。

晴れて同番組の専属ギタリストとなったトシだが、このショーでは心臓が止まるような経験もしたと振り返る。「ゲストにジェイムス・ブラウンが出演した時のこと。周囲も皆、『ミスター・ブラウン』と呼ぶほど緊張した空気が流れた。そして彼の名曲『セックスマシーン』をリハーサルで演奏し始めた時、急にミスター・ブラウンが歌い出さずに『おい、そこのギタープレイヤー』と僕を指差したんだ。ドキっとした。何やってしまったんだろうと固まったら、『グルーヴ感が違う』と言われた。譜面通りに弾くだけじゃだめなんだ、と体得したのはあの時のミスター・ブラウンの一言がきっかけだった」

そして「ヴァイヴ」の出演で安定収入を確保できたことで、専門学校の教師が言った「音楽で生活できるには10年かかる」という言葉が現実のものとなった。そこで当時既に結婚していたトシさんは、夫婦で物件を見てまわり、スタジオから遠くない場所に念願の一軒家を購入した。ところが、彼がレギュラー出演していた番組「ヴァイブ」は、何と突然の最終回を迎えてしまう。家のローンをこれから払い始めるという時に…。

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© 2015 Keiko Fukuda

guitarist music musician Shin-Issei