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二つの国の視点から

ベリナ・ハス・ヒューストン~自らをアメラジアンと呼ぶ日系2世の劇作家 -その3

>>その2

歴史書から消された戦争花嫁を戯曲に

1985年に初演されたこの作品は、『Unbroken Thread』(1993)という戯曲集に台本が収められており、この本の表紙に「ティー」のアメリカでの公演時の写真が使われている。

『Unbroken Thread』

写真に映っている5人は、カンザス州のジャンクション市に住む5人の戦争花嫁、ヒミコ、アツコ、セツコ、チズエ、テルコ。出身地も夫の人種も違う5人は、ヒューストンの母を含めて、彼女がジャンクション市で知り合った複数の戦争花嫁がモデルになっている。 主人公のヒミコは日本での不幸な生活を逃れるために、アメリカでアメリカ人との生活に賭けるが、その希望は夫の暴力で崩壊し、夫を射殺してしまう。さらに一人娘のエミコが強姦の後に殺されるという事件がおき、この後、ヒミコは自らの命をも絶ってしまう。

事件の後、アツコ、セツコ、チズエ、テルコの4人が、ヒミコの家に集まって、お茶を飲みながら自分たちの日本での境遇やアメリカでの生活について話をする。その会話にヒミコも亡霊として参加しているのが面白く、また各人が時に夫になったり自分たちの子どもになったりして心情を吐露している部分も興味深い。彼女たちの会話は、時に激しい。

アツコ:私の夫が日系アメリカ人だからって、私に意地悪なことを言わなくてもいいじゃない。
チズ:私が日系アメリカ人を尊敬していると思っているの?
アツコ:彼らは私たちと同じ日本人でしょう。夫の両親はカリフォルニアの砂漠の強制収容所で死んだのよ。日本人だっていう理由だけで。
チズ:彼らは日本人じゃないわよ。アメリカ人よりも私たちのことを嫌っているのよ。自分たちの嫌な部分を思い出すからでしょうね。彼らには選択肢があったけれど、私たちにはなかった。彼らはあなたのことだって嫌いなはずよ。だって、あなたは「戦争花嫁」でしょう。
アツコ:私は戦争花嫁じゃありません。戦争と結婚したわけじゃないんだから。
セツコ:私たちは戦争と結婚したのよ。
チズ:それで、カンザス州まで来たわけね。アツコ、あなたが思い描いた童話の結末のようにはならなかったわね。

日系アメリカ人と結婚したアツコ、メキシコ系アメリカ人と結婚したチズ、黒人と結婚したセツコ、テキサスの白人と結婚したテルコは、戦争花嫁としてそれぞれの人生を歩み、お互いの偏見も持ち合わせている。でも、ヒミコの死を経て、お茶を飲みながら話しているうちに、少しずつ連帯感を強めていく。

チズ:今日集まってよかった。どうしてかわからないけれど、日本の女の人と一緒にいると心が休まる。
セツコ:助けたいと思っていた人を皆呼べばよかったわね。今日、お茶を飲むだけでも違う。
アツコ:ええ、お茶の味も違うし。
チズ:また、お茶を飲もうか。みんなで。
セツコ:そうね、近いうちに。

そして、亡くなったヒミコをお茶に誘うところで幕が下りる。

この作品の日本での初演は1993年だが、戦後50年を記念して企画された1995年2月の両国シアターΧでの公演が注目された。国際青年演劇センターによるこの公演は、複数のマスメディアで取り上げられた。

朝日新聞の編集委員、扇田昭彦は「戯曲に盛られた事実の重みは圧倒的だった。アメリカでは歓迎されず、日本側からは故国を捨てた半端ものとみなされる中で生きざるをえなかった女性たち。その肉声と叫びが切々と伝わってきた」と書き、「日本の現代史と深く関わる日系・アジア系演劇の成果をもっと私たちの目に触れる機会を作り出すべきだろう」と結んだ。(朝日新聞 1995年2月27日 「ミニ時評」)

