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米国で生きる日本人として

初めて渡米した03年春。あの当時のことは丸7年が経過した今でもはっきり覚えている。

私が渡米したきっかけは、他の若い人たちにみられるような希望に満ち溢れた理由とはかけ離れたものだった。大学卒業後、新聞社に就職したい一心で就職活動を続けていた私は、希望していた就職先に全て落ち、途方にくれていた。そんなとき、たまたま見つけたサンフランシスコの日系コミュニティ新聞『日米タイムズ』(09年に廃刊)のインターンの仕事。「米国の新聞社でインターンをしていたという経験があれば、もしかしたら日本の新聞社へ途中入社できるかもしれない」という打算が働き、藁にもすがる思いで渡米したのだった。

帰国後のことばかり考えていた私は、『日米タイムズ』が一体どういう新聞社なのか、また、そこでの仕事がどういうものなのか、まったく知らずに働き始めた。そのため、当時の私は、日系コミュニティのための新聞社で働いてるにもかかわらず、日系コミュニティにも、またそこで生活している日系人たちにも、そして彼らの歴史にも、まるで無関心だった。

“無関心”というのは、“無知”と同義だ。私は、『日米タイムズ』で記者として働いた1年半でそれを学んだ。

そもそも、私は『日米タイムズ』で働き始めるまで、“日系人”という存在すら知らなかった。もちろん、その言葉自体は知っていたが、その言葉の持つ意味について深く考えることはなかった。日本人を祖先として持ち、アメリカ人として暮らす人たち。彼らがいったい何を考え、私たち“日本人”の生活にどういう影響を与えてきたのか、そのことについて一切興味を持ってこなかった。 

コミュニティ記者としての取材活動を通じ、多くの日系人と知り合う機会を得た私は、彼らから初めて“日本人”と“日系人”の違いや、ここ米国での日系人の歴史について学んだ。その過程で、“日本人”として、日系人や日系コミュニティについてどう思うか何度か問われ、初めて、私は自分がそれまでいかに何も考えずに生きてきたのかを実感した。 

米国という外国で、日本人の私が今なぜ何不自由なく暮らせているのか。当たり前になりすぎていて、理由などそれまで考えたことすらなかった。一世の方たちの苦労や、二世の方たちの葛藤、そして今の若い日系人たちの思い。話を聞けば聞くほど、自分が“無知”であることか悔やまれ、また、彼らのお陰で得られている幸せを当然のように享受していた自分が恥ずかしかった。

話は戻るが、渡米直後、私にはひとつの目標があった。『海外日系新聞放送協会』という日本の財団法人が毎年主催している『海外日系新聞放送協会賞』を受賞すること。「そこでの受賞経験があれば、帰国後きっと役に立つに違いない」との考えからだった。その賞への応募を目的に、渡米直後から「特集を組ませてほしい」と訴えていた私に、編集長はインターン期間終了間際、その許可を与えてくれた。

特集を組ませてもらえると分かったとき、私はすぐにテーマを決めた。“日系人”と“日本人”の考え方の違いから起こる“双方の温度差”をテーマにした「日米間の懸け橋は誰がなる?」という特集だった。私が当時、自分自身で一番感じていた疑問だった。

その特集では、「日系人が日米間の懸け橋になる義務はない」という内容のコラムに対する意見を中心に、日系人、日本人社会の中から日本語を話す人6人、英語を話す人6人の計12人に4つの質問に答えてもらい、回答を日本語と英語に翻訳して掲載した。 

その特集は、見事念願だった『第6回海外日系新聞放送協会賞大賞』を受賞した。 元々は、帰国後のことを考え、取りたかった賞だったが、実際にはその賞の受賞よりも、記者として企画を立て、取材を行うことで、日系人や日系コミュニティについてたくさんの人の意見を学ぶ機会を得ることができたという事実の方が嬉しかった。私は、その特集を含めた『日米タイムズ』での1年半で、少しだけ“無知”ではなくなったのだ。

現在は、奇異な縁もあり、日本ではなく、当地、ロサンゼルスで暮らしている。 新聞社で働くという当初の目標からは随分とかけ離れた暮らしではあるが、『日米タイムズ』で学んだことを活かすべく、毎週日曜日、全米日系人博物館のツアー案内係のボランティアを行っている。博物館を訪れてくれた人たちが、日系人や、日系コミュニティ、そしてその歴史について理解を深め、少しでも自分のこととして考えてもらえるようになって帰っていただけたら―という思いはもちろんある。ただ、それ以上に、「もう“無知”でありたくない」という気持ちの方が強い。ボランティア活動を通じて、私はひとりの“日本人”として、同胞であり、先達でもある日系人、日系コミュニティについて、今も少しずつ学んでいる。 

© 2010 Miho Tokuyama

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