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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2011/12/27/4287/

「正義の闘い」を映像に―藤田キャロル文子さん その1

「藤井整氏のドキュメンタリーをつくろうと思っているのだけど、なにかアドバイスしてくれないでしょうか」

昨年の秋のことでした。わたしは半年ぶりに、藤田キャロル文子さんと会ったとき、彼女からそのように言われ、とても驚いてしまいました。

現在、彼女は「リトル・トーキョー・リポーター(Little Tokyo Reporter)」(以下「LTR」とします)という、日系一世である藤井整の生涯を描いた映画で、自らがエグゼキュティヴ・プロデューサーとして、制作の陣頭指揮をとっているというのです。

わたしが藤田さんに初めて会ったのは、今から4年前の秋でした。JAリビングレガシーの代表である山城(長行事)ナターリアさんを通して、日本を訪問中の彼女に会いました。その時、彼女と彼女のいとこである橋村春海さんに、お互いの交流などについてインタビューをしたのがきっかけです。

それ以後、わたしはロサンゼルスを訪れる時には必ず彼女に会いに行き、また彼女が日本を訪問するときは、必ず彼女に会うようにしてきました。そうするうちに、彼女は、わたしにとって尊敬できる先生であり、非常に親しい友人のような存在になって行きました。そんな彼女に、突然、映画をつくるので手伝ってほしいと、頼まれたのですから、驚かずに入られませんでした。

藤田さん、山形県にて、2011年12月

藤井整氏の「闘い」

LTRは、加州毎日新聞社(California Daily Newspaper)の創業者である藤井整氏の生涯を描くものです。

藤井整氏は、日系人の加州における経済活動を著しく制限した1913年の加州外人土地法(いわゆる、排日土地法 California Alien Land Law)を、白人の弁護士の協力を得て、葬り去った人です。それは、1952年のことでした。

彼は、現在の山口県岩国市出身で、旧制山口高等学校に通ったのち1903年に加州に渡り、南加大学(University of Southern California)で法律を学びました。将来は加州認定の弁護士となり、日系社会の人々が直面していた不正義に、正々堂々と立ちむかうヴィジョンを描いていました。しかし、日系一世という身分―「帰化不能の外人」―であったために、彼が加州において弁護士になるという夢は絶たれてしまいます。そのため彼は、大学時代の学友であり、加州認定の弁護士である白人のJ・マリオン・ライト氏(J. Marion Wright)とともに弁護士としての活動を始めました。

加州毎日の記事より。ライト弁護士(左)藤井整(右)

排日土地法の裁判以外の、彼の日系社会における貢献には、日本人病院の設立を阻まれた日系一世の田代規矩雄医師の裁判―ジョーダン対田代(Jordan v. Tashiro)―においてライト氏とともに、田代医師の弁護も担当したことが知られています。1928年、彼とライト氏はワシントンDCの連邦最高裁判所において、「田代医師には病院を設立する権利が保障されている」という判決を勝ち取りました。

1931年には、加州毎日新聞社を創業、社長として自ら記事や社説を書き、日系社会に向けての情報発信という、重要な役割を担うようになりました。

日系一世の権利を勝ち取るための「闘い」や、加州毎日新聞社の経営を通して、彼はいわば、日系社会の人々のための「司令塔」的存在になったのです。

ちなみに、映画のタイトルである「リトル・トーキョー・レポーター」は、彼が加州毎日新聞社の創業者であったことが、ヒントになりました。

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© 2011 Takamichi Go

documentaries films Jeffrey Gee Chin J. Marion Wright Lil Tokyo Reporter (film) Sei Fujii
About the Author

He studied American social history and Asian-Ocean American society, including the history of Japanese American society, at Orange Coast College, California State University, Fullerton, and Yokohama City University. Currently, while belonging to several academic societies, he continues to conduct his own research on the history of Japanese American society, particularly in order to "connect" Japanese American society with Japanese society. From his unique position as a Japanese person with "connections" to foreign countries, he also sounds the alarm about the inward-looking and even xenophobic trends in current Japanese society, and actively expresses his opinions about multicultural coexistence in Japanese society.

(Updated December 2016)

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