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日本文化にかかわり続ける -前野ジョン久仁男さん-

初めてこの人と会ったのは、二世週日本祭に向けての準備の時でした。祭りの最大のイベントの一つに、小東京一帯の道路を閉鎖して繰り広げられるグランド・パレードがありますが、それに登場する音頭の一般参加者を対象とした稽古の時です。私も彼も、その年の振り付けを担当した日本舞踊の師匠による稽古に参加していたのですが、年配の参加者が多い中で、彼の若さが一際光っていました。しかも、飾り気のまったくない話しっぷり。日本人とは日本語で、日系人とは英語で冗談を言い合っています。

その後ほとんど毎年のように、二世週祭の時期になると顔を合わせていたのですが、彼が耳鼻科医であること、そして米国書道研究会で書道を長年学んでいたことは後で知りました。この若い日系人と話していると、彼の日本文化へのこだわりの強さが伝わってきます。今の日本人以上のこだわりです。そこにどれほど、米国書道研究会で書道を学んだ影響を見て取れるか。この若い日系人の心にどのように書道の教えが生きているのか。彼との会話はいつも興味の尽きないものとなっています。

前野ジョン久仁男(くにお)さん。今年45歳。ロサンゼルス生まれで、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で微生物学を、その後シカゴ医科大学で医学を学びました。現在は主にパノラマシティーの病院で耳鼻科の医療に携わっており、スタジオシティーの丘の中腹にある家に、福岡県出身の妻、美詠子さんと住んでいます。

祖父が和歌山からの移民で、父親はターミナル島生まれの日系二世、母親は日本からの移民。男ばかり四人兄弟の末っ子でした。父親との会話は英語でしたが、「子どもたちには日本語と日本文化を身に付けてほしい」という母親とは、一貫して日本語で話していました。日本語は羅府上町第二学園と日本語学園協同システムの中高学部で学びました。

実は、柔道を柔道を五歳のころから四、五年、後に剣道をUCLAを出てから一年半ほど習っており、日本の習い事とのかかわりは、それほど目新しいものではありません。しかし、書道とのかかわり、いや、米国書道研究会の生田観周会長と博子主幹(いずれも当時)とのかかわりが、日本文化へのこだわりを決定的にしたようなのです。

次男の兄が協同システムの中高学部で書道を習っていたので、一緒に学ぶことにしました。「せめて自分の名前ぐらいきちんと書けるようになってほしい」という母親の勧めもありました。まったく初めての書道です。最初は観周氏から、その後は博子氏からも指導を受けました。先生が書いてくれた手本をまねて書こうとするのですが、もち論なかなかうまく書けません。「指導は厳しかったし、難しかった」。それでも、先生の言うことを素直に聞いて、何とか手本の通りに書こうと常に努めました。

そんな彼に観周氏は「もっとしっかり持ちなさい」と言いながら、手を取って教えてくれます。その時、筆の持ち方だけでなく、紙への角度、筆を置く強さ、筆運びの速さなどを、肌を通して学ぶことができました。墨の濃さもありました。そして「観周先生や博子先生が書いてくれた手本をまねて何度も何度も練習する中で、人生の大切な教えについても学んでいたと思います。それは、訓練や忍耐の重要性であり、穏やかな心、完成を目指す心の大切さというものでした」。「やるんだったら徹底してやる」「何か始めたら、終わりまでやり通す」。そんな教えがものの考え方の基本になっていると言います。

UCLAに入学すると、学業が忙しくなり、日本語の勉強は途切れましたが、書道は続けました。その後、シカゴの医科大学に進んだため書道も続けることができなくなりましたが、日本文化への執着はどんどん強まっていったようです。それは、日常生活における日本文化にも及びました。

結婚もそうです。結婚相手は「日本語を話すこと」というのが最低限の条件でした。医学の研修で日本から来ていた美詠子さんと2003年に結婚したのですが、美詠子さんは祖父が歌人で、母親も祖父の影響で和歌をたしなんでおり、それに美詠子さん本人も小笠原流煎茶の教授の資格をもつ人。そうした日本の伝統文化を身に付けた人が醸し出す雰囲気が、伴侶とする決め手になったのかもしれません。結婚式は羽織袴、三三九度、そして最後に参加者一同で「炭坑節」を踊るという趣向で、美詠子さんすら「アメリカにきてこんな結婚式挙げるとはまったく思っていなかった」と驚きました。

古風とも言われるのですが、結婚後、「妻にはやはり家庭にいてほしい」と希望。美詠子さんは主婦業に専念するようになりました。食事は何と言っても日本食です。一年に二度は訪日し、歴史的に所縁のある所を訪れたり、伝統的な日本文化に触れたり。踊りは、ロサンゼルス地区の各仏教会を回っての盆踊りと、二世週祭のパレードの音頭への参加。そして今は、盆栽を学んでいます。

「日系の若者たちが日本語を話せないのをみると、実に悲しい。それに、日本のことも知らず、自分のルーツも知らない人が多くなってきています。私は自分なりに、日本文化を維持し続けたいと思っていますが、日系社会でももっと日本文化を継承していく努力をしてほしいと思います」

日々の生活におけるものも含め、さまざまな日本文化にかかわり続けようと努めている前野さん。その彼に「今年も一緒に二世週祭のパレードで踊りましょう」と元気のいい声を掛けられた時、私は思わず「もち論。楽しみにしています」と応じていました。

*本稿は『TV Fan』 (2009年3月)からの転載です。

© 2009 Yukikazu Nagashima

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