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二つの国の視点から

ケニー・エンドウ ~"ダブル"の感覚で叩く和太鼓 -その2

>>その1

撥に託す平和への思い

帰国後、彼は「ケニー・エンドウ太鼓アンサンブル」を結成し、ハワイを本拠地として全米で活動を続けている。海外での公演も多く、日本をはじめ、イギリス、ドイツ、ベルギー、チェコなどのヨーロッパ諸国、ブラジル、アルゼンチンなどの南米諸国、またインドや香港でも公演を行っている。

『Eternal Energy』

彼の音楽自体にも、アフリカ、インド、ブラジルなど、さまざまな国の音楽の要素が取り入れられている。大学時代にも民族音楽を勉強しているから、もともと関心が強かったのだろう。

1994年にリリースされたデビューアルバム、『Eternal Energy』(永遠なる力)には、ブラジル音楽のリズムを取り入れた「シンメトリカル・ランドスケープ」、ネイティブ・アメリカンの生活からヒントを得た「ハバスパイ」、ハワイアン音楽から影響を受けた「夢のパフ」、黒人音楽に触発された「クラリティ」という曲などが収録されている。1998年に出された『十五夜(Jyugoya)』にも、ラテンのリズムに影響を受けた曲が含まれており、元来キューバの民族楽器だったコンガが、締め太鼓と一緒に用いられている。インドの管楽器、バンスリも彼がコンサートでよく用いる楽器の一つだ。最新作の『道行き(On the way)』(2007)では尺八奏者のジョン・ネプチュン海山と共演している。

『Jugoya』

ケニーがさまざまな民族音楽との融合を試みているのには理由がある。彼はいう。

「私の願いは、演奏活動を通じて西欧的な背景の中に、日本の心を融合させていくこと。そして、平和を単なる理想としてだけでなく、実現可能な現実のものだという立場から、世界各地の様々な民族文化を融合させるような音楽をつくることだ」

1970年代の後半、彼はインドのシタール奏者、ラビ・シャカールのコンサートを聴いて、音楽が持つたくましさと美しさを体験した。

「世界の指導者らがこの音楽の美しさによって心を開いたなら、世界から戦争はなくなるだろうと純粋に思うことができた。これがどんなに純真すぎる考えであっても、私は音楽が単に楽しみや時間つぶしのためにあるのでなく、人々に影響を与えるものだと信じている」

『On the way (Michi Yuki)』

ジョン・レノンの「イマジン」や、マイケル・ジャクソンやステーヴィー・ワンダーらが集まってレコーディングした「ウィー・アー・ザ・ワールド」などは、平和へのメッセージ性が極めて高い歌だが、そう思っていても、音楽は平和のメッセージだとはなかなかストレートに言えるものではない。

ケニーの場合は単に平和を語るだけでなく、音楽をその実践の場としているので、そう言い切れるのだろう。

10年間日本で修行し、名取の資格まで得た彼だから、日系人の奏者の中で彼ほど日本の技術と精神を受け継いでいる人はいないだろう。でも彼は、自分の音楽は純日本のものではないという。アメリカと日本の両方の産物だと考えており、自らのアイデンティティも日米の両方だと感じている。浅草で彼に会ったとき、レジー・ライフという映画監督が日本とアメリカの「ハーフ」の人たちをインタビューして『ダブル』という映画を作っていますね、と私がいうと、あの映画監督とは友人で、自分もまさに「ダブル」の感覚を持っているとケニーは話していた。

日米のダブルの感覚で、しかも世界各地の民族音楽を取り入れたケニーの音楽は、彼だけの音楽だと言えるし、逆に世界の音楽ともいえるだろう。

新世代がみせる多彩なパフォーマンス

21世紀になって生まれた太鼓グループを第3世代とする。その代表格が、ケニーの弟子であるマサト・ババだ。両親のラッセル・ババ、ジーン・アイコ・マーサーも田中誠一に師事した太鼓奏者で「シャスタ・タイコ」の創設者。マサトは6歳から太鼓の撥を持っていたというから、日系和太鼓の申し子のような若者である。2002年に「オン・アンサンブル」を結成した。

DVD『The Spirit of Taiko』 北米太鼓3世代:左からケニー・エンドウ、田中誠一、マサト・ババ

彼と共にオン・アンサンブルで活動しているのがミッシェル・フジイである。ミッシェルは、1974年にカリフォルニアに生まれた日系4世。2003年に私どもが主宰するアジア系アメリカ人研究会にゲストで出ていただき、和太鼓と踊りのパフォーマンスを披露してくれた。

北米の和太鼓チームは現在200を超え、女性だけのチームあり、子供のチームありで、人種も日系アメリカ人に限らず他のアジア系アメリカ人、さらには白人、黒人も参加し、日本の音楽から日系アメリカ人の音楽、アジア系アメリカ人の音楽、さらにはアメリカの音楽へと発展している。

演奏の仕方も実にさまざまだ。インド舞踊と共演する「緊那羅太鼓」、お面を被って演じながら太鼓を打つ「シャスタ・タイコ」、エレキギターとジャムセッションをするバンクーバーの「ラウド」、タップダンスと共演する「LAタイコセンター」など、グループによっていろいろな工夫があり、娯楽性が高い。ケニーは組太鼓だけでなく、ソロ奏者としても活動し、ホノルル交響楽団との共演も果たしている。

こういう動きに対して、和太鼓本来の精神性が失われているという批判もある。でも、音楽の一形態として普及することは、それはそれでいいことなのだと私は思う。和太鼓のコンサートは聴覚だけでなく、視覚で楽しむ部分も大きい。日本には約500のグループがあるが、九州を本拠地としている「TAO」というグループの演奏は、美しいとしかいいようのないほどだ。日本の和太鼓もまた、発展、進化している。

和太鼓の演奏の中に、そういった美しさやたおやかさ、あるいはたくましさを感じ、人の心の中に一時でも平穏が訪れるとすれば、ケニーが語る平和への理想も、少しは現実に近づくかもしれない。

(敬称略)

ケニー・エンドウのCD
* Eternal Energy, Asian Improv Records, Kenny Endo, 1994
* Jugoya, Bindu, Kenny Endo, 1998
* Hibiki, Bindu, Kenny Endo, 2000
* Essence , Sony, Kenny Endo, 2001
* On the way (Michi Yuki), Kenny Endo, 2007

参考資料
* 「タイコにみる伝統の創造」『日系アメリカ人の歩みと現在』人文書院 寺田吉孝 2002
* 「海を越える日系太鼓 ミッシェル・フジイの世界」 第18回アジア系アメリカ人研究会・パンフレット 2003年5月12日
* 「選択的・戦略的エスニシティ 和太鼓と北米日系人コミュニティの再創造/再想像」『日系人の経験と国際移動』人文書院 和泉真澄 2007 
* 「アメリカにおける和太鼓の起源と発展」『言語文化』11-2 同志社大学言語文化学会 和泉真澄 2008 

参考DVD
* Taiko Project: reGENERATION, TAIKOPROJECT 2004
* Big Drum: Taiko in the United States, Japanese American National Museum, 2005
* The Sprit of Taiko, Bridge Media, 2005
* Taiko Project: Rhythmic Relations, TAIKOPROJECT 2006
* On Ensemble, OnEnsemble, 2007

参考ウエブサイト
* ケニー・エンドウのサイト
* 「Rolling Thunder」:北米の和太鼓情報が掲載されている

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第12回目からの転載です。

© 2010 Association Press and Tatsuya Sudo

Kenny Endo taiko

About this series

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。