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限りなく遠かった出会い

お風呂と味噌汁

私は子供の頃、よく白人に「Ei! Japones」と呼ばれた。こう呼ばれると、何となく白人から「見下され」、「別物扱い」されている様に感じた。

実際、この呼び方は、日系人を蔑む形でよく使われていた。これは日本人同士の集団性といったような白人社会には理解出来ない日常の習慣とか、ポルトガル語の発音のなまりが原因だったのかもしれない。また、日系社会は二流から三流社会層の家庭が中心で、学問はできても白人の中・上流社会とは縁が薄く、そこにはわれわれ日系人が入れない壁があった。当時の私たちにとって、信頼できる「ガランチード」という評判が救いであった。

あの頃の日系人とは何であったのだろうか。今の日系人とは何であるのだろうか。私たちはどう見られているのだろうか。もしも私たちが日系人でなかったら、見下されることはなかったのだろうか。

しかし、最近は日系人に対する見方が変りつつあるようだ。

ブラジルは多国民構成国であるため、人種識別が浮き彫りになることが多く、人を見るとき、人種だけでなく、背景にある国民性と国家イメージをも見る。日系人に対する見方は、日本の国民性なども影響しているのは確かである。

そして、私たちに対する見方が変ってきたのは、日本のイメージが向上したからだ。敗戦後、日本は高度成長を遂げ、世界第二位の経済大国の地位を獲得した。これは現在のブラジル国内での日系人評価の大きな土台になっている。

日本が高度成長を成し遂げた背景には、物作りの優秀性と企画力が決定的であったと思う。同じ事は、ドイツ(機械技術、レンズ技術)、イギリス(造船技術)、イタリア(加工技術)、スイス(時計技術)に対しても言える。

では、日本人固有のイメージとは何なのであろうか?

おそらくそれは、戦国時代から培ってきた武士道という精神であろう。しかしこの武士道の精神は、長年私たち日系人を「Ei! Japones」と呼ぶブラジル白人にはあまり理解されていなかった。武士道は、日系人の滑稽さをアピールするコマーシャルにしか使われず、ブラジル白人達には、ゆがんだ形で日本人像が伝わった。

しかし2003年、映画「ラストサムライ」の世界的ヒットを機に、それも大きく変わった。それまでは、日本の文化を笑いの対象として描くものが多かったが、この映画では日本人精神、すなわち武士道の良さに焦点を当てていた。この映画は、習慣の違いを滑稽なものとして描き売り物にするのではなく、「品のある美」として表現していたのである。結果、文化の違いの美を知る事が、教養としてみなされるようになった。「ラストサムライ」のヒットは、明らかに日系人のイメージ向上に一躍買ったといえる。

そして数年前からは、日本からのゲーム、アニメ、音楽といった文化が若者を中心に圧倒的な人気を集めている。もう「Japones」が見下される事は無い。私達の見られ方は変ってきたのだ。

数年まえ亡くなった伯父が言っていた事思い出す。「なんと言ってもブラジル人には、お風呂と味噌汁の味はわかりゃせん!」。しかし、これももう通用しなくなった。今、ブラジルでは「お風呂」ブームだ。先日行ったすし屋は、満員だったが日系客はまったくいなかった。そこで、白人カップルの一人が「源さん!オアイソウ!」と言って手を上げたのに目が止まった。味噌汁をすすっていた。

さすがに、天国に居る伯父も完全に裏切られたのである。

1954年、10歳。小学卒業の時。当時はジャポネースと呼ばれ気にしていた。(前列右から4人目)。

* * *

追記:上記は十年前に記述した当時の私の見解である。その後、私たちの日常を揺るがすような出来事があった。世界を震撼させた2011年3月11日の震度9.0の東日本大震災である。史上最大級の津波、初めての原子力発電所メルトダウン事故・・・第二次世界戦争の原子力爆弾による世界初の国民へ対しての破壊などを体験した世界唯一の国日本に世界の注目が寄せられた。特に震災直後、暴動や略奪を起こさなかった日本はて世界のメディアに賞賛された。

さらに、体力的にも他国の選手に差をつけられながらも粘り強くフェアープレイをもって戦った日本の男子サッカーチームと世界に感動を与えた「なでしこジャパン」に対し、入退場時に送られた世界からの応援とサポートに答える感謝の心。私はそれをみて世界が日本を見る目はさらに変わったと実感した。そこには日本人独特の礼儀そのものを感じた。

それはブラジルでも、私たち日系人の日常生活で肌に感じるところがある。

 

* このエッセイは2004年にサンパウロ新聞に記載されたものに一部修正を加えたものです。

 

© 2013 Hidemitsu Miyamura

Brazil culture identity

About this series

1934年19歳で単身ブラジルに移住し、81歳にブラジルで他界した父が書き残した日記や、祖父一家の体験話などをもとに、彼らのたどった旅路を、サンパウロ新聞のコラム「読者ルーム」に連載した(2003年4月~2005年8月)。そしてそのコラムをまとめ、「限りなく遠かった出会い」として、2005年に出版した。このシリーズでは、そのいくつかのエピソードを紹介する。