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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2010/10/27/lani-nishiyama/

今年の二世ウイーク女王ラニ・ニシヤマさん

南カリフォルニア日系最大のイベント「二世ウイーク・ジャパニーズ・フェスティバル」で女王に選出される女性たちには、日系としての誇りや自信をうかがうことができるが、今年の第70回二世ウイークで女王に選ばれたラニ・クメ・ニシヤマさん(24)は、祖父との深い「心の絆」を感じさせた女性として、多くの人の記憶に残ることだろう。

今年の二世ウイークは7月下旬に華々しく開幕、8月14日に女王選出の「コロネーション・ボウル」が催され、西ロサンゼルス日系市民協会(JACL)とベニス日系コミュニティーセンターの推薦を受けたニシヤマさんが7名の候補者の中から栄冠を獲得した。

二世ウイーク女王の座を勝ち取ったラニ・ニシヤマさん (中央)

二世ウイーク女王選出までの過程は平坦な道ではない。居住区からの推薦を受けたあと、短期間のうちに日本文化の習得が求められる。大学での成績は優秀でなければならず、論文をまとめる力だけでなく、演説に長け、ユーモアに富み、人との巧みな接触が必須。容姿端麗はもちろん、着物姿の美しさなども要求される。

そうした過程を経て女王に選ばれたニシヤマさん。趣味は、ピアノ演奏、歌、料理、陶芸、旅行、バレーボール、スノーボード、美術館めぐり、おいしいレストラン探しなど幅広く、目指している俳優業への要素に満ち溢れている。女王となる要素も十分だった。

ニシヤマさんはハワイ生まれ。幼少の頃LA近郊に移住し、USC(南カリフォルニア大学)を卒業後しばらく不動産業に携わったが、現在はウェイン・ドボーク俳優養成所に通い、映画俳優への訓練に余念がない。

そのニシヤマさんが、女王に選ばれて「忘れられない人」として話したのが、祖父ロバート・平良さん=2003年没、享年80=のことだった。平良さんは、沖縄県人会発展への功績で知られ、常に善意をもって他人に接した人だったが、ニシヤマさんは「そうした偉大な祖父がいなかったら、誰が今日の自分を想像できただろうか。女王に選出された姿を祖父に見せたかった」と涙した。

祖父のロバート・平良さん

祖父の平良さんは1923年、沖縄出身の両親を持ち、11人きょうだいの9番目として、ハワイのワイリア砂糖きび栽培地で生まれた。第二次世界大戦時に通訳として日本に出征。終戦後ハワイアン・ベーカリー料理学校で学び、26歳の時、友人から380ドルを借り、ハワイのヒロ市で一番目のベーカリーをオープン。「ポルトガル・スタイル」のスイート・ブレッドを作り、販売した。ビジネスは拡大の一途をたどり、その後ホノルル市に移転、32年前にカリフォルニアにも出店し、全米に販売網を拡大すると同時に、外国へも輸出するようになった。

平良さんは大学へは進まなかったが、一時ハワイ大学で講義を受け持ったこともある。北米沖縄県人会のメンバーとなり、県人会館建設資金に多大な資金援助をしたとして、県人会の比嘉朝儀会長(当時)から表彰を受けた。

平良さんは事業経営の才能を発揮し、家族運営の小規模ビジネスを世界的規模にまで発展させた。敬虔なキリスト教徒として人道主義にあふれ、家族を大事にし、多くの友人に恵まれ、慈善団体に多大な援助の手を差し伸べて来ただけに、平良さんが他界した際は、多くの人が彼の死を悼んだ。

当時17歳の高校生だったニシヤマさんは、ロサンゼルス近郊トーランス市のチャペルで行われた葬儀のことをよく憶えている。多くの人が参列し、式場に収容しきれない人は外に列を作っていた。同じ時期にハワイでも葬式が挙行された。

祖父の足跡を踏まえながら、ニシヤマさんは「日米親善大使として、カリフォルニアの日系行事に積極的に参加し、日系社会に貢献するよう努力したい」と抱負を語っている。

長洲未来さんとラニ・ニシヤマさん。

二世ウイーク祭りは8月15日にはパレードがあり、ニシヤマさんは他の6名のプリンセスとともに、フロート(山車)に乗って登場。詰め掛けた沿道の人々の声援に手を振って笑顔で応えていた。

なお、パレードのグランド・マーシャルは菊地日出男さん、パレード・マーシャルは長洲未来さんが努めた。沖縄県人会芸能部も眞境名愛子部長を中心に部員30人が「パラダイス・ウルマジマ」音頭で行進した。特別ゲストでフロートに乗った美川憲一さんが「沖縄の衣装、とてもきれい」とほめていた。 

ちなみに、パレード・マーシャルをつとめた長洲さんは米国フィギヤスケート界期待の星で最も有名な一人。ロサンゼルス郊外のモンテベロで生まれ、スケートを始めたアーケディアで育った。今年のバンクーバー冬季オリンピックでは見事4位に。ソチ五輪優勝を目指し前進しているホープ15歳。父清人さんは茨城、母育子さんは長野出身でアーケーディアで寿司店を営んでいる。

二世ウイーク女王選出を喜ぶラニ・ニシヤマさん(中央)、第一準ミスのケリー・テラガワさん(左)、準ミスのローレン・ウエバーさん(右)。京都グランドホテルにて。

© 2010 Sadao Tome

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About the Author

Born in Motobu Town, Okinawa Prefecture in August 1941. After working for Gakken and other companies, he moved to the US in 1969. Graduated from Glendale City College, transferred to California State University (CSULA) before dropping out. Served as president of the Okinawan Association of America for two years, from 2005 to 2006. Currently, he is chairman of the "Okinawan Association of America History Book Compilation Committee." He is a US correspondent for the Ryukyu Shimpo. In 2008, he was certified as a member of the Japan Essayist Club. He is the author of "Living in America."

(Updated January 2011)

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