Discover Nikkei

https://www.discovernikkei.org/en/journal/2012/11/21/4666/

第六話(前編) 「Mayumi」は今、何処?

早朝、大きなバスケットを両手でかかえた若い女性が街を歩いていた。

公園のベンチに座り、ひと休みする。空を見上げると、濃い灰色の雲がどんどん横に流れ、自分も一緒にどこかへ連れて行かれるような気がした。下を見ると、枯葉が敷き詰められたカーペットのようで、今の自分の道しるべに見えた。「きっと、正しい方向に導かれているのだ」と、立ち上がり、バスケットを大事そうにかかえ、公園を出て行った。

すると、さらに、空は曇って今にも雨が降りそうになってきた。強い冷たい風も吹いてきたので、女性は先を急いだ。バスケットの中を気づかうように、歩き続けた。雨が猛烈に降ってきて、たちまちびしょ濡れになった。バスケットにも水しぶきがかかっていた。

まだ人気のない通りを歩いていたが、ある家の前で急に女性は立ち止まった。通りに面した塀はたくさんの花で飾られていた。淡いピンクや黄色や白いかれんな花を見ているうちに、女性は少し落ち着いてきた。

しかし、思いがけない行動を取る。その家の玄関に向かい、そっとバスケットをドアの前に置いた。そして、何かぶつぶつ呟きながら、何度も後を振り向きながら去って行った。

毎朝6時には必ず起きているパストール・マコトは、この日は特別に忙しかった。テレビのニュースを聞きながら、朝食の用意をして、電話にも応対していた。

ブラジルにいた頃とは違って、牧師のほかに市役所の仕事にも関わっていた。ブラジル人のデカセギが多い地域だったので、ポルトガル語の通訳と書類の翻訳の仕事を任されていた。多忙な日々だったが、神に感謝しながらの毎日だった。

しかし、この朝は特別だった。約3ヶ月ぶりの台風が上陸すると予想されていたので、大勢と連絡を取る必要があった。日本語の分からないブラジル人やペルー人に台風の情報を知らせたり、周辺の高齢者の安否も気づかった。

妻の知恵さんは二階の部屋で子供を迎える準備をしていた。毎日、3人の幼児の面倒を見ていた。3人とも日系ブラジル人の子どもで、日本の保育園に馴染めなかったということで預かることにしたのだった。

子どもたちが、もうすぐ着く時間だろうと、知恵さんがドアを開けると、地面に置いてあるバスケットに目が留まった。すぐに夫を呼び、二人で近づいた。すると、泣き声が聞こえてきた。そして、バスケットの中から白い布が見えた。次の瞬間、バスケットが動いた!

パストール・マコトはそっとバスケットを持ち上げ、家の中に入れた。知恵さんはちょっとやそっとのことでは驚かない人だったが、このときは言葉がなかった。

バスケットを完全に開けると、中には真っ白い服に包まれた赤ちゃんがいた。ついさっき、 泣き声が聞こえたようだったが、赤ちゃんは気持ちよさそうに眠っていた。

「どんな事情でこの小さな命が我が家を訪れたのでしょう」と、夫の方に振り向くと、パストール・マコトは両手で赤ちゃんを持ち上げて、知恵さんに渡した。

突然、知恵さんは涙ぐんだ。リンゴのようなほっぺた、小さな花びらのような口元、まるで天使のようだった。ひょっこりと訪れた神の御使いに見えた。

そして、涙が溢れ、止まらなくなった。

パストール・マコトも同じだった。妻に寄り添い、肩に手を置いた。そして、二人で泣いた。7年ぶりに涙を流し、心を揺さぶられる感動を味わった。

実は、7年前の6月の寒い朝の7時15分に娘のリョウコちゃんが突然、天国に逝ってしまったのだった。1歳の誕生日を迎える1ヵ月前のことだった。

愛情を込めて作っていた真っ白なかわいいドレスはとうとう着せられなかった。パストール・マコトの両親が楽しみにしていた初孫の誕生日パーティもできなかった。あまりにも幼すぎる死が悔やまれ、知恵さんは体調を崩し、日本の実家に戻った。それから、半年後、パストール・マコトも日本に移り住むことになった。

新しい生活にすっかり慣れ、夫婦は円満な日々を送っていた。一人娘のリョウコちゃんの思い出はひっそり心の奥に閉まっておいた。口に出すことは一切ならず、お互いに気遣かっていた。そのことに触れないできた。

赤ん坊が突然泣き始めたので、知恵さんは二階の部屋に連れて行った。パストール・マコトがバスケットの中を調べたところ、ある物を見つけた。それは聖人像のついたお守りだった。裏を見ると「Mayumi1987」と刻まれていた。「きっと母親の名前と生れ年を示しているのだ。そして、この聖人像はブラジルの守護神として信仰されている。ブラジル人に間違いない」

手がかりをつかんだと、パストール・マコトは急いで妻に知らせ、自転車で病院に駆けつけた。そこには日系ブラジル人の産婦人科のアリッセ先生がいて、デカセギの女性に頼りにされていた。

今朝の出来事を先生に伝えると、先生は「マユミ」という患者に思い当たらなかったが、カルテを調べてくれた。結局、何にも見つからなかった。

二時間後、アリッセ先生は病院から直接パストール・マコトの家に向かい、赤ちゃんを診察し、みんなを安心させた。週末に礼拝が行われる広い部屋には大勢が集っていた。台風が接近して、外を歩くのは危険だったが、皆、手伝いに駆けつけた。

女性たちは5ヶ月ぐらいの女の子の服を用意し、デカセギの知り合いに電話やメールで赤ちゃんのことを知らせていた。男性たちは交番や町の病院や診療所に手がかりを捜しに手分けして行った。

パストール・マコトは「Mayumi」が無事でいるように神に祈った。

「主はあなたのために、御使いに命じてあなたの道のどこにおいても守らせてくださる」
                                                                                   詩篇91.11

第六話(後編)>>

© 2012 Laura Honda-Hasegawa

Brazil dekasegi fiction foreign workers Nikkei in Japan
About this series

In 1988, I read a news article about dekasegi and had an idea: "This might be a good subject for a novel." But I never imagined that I would end up becoming the author of this novel...

In 1990, I finished my first novel, and in the final scene, the protagonist Kimiko goes to Japan to work as a dekasegi worker. 11 years later, when I was asked to write a short story, I again chose the theme of dekasegi. Then, in 2008, I had my own dekasegi experience, and it left me with a lot of questions. "What is dekasegi?" "Where do dekasegi workers belong?"

I realized that the world of dekasegi is very complicated.

Through this series, I hope to think about these questions together.

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About the Author

Born in São Paulo, Brazil in 1947. Worked in the field of education until 2009. Since then, she has dedicated herself exclusively to literature, writing essays, short stories and novels, all from a Nikkei point of view.

She grew up listening to Japanese children's stories told by her mother. As a teenager, she read the monthly issue of Shojo Kurabu, a youth magazine for girls imported from Japan. She watched almost all of Ozu's films, developing a great admiration for Japanese culture all her life.


Updated May 2023

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