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日系人社会における市民権の問題について:「N・R・A・の米國」を読んで思ったこと

ロサンゼルスで1931年に加州毎日新聞社を立ち上げた藤井整は、1934年11月に「N・R・A・の米國 附在米日本人の産業」を出版しました。1 彼がこの本を出版した主な目的は、世界恐慌のさなかに、アメリカ政府が打ちだしたニュー・ディール政策の詳細や当時の国際関係を、日系人社会に伝えるためでした。

藤井整はこの本の冒頭において、このように記しています。

この拙著を
在米幾十年の尊敬する先輩各位
親愛なる同胞諸氏
および
わが親しき友人達
愛する第二世諸君
に捧ぐ

この本は、日本語を母語とする一世にとって、アメリカ社会における生活術の指南書となり、将来の日系人社会を支える二世たちへの藤井整の愛情のあらわれでもありました。

この著書は、8つの章に分かれています。第1章~第6章は、当時のアメリカ政府の経済政策、フランクリン・ルーズベルト大統領の人物像、さらには、当時の国際情勢や一世の経済活動へのアドバイスで構成されています。第7章~附録は、主に当時の日系人事情について記されています。

今回は、彼がこの本の第7章において言及している、アメリカ社会における市民権の問題について、わたしなりの感想を書きたいと思います。

日系人社会とアメリカの市民権

黎明期の日系人社会において、市民権問題は極めて深刻なものでした。アメリカ生まれで、アメリカ育ちの二世には、生まれながらにしてアメリカの市民権が与えられた一方で、日本で生まれ育った一世がアメリカの市民権を取得するまでには、長い時間を要しました。一世にとって、アメリカの市民権が取得できなかったことは、当時の日系人社会においては、発展の足かせとなっていました。

1913年、加州の州議会において、一世による土地購入を禁止した外人土地法(排日土地法)が成立しました。これは、日露戦争において日本がロシアを破ったことや、日本が朝鮮半島を植民地化したことによって、アメリカ社会で急速に黄禍論が高まったことなどもその原因の一つとなっています。

外人土地法によって土地所有の道を絶たれた一世は、経済活動が厳しく制限されましたが、アメリカ生まれの二世の名義で土地を借りたり、購入したりするなどして一時的に対処してきました。ところが、まもなく未成年者の土地購入も禁止されたことから、一世の立場はさらに苦しいものとなりました。

そのような状況のなか、一世の小沢孝雄は1922年に、市民権獲得を目的にアメリカ政府を訴えましたが、却下されてしまいました。2 

また、この裁判から数年後、本の著者である藤井整は、市民権を取得できないという立場でありながら、ヨーロッパ系の弁護士、J・マリオン・ライト(J. Marion Wright)の助けを借りて外人土地法に立ちむかい、1928年に、日本人病院を設立を加州州政府に認めさせました。3 

これら一連の日系人の人権をめぐる一世の戦いを知ったとき、わたしは生まれて初めて、市民権というものが、数ある人権のうち、最も重要なものであることを認識しました。

のちに、成人した二世の若者らは、市民協会(Japanese American Citizens League)を結成し、日系人のアメリカ社会における地位向上に努めました。当時の若者たちのなかには、市民権をもつ二世が「良きアメリカ市民」であることをアメリカ社会にアピールすることによって、一世の人権も確立できるだろうという考えをもった人々がいました。

その後、日本との戦争が始まり、多くの日系人が収容所生活を余儀なくされてしまい、市民協会は極めて苦しい状況に立たされました。

1952年、一世によるアメリカ市民権獲得がようやく可能となりました。そして同じ年、藤井整は、外人土地法を葬ることに成功し、一世の人権を確立させました。4

戦後になってこのような人権確立が成功した理由のひとつとして、二世兵士らの活躍があげられます。ヨーロッパの戦地で活躍した第442部隊、情報戦に大きく貢献した陸軍情報部隊、さらには朝鮮半島で勇ましく戦っていた二世の活躍がアメリカ社会に知れわたり、「敵性人種」とされた日系人にたいするまなざしに、大きな変化があらわれたからです。5

長年にわたって差別を受けてきた日系人社会が、世代に関わらず、自らの人権を確立するためにアメリカ社会に訴え、それらを勝ちとっていったことは、日系人社会の「財産」であると、わたしは思います。わたしは、より良い生活を求め、将来のためにさまざまな犠牲をはらってきた多くの日系人に、心からの敬意を表したいと思います。

日本社会がかかえる市民権の問題

日系人社会における市民権の問題は、これからの日本社会を活きる人々へのヒントになりうることを、わたしは確信しています。なぜならば、アメリカ社会においても、日本社会においても、市民権の問題は、侵すことのできない権利だからです。