まさに、わが意を得たり、の劇評である。読売新聞は「終戦直後に米軍兵士と結婚して渡米した日本女性の苦難を描いていく。望まれなかった結婚に対する怒りを底流としたが、舞台は明るく、誠実でたくましい女たちで彩られた。戦争の落とした影は深いが、前向きな人生観に救われた思いがした」。(1995年3月1日 杉山弘)

毎日新聞は「米国先住民と黒人の混血だった父と戦争花嫁の母との間に生まれた作者が5人に注ぐ目は優しい。米国への糾弾は、そのまま日本にも通じよう。舞台背景の白ずんだ米国旗を含め、詩情が漂う舞台だ」。(1995年3月2日 高橋豊)

演劇雑誌の『テアトロ』は1995年5月号で、「色々な意味から画期的な内容の芝居である。第1に戦争花嫁という存在を明確にできたこと。これまで彼女らは全般的に幸福に生活しているものと考えられてきたが、実際には日本からも米国からも疎外され、異文化の中で大変な苦労をしてきたことが示された。(中略)第2に、人種の坩堝と言われ、いかなる背景をもつ人間も星条旗の前に宣誓させることで米国人としてのアイデンティティを強制してきた米国社会に、日本人としてのアイデンティティに固執する人間のことを考える余地がやっと生じてきたことだ」と書いた。

戦争花嫁というと、フィクションでは有吉佐和子の『非色』(角川書店 1967)、芥川賞を受賞した吉目木晴彦の『寂寥郊野』(講談社 1993)、ノンフィクションでは写真家、江成常夫の『花嫁のアメリカ』(講談社 1981)があり、「ティー」以前にも戦争花嫁の苦難はそれなりに伝えられている。最近でも、『アメリカに渡った戦争花嫁』(明石書店 2004)や、『私は戦争花嫁です-アメリカとオーストラリアで生きる日系国際結婚親睦会の女たち』(北國新聞社 2006)が本人たちの体験談を伝えているし、今年(2009年)、10月16日から12月20日まで、横浜の海外移住資料館が、企画展「海を渡った花嫁物語」を開催し、戦争花嫁たちの写真や証言映像などを展示している。

戦争花嫁の子供たち、つまりヒューストンのようなアメラジアンについては、『アメラジアンの子供たち』(集英社 2002年)を読むとよくわかる。筆者のS.マーフィ重松自身もアメラジアンで、本の中でヒューストンについて言及しており、常にアイデンティティを模索しなければならないアメラジアンの心情を描いている。

「ティー」の劇評はそれぞれ興味深いが、米国社会に、日本人としてのアイデンティティに固執する人間のことを考える余地がやっと生じてきた、という『テアトロ』の結論はやや性急な気がする。人がお互いの違いを認めるには時間がかかる。

アメリカは人種の坩堝といわれるが、人種や民族が1つに溶け合っていくことはない。結局のところは違うアイデンティティを持つ人や集団を認めていくしかない。朝日新聞の取材でヒューストンは、「お互いの違いを尊重し、良さを学びあうことこそ、その社会が進むべき道なのではないか」。そして自分にとって演劇とは「人々がいかに違うかを表現する手段なのだ」と述べている。(朝日新聞 1994年6月5日 「ひと」)

その4>>

*本稿は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 のコラムシリーズ『二つの国の視点から』第7回目からの転載です。

© 2009 Association Press and Tatsuya Sudo

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About this series

海外に住む日系人は約300万人、そのうち在米日系人は約100万人といわれる。19世紀後半からはじまった在米日系人はその歴史のなかで、あるときは二国間の関係に翻弄されながらも二つの文化を通して、日系という独自の視点をもつようになった。そうした日本とアメリカの狭間で生きてきた彼らから私たちはなにを学ぶことができるだろうか。彼らが持つ二つの国の視点によって見えてくる、新たな世界観を探る。

*この連載は、時事的な問題や日々の話題と新書を関連づけた記事や、毎月のベストセラー、新刊の批評コラムなど新書に関する情報を掲載する連想出版Webマガジン「風」 からの転載です。