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ポスト「ペルー二世協会」 - 地域ごとに組織化の試み: 望まれるリーダーの再現-

ロサンゼルス地区に住む日系ペルー人らで組織していたグループ「ペルー二世協会」が1990年代半ばに自然解散状態となってから、すでに15年近く。いまだにそれに代わる新たな組織はできていないが、イベントを通じてグループを作ろうという動きはいくつか進んでいる。(*「ペルー二世協会」の創設から自然解散状態については、『「ペルー二世協会」 - ナカダさんの新たな挑戦: 戦後渡米者らの本国帰還も』 をご参照ください。)

同協会の自然解散の理由の一つが、会員らがどんどん郊外に移り住むようになり、みんなでまとまって活動するのが次第に難しくなっていったことだったが、そうした彼らが移り住んだ地域で、組織作りへ向けた動きが進んでいるのだ。その一つサウスベイ地区では、大晦日の晩に新年会を開くなどしている。担い手になっているのは、少なからず二世協会にかかわった経験を持つ人たちだが、今後ペルー二世協会のような組織になるかどうかはまだ分からない。当面はさまざまな紆余曲折を繰り返していくことになりそうだ。

ペルー二世協会の創立者で、同協会の会長を長年務めたアレックス・ナカダさんは、協会のために実に献身的に活動した。そうした姿を見ていた人の中に、現在トーレンス市でペルー料理と寿司のレストラン「コトッシュ」を営んでいるロシオ・ヤマシロさんや、ナカダさんの妹で、北米沖縄県人会の会員であるテレサ・アゲナさんがいる。トーレンス市を含むサウスベイ地区はこの10年ほど、多くの日系ペルー人が移り住んだ地域の一つ。ペルーの日系人には沖縄系が多く、トーレンス市北のガーデナ市には北米沖縄県人会館もあり、組識化の動きを進めるには地の利を得ていた。

そうした事情を踏まえ、テレサ・アゲナさんと夫のペドロさんが中心となって、北米沖縄県人会館のホールを会場に、2004年に新年会を催した。アゲナさんは同県人会の会員であるため、大晦日に空いていた県人会館のホールを利用することができた。

ただ、すでに引退しているアゲナさん。新年会への参加を呼び掛けた人たちはやはり同年代の中高齢層の人たちが大半で、新年会はダンスなどなく、カラオケを中心としたものだった。それに、夜のパーティーということで高齢者には出にくく、参加者の数は限られていた。

それでも2年ほど続けたが、やはり「できれば若い人にも来てもらって、もっと大きなパーティーにしたい」との希望は持っていた。

ロシオさんは1993年と94年にペルー二世協会が催したイベントに参加。「とても有意義な経験だった」と話す。そのロシオさんが、サウスベイ地区で日系ペルー人の組識化へ向けて具体的な動きを始めたのは、2007年の春のことだった。ロシオさんはペルーの首都リマにある日系の高等学校「ラ・ウニオン」の卒業生で、サウスベイ地区には同校の卒業生がけっこう多く住んでいることから、機会をみて同窓会を開いたり、在学中にソフトボールをしていた人たちと時々一緒にプレーしていたが、ついに本格的なチーム作りを始めようと、トーレンス市のトーナメントに出場することを決めたのだ。いつも「いつか、そのうち」という話だけで終わっていたチーム作りをやっとスタートさせたのだった。

そんな時、テレサさんから声が掛かった。2007年の秋のことである。新年会を手伝ってほしいというのだ。基本的には、以前からの希望である、若い人を集めたいということだった。そうして、2人が中心となってその年の大晦日に開く新年会へ向けて、できるだけ多くの人たちに参加を呼び掛けることになった。ロシオさんはEメールで、テレサさんは電話で案内するというものだ。

こんな時には、ロシオさんがレストランを営んでいることが大いに役に立つ。レストランは人が集まる場である。それに、どこそこの日系ペルー人が今度ガーデナ市に越してきたとか、いろいろな情報も入る。ラ・ウニオウン高校の卒業生やソフトボール・チーム作りで知り合った人たちに加え、レストランに来る日系ペルー人の客から連絡先をもらうなどしているうちに、ロシオさんのEメール・アドレス帳はどんどん膨らんでいった。

北米沖縄県人会の会館ホールで2007年12月31日夜に開かれた2008年の新年会 (写真提供=ロシオ・ヤマシロさん)

そして、その年の新年会である程度の成果があったことから、翌年もそうした努力を継続。2008年末の新年会に向けては、100人にのぼる人たちにEメールで案内を出すほどとなり、売ったチケットは170枚に上った。テレサさんは夫とともに2008年にペルーに帰還したが、年末に向けてロサンゼルスを訪れ、かつての仲間に電話で新年会への参加を呼び掛けた。連絡した人の中には、ペルー二世協会のメンバーだった人たちも少なくなかった。こうして、その年の新年会は定員の100人を越える人たちで賑わった。

しかし、問題は、このグループがきわめて緩い組織であるということだ。いや、組織とはまだ呼べないものと言ったほうがいい。大勢の日系ペルー人の名前を連ねたリストはできたが、それは「会員」のリストではなく、会の名前はないし、会費もないし、もちろん、会長、副会長、書記、会計、庶務といった組織図もない。

ロシオさんはラ・ウニオン時代、リーダーズ・グループに属し、子供たちの指導にあたっていた経験を持つ。現在は2人の娘を持つ母親として「ロサンゼルスに住んでいても、自分が育ったのと同じような環境で育ってほしい」と願っており、そのための環境作りをしたいというのが、日系ペルー人の組織作りに努めるロシオさんの大きな原動力になっている。それでも、一人でそうした活動を進めるのはなかなか難しい。たとえ催しを開く時に協力を得られても、ほとんどその場だけの協力で終わってしまうことが多い。ロシオさんのジレンマはなかなか解消されない。

「ニュースレターを出して、もっと多くの人たちに活動を知ってもらおうという人もいる。『シングル・ナイトをしたい』という人もいる。しかし、だれが何をするか、というところまで話がなかなか進んでいかない。そうしたイベントを私一人でオーガナイズするのはとても無理。私も自分のレストランを少しでも大きくしていきたいと思っているし、そのためにはビジネスに割く時間が当然増えてくる」

残念ながら、2009年末の2010年新年会は開かれなかった。経済状況が年々厳しくなってきている中、レストランの維持のためにロシオさんは多忙をきわめ、新年会をオーガナイズのために時間が割けなかったし、テレサさんはペルーから戻ってこなかった。新年会がなかったことを批判する人は多いものの、結局、ロシオさんやテレサさんに代わってリーダーシップを取ろうという人が現れなかったことは大きい。ロシオさんは以前から「リーダーが必要」と話していたが、新年会を開催できなかったことで、さらにその必要性を痛感しているところだ。今、ロサンゼルス地区の日系ペルー人社会に、第2のアレックス・ナカダの出現が望まれているということなのかもしれない。

2007年12月31日。2008年の新年会 (写真提供=ロシオ・ヤマシロさん)

© 2010 Yukikazu Nagashima

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