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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2013/1/29/4750/

オレンジ郡の日系社会の歴史を将来へ―ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん

ウラシマさんとの「出会い」

先日、わたしはオレンジ郡で活躍されているフリー・ジャーナリストのメアリー・アダムス‐ウラシマさん(Mary Adams Urashima)に会いました。

メアリー・アダムス‐ウラシマさん

彼女は現在、「ウインターズバーグ地区のブログ(英語名は“Historic Wintersburg”)」を通して、オレンジ郡南部の日系社会の歴史を将来に残す為の活動をされており、ブログを通してこの地域に活きる日系人についてのストーリーを紹介しています。

オレンジ郡の南部には、加州大学などの著名な教育機関のみならず、日系の小売店や日本企業の事業所等があるため、在米日本人にとっては最も親しみのある地域のひとつです。また、ディスニーランド、エンジェルス・スタジアム、ホンダ・プラザ(プロホッケーチームのダックスの本拠地)、サウス・コースト・プラザ等もあり、多くの日本人観光客が訪れます。数年前に書いた記事でも述べましたが、このオレンジ郡にはあまり知られていない1世紀以上にも続く長い日系社会の歴史があるのです。

ウラシマさんは、この知られざるオレンジ郡の日系人の歴史を知ってもらうと、自らのブログをとおして、この地域の日系社会にまつわるさまざまなエピソードを紹介しています。また、ウインターズバーグ長老教会の旧礼拝堂をはじめとした、オレンジ郡の日系社会にゆかりのある建造物等をオレンジ郡の歴史的遺産として保存する活動にも精力的に取り組んでいます。

現在、ウラシマさんが保存活動に取り組んでいるウインターズバーグ長老教会の旧礼拝堂の様子

そんなウラシマさんとわたしの「出会い」は、彼女がブログを書くにあたり、わたしのブログ記事を参考にしたことがきっかけでした。

初めてウラシマさん会うことになった日、彼女は待ち合わせ場所としてハンティントン・ビーチ市内にあるベーカリー・ショップを指定しました。そこは、オレンジ郡の日系社会の「開拓者」である秋山一家が鯉の養殖を行っていた地域であり、古田一家がウインターズバーグのミッション(ウインターズバーグ長老教会の前身)をつくる為にみずからの土地を寄付した地域でもあります。オレンジ郡の日系社会について語りあうための、最も相応しい場所をウラシマさんは選んでくれたのです。

古田家、オレンジ郡日系社会の開拓者

消えた「家宝」の話

ベーカリー・ショップに入りコーヒーを注文するとすぐに、ウラシマさんは、この地域で日系社会を興した「開拓者」たちの歴史について熱心に語りはじめました。

ヘンリー・キヨミ・アキヤマ氏、オレンジ郡日系社会の開拓者のひとり

彼女の熱弁はおよそ1時間くらい続きました。なかでも、特にわたしが関心を持ったものは、庭に埋められた「家宝」の日本刀についてでした。

日米戦争勃発直後、多くの日系人が日本の文化や伝統に関係あるものを破壊したといわれています。ウラシマさんによると、オレンジ郡のある日系人一家は戦争が勃発の知らせを聞くとすぐに、先祖代々伝わる「家宝」の日本刀を彼らの所有していた土地のどこかに埋めたというのです。その後、この一家は他の日系人とともにバスに乗せられ、加州とアリゾナ州の州境付近につくられたポストン収容施設へと連れて行かれました。戦後、彼らは幸いにもオレンジ郡に戻ることが出来たのですが、戦後の混乱期ゆえに、埋めた「家宝」を見つけることが出来ませんでした。

しかし話はここでは終わりません。この「家宝」がいまだにオレンジ郡のどこかに埋まっていると信じているウラシマさんは、現在、郡の許可を得て考古学的調査を行う計画を立てていると話してくれました。そして、埋められた日本刀が見つかったあかつきには、それを所有していた家族に返還したいというのです。まるで、著名人の埋蔵金伝説を解明するプロジェクトのようですが、わたしは、ウラシマさんの日系人の歴史に対するその熱心さにとても感激しました。彼女の熱意がむくわれ、近い将来、「家宝」の日本刀を持ち主に手渡せる日が来ることを願っています。

日本に生活の拠点をおいていると、日系人のことについて語りあうことの出来る人が周囲にいないので、久しぶりに日系人の文化や歴史について思う存分話し合うことができたので、ウラシマさんへの感謝の気持ちでいっぱいになりました。