そしてわたしは、日系人社会における市民権をめぐる諸問題に向きあうたびに、台湾系日本人という立場から、「外国につながる子ども」の市民権についても考えるようになりました。

日本社会における市民権の問題は、現代の日本社会がかかえる解決すべき諸問題のひとつです。この問題の根幹に、1947年に天皇裕仁によって出された最後の勅令によって、旧植民地出身者の市民権を日本政府が一方的に剥奪したことがあげられます。6

また、日本政府は1984年の国籍法改正で、それまでの父系優先血統主義を廃し、両系血統主義に改めました。日本人の父親をもつ子供たちに無条件で日本の市民権が与えられた一方、日本人の母親をもつ子供たちには市民権が与えられず、市民権をもたない子供たちの存在が問題視されたからです。

こうした法改正の背景には、国際結婚率の増加と日本社会における女性差別の問題が国際的な関心事になったことが挙げられます。7これを、ガイアツ(外圧)にともなう法改正であったと受けとめる日本人は少なくありませんが、国際結婚の当事者のひとりとして、「外国につながる子ども」の市民権の問題の解決が、80年代まで先送りされたことは許しがたいことであったと思います。

その後も、日本社会における市民権にかんしての議論が重ねられました。なかでも一番の焦点となっているのは、日本国籍保持者の多重国籍を法的に認めるか否かということです。外国とのつながりがさらに密接になっている現代の日本社会においては、「外国につながる子ども」の存在は、さらに目立つものになると思います。さらには、1990年以後来日した中南米からの日系人の定住化も進んでいます。8 

しかし、その一方で、このような社会変化が受け入れられず、外国につながりを持つ人々を日本社会から排除すべきだと主張するグループが存在するのも確かです。9

ひとりの「外国につながる」日本人として、わたしなりに、日本社会や日本人にたいして「特別な思い入れ」を持っています。排外主義をとなえる人々の意見にまどわされるのではなく、当事者との対話を積極的に実践することで、日本社会における市民権の問題が、建設的に議論され、ほんとうの意味において、開かれた日本社会の時代が来ることを願っています。

 

注釈:

1. 警醒社(戦前に存在した、日本のキリスト系出版社)をとおして出版されました。また、著書の題にでてくるNRAとは、世界恐慌のさなかに設立された国家復興庁(National Recovery Administration)の略であり、全米ライフル協会(National Rifle Association)とは一切の関係がありません。

2. 小沢対米国政府判決(Ozawa vs. the United States)。

3. ジョーダン対田代判決(Jordan vs. Tashiro)。

4. 藤井対加州州政府判決(Fujii vs. California)。彼がこの裁判で勝訴したのは、、南北戦争後の国家再建期(Reconstruction)に成立した奴隷制度から解放されたアフリカ系アメリカ人の人権を保障した合衆国憲法修正第14条(The 14th Amendment of the United States Constitution)の存在や、市民権をもたない住民の人権を保障した、1886年のイック・ウー(益和)対ホプキンズ判決(Yick Wo v. Hopkins)を活用したこと挙げられると思います。

5. アメリカ主導による日本民主化政策や、さらには冷戦によるアメリカの対日戦略の影響もありました。

6. GHQの圧力によって行われたという一面もあったが、このような決定は現代の日本社会における外国出身者の法的地位と社会的地位のあり方に大きな影響をもたらしました。

7. 日本政府は1980年に、女子差別撤廃条約に署名しました。これは国籍法改正のみならず、男女雇用機会均等法改正にも大きな影響をもたらしました。

8. 1990年に日本政府は外国人労働者の受け入れを目的に、入管法を改正しました。これをきっかけに、中南米などを中心に数十万人の日系人が来日しまし、日本社会における多文化共生のあり方に大きな課題をもたらしました。また、ブラジルの法規においては、ブラジルの市民権を保持している人々が、それを放棄することは出来ないとされています。

9. 在特会(在日特権を許さない市民の会)の活動については、アメリカ国務省が発表した2013年度の人権報告書においても言及されていますが、同年の参議院選挙においては、外国人排斥を主張する政治団体、維新政党・新風が候補者を擁立させたことが話題となりました。議席を得ることはなかったものの、合計して16万票以上の得票を獲得しました。さらには、元警察官で外国人犯罪専門家を称する坂東忠信は、自身の活動を外国人犯罪から日本国民を守るためのものとしているが、実際には外国人の排斥を助長するものとして、批判を受けている。

 

© 2014 Takamichi Go

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