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Kizuna: Nikkei Stories from the 2011 Japan Earthquake & Tsunami

災害と在日日系人の情報網

今回の大地震は、千年に一度の大災害だという指摘もあるが、マグニチュード9.0という規模の地震は世界史上5番目になるという。地震がおきたのは、3月11日(金)の午後2時46分、その次の日には多くの在京大使館や領事館は同胞支援電話相談窓口を開設し、職員たちは被災者確認及び海外の問い合わせの対応に追われた。

とはいえ、欧州の多くの大使館は退避勧告を出したり、関西方面もしくは隣国に大使館の全部、又は一部を臨時的に移転、又は閉鎖した。多くの外資系企業や国際機関も同様の措置をとり、欧米ブランド店の中には3~4週間臨時休業をしたところもある1。その理由は主に海外メディアの報道姿勢にあったとされるが、福島原発で水素爆発があった瞬間から放射能汚染におびえて海外の報道はかなりエスカレートし、パニック状態に陥ったと言える。そして、そのパニックが本国の政府(外務省)や企業の本社に大きく影響したと考えられる。

中南米諸国の対応では、パナマとベネズエラは東京から関西方面へ、ボリビアは沖縄に大使館機能を移転した。その他は東京に留まったが、コロンビアが軍輸送機を派遣、アルゼンチンは約200人分の帰国チケットを手配した。コロンビアの場合は、チリ人やベネズエラ人等を乗せて日本から退避させた。

ペルーとブラジルはそうした対応は取らず、帰国希望者には旅券の発行や更新手続を迅速にしたり、東北在住同胞の情報収集及び対応と、情報提供に努めた。在京ブラジル総領事館はバスを手配して東北及び北関東在住者をいち早くもっと安全な場所へ移動させた。もちろん希望者のみであり、みんながそうした対応に応じたわけではない。

飛行機やチケットを手配した国も、帰国した者のほとんどが、数人を除き東北在住ではなく、とりあえず本国に帰りたいという希望者であった。本国政府も多少早まった措置をとったという側面もあるが、本国で報道されていた内容からみるとやむを得なかった部分もある2

ここでの教訓は、外交官たちがもっと冷静に日本政府の情報を分析すべきだったということであり、欧米の膨張された情報を鵜呑すべきでなかったのである。また、外国人たちも日本に住んでいる以上、日本の情報をもう少しきちんと理解すべきであり、その努力が不十分だったのである。

筆者。ほぼ毎日のように情報収集し、フェイスブックにアップし、アルゼンチンメディアの対応に当たった。

いずれにしても、関東の自治体行政や国際交流協会の窓口は震災発生直後から電話相談サービスに応じ、多言語で可能な限り余震や放射能情報を提供し、対応がかなり早かったと言える。ブラジル人やペルー人たちも本国の報道に迷わされながらも互いに連絡網を確認し合い、ウェブサイトやブログ、フェイスブックというソーシャルメディアをフル活用したと言える。筆者も、今回はこのフェイスブックを通じて毎日主なニュースをスペイン語で配信した3。また、これを機に現地からの取材も殺到し、はじめは2、3日毎に、3週目からは4、5日おきにブエノスアイレスのテレビやラジオ番組に生出演した4

日本在住の多くのフリージャーナリストやメディア関係者も同じように本国の取材に応じながら、もう少し冷静に日本の情勢を伝えた。これには日本政府の情報(報道)政略の不十分さが露呈した。かなりの情報が英語になっていたとはいえ、翻訳すればいいという問題ではない。政府の高官(外務省もしくは官邸)がきちんと英語で会見したり、当初からもっと積極的に在京大使らに分かっている状況だけでも説明すべきだったのである。国内向けの情報をそのまま英訳すればそれで済むという発想自体大きな過ちである。

結局、多数の中南米出身者がもっと「安全」な東海・関西地方に一時避難したり、本国に公費・私費で帰国したが、4月15日に法務省が公表した統計によるとそう多くの者が「脱出した」わけではない5。地震直後の1週目には24万人以上が出国しているが、その半分ぐらいが観光客で、その他は再入国許可を得ている定住外国人、留学生等であった。多いように見えても、一般の連休中に海外へ行く人数より少ない数である。週毎に15万人、8万人、6万人と帰国者が減少し、入国者も地震直後は週5万人程度であったが、4月に入ってからは10万人を超え、その内3万人のみが観光目的であった。多くのホテルや旅館ではキャンセルが相次ぎ観光名所は大きな打撃を受けており、昨年の来日数850万人の水準を回復するには相当の時間が必要かもしれない(3月と8月は70万人以上の来日外国人観光客を記録している。その他の月は平均60万人ぐらいである)。

