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ハリウッドで30年以上活躍してきたメイクアップ・アーティスト  -カオリ・ナラ・ターナーさん- その1

日本の映画やテレビの世界でメイクアップ・アーティストといっても、まだまだなじみが薄いが、ハリウッドでは立派な芸術家。メイクアップ・アーティストとして映画の殿堂で活躍し、数多くのスターたちと交流してきたカオリ・ナラ・ターナーさん。その前向きな姿勢は、多文化・異文化社会を生きるヒントを与えてくれるのではないだろうか。

メイクが取り持つハリウッドスターとの交流

映画ファンなら誰でも、彼女の話を聞けば身を乗り出すに違いない。華やかな映画の殿堂・ハリウッド。彼女の口からは世界的な有名な大スターとのエピソードが次々と飛び出す。それも、スクリーンの中のヒーロー、ヒロインというだけでなく、彼女の友人としての素顔が……。

カオリ・ナラ・ターナーさん。ハリウッドで30年以上も活躍してきた日系人のメイクアップ・アーティスト。いや、いまなお活躍するメイクアップ・アーティストである。

役柄に応じて俳優にメイクアップを施すのが仕事。いってみれば映画の世界の裏方さんだ。だが、同時にアーティストでもある。米国では、映画という文化・芸術を陰で支える芸術家として高く評価しているのだ。

取材で会うは初めてだったが、実は2007年7月にロサンゼルスでお目にかかっている。カオリさんを含め5人の日系人の日本の叙勲の受賞を祝うパーティーにたまたま招待され、簡単な挨拶をした。5人の受賞者の1人がカオリさんだった。

取材で会ったカオリさんから、著書をいただいた。「メイクアップハリウッド」(角川書店)。副題は「日本人メイクアップ・アーティストが見た素顔のアメリカ映画」。本には、カオリさんが親しくする大スターが続々と登場する。

巻頭の写真に登場するのは、ブルース・ウィルス、バート・レイノルズ、ジョージ・チャキリス。いずれも親しい間柄であることがひと目でわかるツーショットの素敵な写真だ。

目次に出てくる名前をピックアップすると、スティーブ・マックィーン、ショーン・コネリー、クリント・イーストウッド、アーノルド・シュワルツネッガー、ロバート・レッドフォード、ジャッキー・チェン、トム・ハンクス、シルベスター・スタローン、リチャード・ギア……。メイクが取り持つ縁というだけでは、これだけのそうそうたる顔触れとの交流はできないだろう。

サンパブロの艦上で結婚式・仲人はマックイーン

カオリさんは1933年、東京生まれ。4人兄弟の二女で、母の勧めで6歳の時から踊りの稽古に通った。義理の兄が米国でタップダンサーをしていた関係でタップダンスも習った。

戦時中は一時、富山に疎開したが、戦後、焼け野原となった東京に戻った。家は焼け、父もまもなく亡くなった。カオリさんは生活を助けるために14歳で踊りの仕事を始めた。進駐軍の慰問チームに参加。踊りのショーに出演した。その後、踊りのチームの一員として全国各地を回ったが、カオリさんの踊りは次第に認められ、ソロダンサーとして日劇のステージに立つようになった。さらに、日本文化使節団に選ばれ、ヨーロッパなどへの海外公演にも参加するようになった、

転機が訪れたのは31歳の時。香港の公演で夫となるハリウッドのメイクアップ・アーティストのビル・ターナー氏と出会ったのだ。ターナー氏はスティーブ・マックイーン主演の映画「戦艦サンパブロ」の撮影のため香港に滞在していた。

ターナー氏は舞台で踊るカオリさんに一目ぼれ。カオリさんは食事に誘われ、結婚を迫られる。踊りの世界に没頭していカオリさんは申し出を拒否。しかし、あきらめきれないターナー氏をスティーブ・マックイーンが支援し、熱意にほだされたカオリさんは1ヵ月後にサンパブロで艦上で結婚式を挙げた。新郎は40歳。スティーブ・マックイーンが仲人を、「花嫁の父」をロバート・ワイズ監督が務めた。

結婚しても踊りはやめなかった。カオリさんはラスベガスでステージに立ち、週末に夫が住むロサンゼルスに帰った。そんな生活のカオリさんにアクシデントが襲う。踊りの途中に靭帯を切り、二度と踊れなくなったのだ。失意のカオリさんを夫が一緒にメイクの仕事をしようと誘った。38歳の彼女を襲った大きな災いが新たな人生の転機を招いた。

その2>>

*本稿は『多文化情報誌イミグランツ』 Vol. 3より許可を持って転載しています。

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About the Author

Representative director of Immigration Information Organization Co., Ltd. Editor-in-chief of Immigrants, a multicultural information magazine published by the company. Joined the Mainichi Shimbun in 1974. Served as a reporter in the city affairs department at the Osaka headquarters, a reporter in the political department, editorial writer, etc. Retired in March 2007 as deputy editorial director. Served as an advisor to Wakayama Broadcasting System and a media consultant to the International Organization for Migration (IOM).

(Updated October 2009)

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