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アメリカと日本で反核を訴え続ける作家・米谷ふみ子さん

終戦時に実感した「命の大切さ」

作家の米谷ふみ子さんは1930年大阪生まれ。十代の前半までの貴重な青春時代が戦争の時期と重なっていた。

「戦争が終わるまでずっと子供心に憂鬱でした。とにかく、毎日、家族や自分自身が死ぬかもという思いで、お先は真っ暗。希望などなかった。でも終戦を迎えた時、ぱっと気持ちが晴れたのです。あの何とも言えない幸せな気持ちは、とても言葉では言い表せません。命がいかに大切かを実感しました。あの時の気持ちが私の人生観の基礎になっています」

過ちは二度と繰り返されてはならないという信念から、米谷さんはアメリカ各地の学校などを会場に、反核イベントを開催している。「核保有国であるアメリカの若い世代に、核の怖さを知ってほしい」と、会場には原爆の残酷さを映した写真パネルを展示する。パネルはイベント主旨に賛同した長崎市から預かっているものだが、自宅ガレージに50点も保管されているそうだ。

これらを会場に持ち込み、スピーカーとして原爆体験者である帰米二世の据石和さんを招聘し(運転をしない据石さんのために、タクシー代を米谷さんは常に用意している)、オーディエンスである若者に実体験を聞いてもらう。

イベントの運営に携わっているのは一体何人かと聞くと…。「実働部隊は2、4、6、10人はいるかもしれないけれど、誰も自分からは腰をあげないので、主に私だけ。相談してもまとまりません。以前は積極的に活動していたローリーが、車の事故に遭ってしまったので、結局何から何まで私がしなければならなくなりました」と米谷さん。彼女の言うメンバーとは、2002年にロサンゼルス郊外のパシフィックパリセーズで、92歳の男性が決起した反核の草の根運動のメンバーのことである。

アメリカ人は核について知らされていない

広島や長崎を題材にした反核イベントを開催することになった直接のきっかけについて、米谷さんに聞いた。

「数年前にサンディエゴ州立大学でアジア学会が開催された時のこと、インド人の教授が核の話をするというので興味を持って聞きに行ったのです。そうしたら核の怖さの話ではなくて、パキスタンはこれだけ核を保有しているから、インドはこれだけ持たねばならない、という話。愚の骨頂でした。そこで『あなた、広島の平和資料館に行ったことがあるのか?核が爆発したら、あなたたちの家族もやられてしまうのですよ』と面と向かって意見しました。他のアメリカ人は誰も抗議しようとしない。あの時初めて、アメリカ人は(核について)何も知らないのだということがよくわかりました」

原爆イベント開催にはいくつもの壁があった。まず、政治的な題材だと受け取られるため、会場を貸してくれる組織が限られてくるということ。さらにケロイドだらけの被爆者の写真を持ち込もうとすると、「あまりにも残酷な写真だ。見るに耐えない」と言われることもある。しかし、悲惨な過去や核の持つ力を伝えるために写真は不可欠だと米谷さんは考えている。

「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の学生会館でイベントをした時に、若い女子学生が被爆者の写真を見て『こんなこと誰がしたのですか』と聞いてきました。『アメリカがしたのよ』と答えたら、彼女は『私の国がこんな残酷なことをしたの?』と泣き出しました。私にとって、イベントを手がけた中での一番印象に残っている出来事でした。(原爆について)誰も教えてないのです」

また、原爆の話を、最初のうちは真剣に聞こうとしない聴衆も途中から態度を変えることがある。

「サンタモニカ高校でのこと。スティーブン・オカザキ監督の『マッシュルームクラブ』の映画の、人間が焼けてしまって骨だけになるまでのアニメのシーンが映し出されたら、それまで後ろでずっとしゃべっていた学生たちが急に物を言わなくなったことがありました」

核の怖さを訴える相手に年齢は関係ないと米谷さんは言う。「日本だったら、小学生も資料館を訪れるでしょう。命にかかわることなのだから、彼ら(子供たち)に知らせるべきです」

イベントに使用する被爆者の写真パネルを前にした米谷さん。永住権保持者である米谷さんに「どうして今までアメリカ市民権を取得しなかったのですか」と聞くと「脳障害を持つ息子ノアを育てている時はそれどころではなく、結局今になるまで機会がなかった。また、国境がなくなる平和を夢見ているからでもある」と答えた。

福島の問題に直面する日本・反核イベントは今後も続行

原爆イベントに関する経緯は、米谷さんの近著「だから、言ったでしょ」に詳しい。出版後、プロモーション活動で訪れた日本は、東北大震災の1カ月後であり、人々は福島第一原発の放射能問題に直面していた。しかし、日本で会った人々には当事者意識が欠如した他力本願な印象を持ったと米谷さんは振り返る。

「書店で話をした後に、若い人が『握手してください。米谷さんの元気をください』と言って来ました。冗談ではありません。なぜ80歳の私が若い人に元気をあげないといけないのでしょう。他力本願すぎます。もっと自分で動こうとしなければ。彼らのような人は(現状を変えるのは)誰かがしてくれると思っているのです。そういう人が本当に多いことに呆れました」

未曾有の状況を迎えた自国を、自ら動いて変えようとする人が少ない。アメリカにも、核保有国であるのに核について知ろうとする人が少ない。彼女はこの現実を打破すべく、反核イベントを自ら手がけ、文章でも訴えていく。

次回は2012年の春に、米谷さんの地元であるパシフィックパリセーズの高校でイベントを開催する予定だ。最後に哲学者バートランド・ラッセルの言葉を紹介したい。「核兵器の使用を止めるには、一般の人々に核の恐怖を知らせる教育をすることだ」。米谷さんの活動の根本は、ラッセルのこの言葉に集約されている。

© 2011 Keiko Fukuda

a-bomb Fumiko Kometani war writer