空港や新幹線が混雑したというのも海外メディアの偏った報道である。地震直後多くの人が慌てて帰国又は他国へ避難したことは確かであるが、成田空港は一日5万人以上が出国・入国してもまったく問題なく対応できる施設である。また、東京から関西方面に出ている山陽・東海道新幹線も本数を減らしたとはいえ一日に10万人以上を輸送することは十分に可能である(一本の新幹線に1,200人は座っていけるし、1時間に6本にしても14時間で10万人は軽く輸送できる。ゴールデンウィーク等では乗車率180%というのは当たり前であるが、今回そうした事態はほとんどみられなかったのである)。

4月8日までに帰国したブラジル人は7,472人、ペルー人は1,731人であるが、この一ヶ月に2,459人と658人がそれぞれ入国しており、そのほとんどが再入国者である。これは、彼らのほとんどが日本に生活拠点があるということである。

今回も2009年の経済危機の時と同様に案外早まって帰国した者もいるが、外資系企業や外交官の業務命令と違って、自身の判断で帰国した者は後から再来日しても自己負担になり、戻っても元の職場に戻れるわけではない。妻子を一時避難させたペルー人もおりそれは当然理解できるが、「非常事態」であっても冷静かつ的確に判断してどこに生活拠点があるのかを念頭において行動しないと、失った「場」はそう簡単に回復できないという教訓も肝に銘じなくてはならない6

国や自治体の支援、企業や社会の連帯とサポートは、被災した者やその地域の復興のために提供されるのであり、この歴史的出来事とその変化を見守り多くのことを学ぶのは残った者だけの財産である。

Japón vuelve a la vida 「日本:普通の生活がもどりつつある」ブエノスアイレスで発行されている週刊誌「GENTE」2383号、2011.03.22発行

注釈:
1. http://sankei.jp.msn.com/world/news/110408/amr11040800580000-n1.htm 
2. 地震発生から3日後ぐらいには、多くの外国人が成田空港から「脱出」している映像が世界中に流れた。放射能漏れが「アルマゲドン」になっていたのである。また、南米のセンセーショナル・メディアは例えば多くの中国人や欧米人が出国している映像を「被曝脱出」とか、「空港パニック」とかというトーンで報道したため、コロンビアやチリ、アルゼンチン等は輸送機を「同胞救出」のため検討、又は決行したのである。
3. 3月12日から18日まで http://www.facebook.com/media/set/fbx/?set=a.10150125643704078.295034.678394077
3月19日から31日まで http://www.facebook.com/media/set/fbx/?set=a.10150130901889078.296922.678394077
4月1日から現復興まで http://www.facebook.com/media/set/fbx/?set=a.10150155977684078.301553.678394077
4. アルゼンチン公営テレビのニュース番組出演 3月15日放送 その他民放局出演も多数(ほとんどの場合skypeを使用して出演した) http://www.youtube.com/watch?v=bC4GbDkmWos 
5. http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyuukokukanri01_00062.html
6. 4月19日、インターネットテレビCanal Latinoが企画した座談会だが、ペルー人ジャーナリストMario Castro及びメキシコ人教育者Marcela Lamadrid de Matsumuraとの対談である。「震災から40日を振り返って」という座談会第1部(40分)。http://www.slide.com/r/1iUsWZVi0j_seSEAmCTNS48yq0fEp4K5
http://www.youtube.com/watch?v=JSCVoQlJsao&feature=player_embedded#at=619

© 2011 Alberto J. Matsumoto

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About this series

In Japanese, kizuna means strong emotional bonds.

This series shares stories about Nikkei individual and/or community reaction and perspectives on the Great Tohoku Kanto earthquake on March 11, 2011 and the resulting tsunami and other impacts—either about supporting relief efforts or how what has happened has affected them and their feeling of connection to Japan.

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We hope that these stories bring some comfort to those affected in Japan and around the world, and that this will become like a time capsule of responses and perspectives from our global Nima-kai community for the future.

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