ウラシマさんが日系人の歴史と向きあうようになった「きっかけ」

こんなにも日系人の歴史に関心のあるウラシマさんですが、彼女はヨーロッパ系のアメリカ人です。彼女が日系人の歴史について調べるようになった「きっかけ」について、自らその「いきさつ」についてわたしに語ってくれました。

ウラシマさんには、日系人のアイデンティティを受け継ぐ、ハパの息子さんがいます。彼女は息子さんにも日系人の歴史を良く知ってもらいたいと、自ら日系人の歴史の勉強を始めたそうです。

そして、日系人のさまざまな戦争体験や、地元オレンジ郡の日系人の歴史を息子さんに教えるようになったそうです。彼はこの春、大学生になるとのことですが、大学に入ってからも日系人の歴史について、さまざまな勉強をしてくれれば幸いです。

「他者」を理解することの大切さについて

ハンティントン・ビーチ市内にあるベーカリー・ショップで、わたしとウラシマさんは午前中の大部分の時間を割いて、オレンジ郡の日系社会の歴史について真剣に語り合いました。わたしも、現在取り組んでいる50年代~60年代にかけての日本人労働者(カリフォルニア農業研修生/派米農業労務者)・日系人農業経営者たちについての話をシェアしました。お互いにさまざまなことを学ぶことができ、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。また、人間としての幸せを得るには、このような時間を過ごすことが大切であることを感じました。

彼女との有意義なやりとりを通してわたしが学んだことは、日系人との「出会い」が日系人の歴史を理解する「きっかけ」をもたらすということです。そして、民族的バックグラウンドにかかわらず、ウラシマさんのように「熱意」をもつことによって、日系人の歴史は理解されるものと思います。また、このことは現在の日本社会において問われている、「他者の理解」へのヒントになると思います。「他者」を「排除」する傾向の強い日本の社会事情に鑑みて、彼女のような存在をひとりでも多くの日本人が理解することを、わたしは願っています。(編注:日本の社会状況に関する記述は、作者の意見を反映したもので、ディスカバーニッケイまたは全米日系人博物館の意見を反映したものではありません。)

歴史をまもることについて

最後に、オレンジ郡における歴史的遺産の保存に関する関心の高さについて、わたし自身の経験を少しだけ紹介します。

2007年にフラトンの加州州立大学のキャンパス内に、日系人の農業貢献に関する博物館(Orange County Agricultural and Nikkei Heritage Museum)がつくられました。当初は暫定的なものとして計画されましたが、まもなく恒久展示されることが決まりました。

この展示が完成したときの祝典で、ある白人男性がこの展示の意義に関して、「このようなことをしないと、みんながオレンジ郡のことを “ただの住宅地” だと思ってしまうでしょう」と語ったことを、わたしは今でも覚えています。

1950年代以降になって急速な発展をとげたオレンジ郡は、現在もその大きな変化のなかにいます。そのようなオレンジ郡において、過去の歴史を保存することは、その地域の価値を再認識する手段でもあると思います。

ウラシマさんをはじめとする、多くの方々によって、オレンジ郡の日系人の歴史が見直され、語りつがれることによって、コミュニティの価値や大切さを理解できるようになると私は思っています。

1910年3月8日、オレンジ郡、ウインターズバーグミッション

参考

Historic Wintersburg(ウラシマさんのブログ)

Orange County Agricultural and Nikkei Heritage Museum (日系人の農業貢献に関する博物館 加州州立大学フラトン校)

 オレンジ郡は「海の向こうの日本」―オレンジ郡の過去を振り返る (DiscoverNikkei.org, 2010年4月7日掲載)

© 2013 Takamichi Go

California Huntington Beach Orange County Southern California United States Wintersburg
About the Author

He studied American social history and Asian-Ocean American society, including the history of Japanese American society, at Orange Coast College, California State University, Fullerton, and Yokohama City University. Currently, while belonging to several academic societies, he continues to conduct his own research on the history of Japanese American society, particularly in order to "connect" Japanese American society with Japanese society. From his unique position as a Japanese person with "connections" to foreign countries, he also sounds the alarm about the inward-looking and even xenophobic trends in current Japanese society, and actively expresses his opinions about multicultural coexistence in Japanese society.

(Updated December 2016)

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