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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2014/3/5/taiko-minowa-toshiyasu/

太鼓指導員 蓑輪敏泰さんに聞く

7年間で26万キロ=文化としての和太鼓伝え

JICAシニアボランティアや、ブラジル太鼓協会の依頼により約7年間ブラジルで和太鼓指導にあたった蓑輪敏泰さん(65、宮崎県)が11月1日に任期を終え帰国する。コロニアの若い世代を盛り立て、ブラジル社会を巻きこみ普及していく和太鼓界を絶えず後押ししてきた。同協会で本紙のインタビューに答え、「皆さんお世話になりました。すばらしい思い出を持って日本に帰ります。また帰ってくることを願っています」と感謝をのべた。

ブラジル太鼓協会で7年間を振り返る蓑輪さん

これまで太鼓指導に訪れた場所を尋ねると、「サンパウロ、パラナ、マット・グロッソ、ゴイアス、アマパー、トカンチンス、ロンドニア…」と赴いた州を指折り数え、「移動距離でいえば約26万キロ。地球6周したことになる」と自分で目を丸くした。

初来伯は2007年。百周年の記念事業「千人太鼓」の準備のため、太鼓人口がぐんと増えた頃だった。翌年には日本でプロとして活躍する娘の真弥さんも応援に駆けつけ、指導にあたった。

「当時は老いも若きも一緒になって太鼓を叩いた。今はだんだん若い子に移行してきているし、以前はほとんど見なかった非日系も1割弱はいる。技能的レベルも上がってきた」と太鼓界の変化を語る。

太鼓人口は、同協会の加盟チームで約2千人、08年以降はほぼ横ばいだ。ただし、非加盟チームがまだ150以上はあるため、年会費(現在80レアル)を下げて加盟しやすい体制を作ることも、今後の課題の一つだ。

「ブラジルの子達は早打ちを第一義に考えてしまいがち。和太鼓に大事なのは『静』をいかに表現するか。パフォーマンスで見せるのはまだまだ先の話」。サンバのリズムが染み付いているブラジル人に、『間』を理解させるのにも苦心した。

髪染め、アクセサリー類は禁止。リーダーの遅刻など無責任な行為は容赦なく叱りつけ、時間厳守も徹底した。「自分のことは自分でする」を原則に、家政婦になれた当地の子に自己責任も教える。「学校ではいいのに、どうしてだめなの」と反発しても、蓑輪さんは譲らない。

「太鼓の周りには文化がある。日本の子は『なぜいけないか』を感じとれるが、ブラジルの子には理由付けが必要。とにかく定着するまで口をすっぱくして繰り返し教えるしかない」。単なる楽器指導に終わらない、それが和太鼓指導の主眼でもある。技術重視だった当初の審査基準も、「曲に合った演奏」や「こどもらしさ」を重んじる日本的なものに改訂された。

蓑輪さんの耳には、「子どもが挨拶するようになってきた」「和太鼓を通して孫との会話が増えた」など、子どもの変化を喜ぶ声がコロニアから届くという。しかし当地では、チームの責任者は和太鼓には疎く指導ができず、リーダーも2~3年で交代してしまう。日本文化としての和太鼓普及は、まだ始まったばかりなのかもしれない。

太鼓指導をする蓑輪さん

祖母の太鼓がある限り=チャンスあふれる伯国

日本がオリンピック景気に沸いていた1960年初頭、蓑輪さんは東京でサラリーマンをしていた。経済的余裕がなくて帰郷できず、靖国神社の盆踊りを見ながら24歳の盆を過ごした。「やぐらの上での一人打ちを見て、いつかやってみたいと思った」と、当時の感動を回想する。

上京4年後に故郷の宮城県串間市に帰った。働き盛りの若者は都会にデカセギに出ており、村からは盆踊りは消えていた。

37歳の時、町おこしの一環として青年らによる和太鼓チームを立ち上げた。さらにそれから2年後、家を建てたのを機に「盆踊りを復活させたい」と決心。地区の住人や婦人会を巻き込んで、歌い手、踊り手、奏者をつのって準備し、20年ぶりに町に盆踊りを復活させた。

塾の経営、中学校の非常勤講師、農業と3足のわらじを履いて、土日や週末を太鼓にあてる日々。台湾やシンガポールにチームの子どもたちを連れて演奏やワークショップにも出かけた。そこで「外国人が意外と興味をもつな」と手ごたえを得たことが、JICAボランティアに志願するきっかけになったという。

「初めて買った太鼓は、死んだ祖母が残してくれた100万円で買ったもの。だからばあさんの太鼓がある限り、太鼓はやめられない」。村の太鼓チームから巣立った娘の真弥さんは、そんな父の想いを引き継ぐかのように、世界を股にかけるプロの和太鼓集団「鼓童」で活躍している。

* * * * *

契約を更新しつつ7年弱を当地で過ごしたが、「3年前、1カ月延長した間に親父がなくなった。お袋ももう87歳。何かあったら大変だから」とつぶやく。ブラジル勤務は今回を最後にし、もっと近場に勤務地を変えることも考えたが、結論はまだ出ていないという。

「ブラジルには、これからW杯に向けて、色々な場面があるはず。政府からの助成金や公益団体認定も必要になってくる。もしこれが最後になっても、全伯大会には毎年出席したい」。

恩師が全伯に蒔いた種は、これからどこまで育つのだろうか。次の赴任地がどこであっても、当地にエールを送り続けてくれることだろう。

 

* 本稿は、『ニッケイ新聞』(2013年10月29、30日掲載)からの転載です。

© 2013 Nikkey Shimbun

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About the Author

After working as a public elementary school teacher, he has been living in Brazil since 2011. As a reporter for the Nikkei Shimbun, he covers events and culture in the Japanese community, as well as people active in Brazilian society. Other serials include "Brazil: A Paradise for Fertility Treatment" and "Yuta: The Spiritual World of Immigrant Society."

(Updated January 2014)

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