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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5

>>その2

2. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-

収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者たちも、収容所生活を少しでも楽しいものに変えようと考え始めた。そして親睦会という形で始まったのがこの会であった。若者の中には、将来に絶望して非行に走り、ぞろぞろと群れをなして所内をのし歩き、顰蹙(ひんしゅく)をかう者もあった。帰米二世たちはアメリカの民主主義を信じていたにもかかわらず、市民である自分たちを守ってくれるどころか、その自由を奪って収容所へ入れたアメリカに絶望していた。しかし収容所内で秩序を守り、この時期をなんとか有意義に過ごそうと考える若者たちはたしかに存在した。そのような人びとが集まって結成したのが青年会であった。

これは1942年10月1日に「山の市」で結成され、同年11月1日、比良男女青年会と改名して発会式が行われた。会長は山城譲治。山城は当時30歳の帰米二世だったが、アメリカで大学を卒業し、サンフランシスコで仏教青年会の仕事をしていた。彼は青年たちから兄のように慕われており、そのリーダーシップを評価されて会長となった。発会式には65歳以上の人々が招待され、敬老会も兼ねた催しとなった。会長は帰米二世で、程度の差はあったが、日本で教育を受けていたことから、日常生活ではおもに日本語を使っていた。収容所では英語が公用語であったため、英語の分らない一世は不自由な思いをしていた。帰米二世にも英語が不得意な者が多く、この点では一世と同じ悩みをもっていた。彼らは、日本語を媒介として一世と意思の疎通をはかって役に立ちたいという気持ちから、敬老会と発会式を結合させたと思われる。一方、老人を尊敬するという儒教思想、すなわち日本古来の美徳を尊重することを示したものであろう。一世を楽しませるために歌や劇などが披露されて、出演者は100名あまりのかなり大規模なものであった。日系社会の指導的立場にいた一世は、真珠湾攻撃の直後に逮捕されて抑留所に送られ、指導者不在になっていた。収容所にはいった一世は、監督当局に協力する純二世に主導権を握られ、取り残された思いであったにちがいない。帰米二世は一世の心情を理解して、手を差しのべたのである。会員たちは、一世から感謝と賞賛をもって受け入れられた。青年会は一世を賛助会員として組織に迎えた。会は親睦と娯楽だけでなく、精神修養もすべきであると意見が出て、当時50歳台であった一世の開教使・越智道順を顧問に迎え、日曜日ごとに仏教講和の勉強会を開くようになった。

青年会主催の展覧会を見学する戦時転住局の職員(1942年)

青年会は会員以外の人々にも貢献する意味で、結成の一ヶ月後に手工芸展覧会を開いた。とくに老一世たちは、仕事に就くこともなく、暇を持て余していた。彼らの間で流行したのが、工芸であった。根気よく探せば、砂漠でも美しい石や変った形の木の根を見つけることができた。巨大なサボテンやモスキートトゥリーも工夫次第で、花立やパイプの材料になった。老人たちは、丹念にそれらを磨いたり、削ったりして、驚くべき熱心さで美しい工芸品を作り上げたのである。女性たちは、紙切れを集めて彩色し、日本人形を作った。1942年の暮れ、手工芸展への出品は2,200点にも及んだ。いくつかの食堂を会場として開かれたこの会は展示即売会をして、作品の販売も行った。日本人形は人気があって、たいへんよく売れたという。殺風景な収容所の部屋に飾って、少しでも彩りのある生活をしたいという気持ちが人びとに人形を買わせたのであろう。あまりの人気に三日の会期をさらに二日延長しなければならなかった。入場者は延べ1万5千人で、大成功であった。この手工芸展が開かれていたころ、マンザナ収容書では暴動事件が発生しているが、ヒラではきわめておだやかに月日が過ぎていった。

青年会のもうひとつの活動は、日本語図書館の開設であった。これは会の結成とほぼ同時にスタートし、帰米二世の加屋良晴が責任者になった。彼は収容所内を駆けまわって人びとに呼びかけ、約300冊の日本語の本を集めた。ひとつの部屋を確保して図書室とし、朝9時から夜9時まで開いた。貸し出し業務が中心で一日に平均41冊を貸し出した。翌年には蔵書は1,329冊に増え、1日平均90冊を貸し出すまでになった。戦争中であるから、雑誌はもちろん新しい日本語の本は輸入されなくなっていた。されに強制立ち退きの際に日本語の書籍を所持していると逮捕につながるとして、処分した人も多かったため、一世や帰米二世は日本語の本に飢えていた。戦時転住局の運営する図書館の蔵書は英語の書籍のみであった。したがって日本語図書館の運営はこのような人びとの要求を満たすものであった。青年会は社会的活動の一環として、年末に餅つきをしたり、マラソン大会や運動会といったスポーツの行事も行った。青年会は、若者らしく活発に活動して人々のすさみがちな生活に彩りを与えた点、重要な役割を果たした。また、対立しがちな純二世と一世の関係とは異なり、日本語を媒体として一世とのきずなを深めたことは、一世にとって大きな慰めとなった。1943年8月、比良男女青年会に正式に登録した会員は359名を数える。彼らの大多数は、不忠誠組となってトゥーリレイク隔離収容所へ送られることになった。会員は、トゥーリレイクで活動を再開することを誓いあって、最後に会員名簿を発行して解散した。

その4>>

* 篠田左多江・山本岩夫共編著 『日系アメリカ文学雑誌研究ー日本語雑誌を中心にー』 (不二出版、1998年)からの転載。

© 1998 Fuji Shippan

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About this series

Many Japanese-language magazines for Japanese Americans were lost during the chaotic times of war and the postwar period, and were discarded because their successors could not understand Japanese. In this column, we will introduce annotations of magazines included in the collection of Japanese-American literary magazines, such as "Shukaku," a magazine that was called a phantom magazine because only the name was known and the actual magazine could not be found, as well as internment camp magazines that were missing from American records because they were Japanese-language magazines, and literary magazines that were also included by postwar immigrants.

All of these valuable literary magazines are not stored in libraries or elsewhere, but were borrowed from private collections and were completed with the cooperation of many Japanese-American writers.

*Reprinted from Shinoda Satae and Yamamoto Iwao, Studies on Japanese American Literary Magazines: Focusing on Japanese Language Magazines (Fuji Publishing, 1998).

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About the Author

Professor at the Faculty of Humanities, Tokyo Kasei University. Graduated from the Graduate School of Japan Women's University. Specializes in Japanese-American history and literature. Major works: Co-edited and authored "Collection of Japanese American Literary Magazines," co-authored "Japanese Culture in North and South America" ​​(Jinbun Shoin, 2007), co-translated "Japanese-Americans and Globalization" (Jinbun Shoin, 2006), co-translated "Yuri Kochiyama Memoirs" (Sairyusha, 2010), and others.

(Updated February 2011)

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