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日本文化に夢中:日本の伝統文化を極める“ガイジン”さんに、その魅力を聞くシリーズ

第5回 「禅宗寺初のアメリカ人僧侶として」 - ラング明心師

南カリフォルニアの日系社会において、四季折々の祭事会場として、また生け花や茶道など日本文化を学ぶ教室を運営していることで馴染みがあるのが、 リトルトーキョーの禅宗寺である。曹洞宗の北米拠点として開山された禅宗寺の87年の歴史の中で、初のアメリカ人僧侶が、ラング明心(みょうしん)師であ る。

仏教にはいかに生きるかの答えがある

明心師の本名はジョン・ラングという。1956年にミネソタ州ミネアポリスに生まれたジョン少年は、中学生の時に初めて東洋と出会う。

「陶芸家でもあった美術の教師が、1年間、京都の窯元で修行していたという話を聞いたのが、私にとっての『東洋へのイントロダクション』だった」。ミネア ポリスの日系人人口はわずかだったので、その教師との出会い以外は日本食レストランで食事する程度の日本とのつながりだった。

そんな彼が転機を迎えたのは、さらに四半世紀以上経ってからのことだった。

「一度社会に出た後、40代に入ってから、二度目の大学生活をロサンゼルスのアートセンターカレッジ・デザインで送り始めた。写真の修士課程を専攻してい た時に、日本の墨絵を知った。それらの墨絵は、明らかに仏教文化の影響を受けていた。墨絵に興味を持ち、その流れで仏教に関する本を読むようになった。そ んな時、私の友人が受講していた別のクラスで、リトルトーキョーの禅宗寺を訪問することを聞きつけ、ぜひ私も参加させてほしいとお願いした。そこで、僧侶 と1時間ほど話をする機会があり、座禅も体験した。私の中で、本で得た知識と実際に体感した仏教とが合致した瞬間だった。仏教は自分自身の中に絶対性を見 出し、真摯に向き合うことで自らをよりよく理解するという点が論理的だと思えた。そこには、まさに自分自身がいかに生きるかの答えがあり、それをするもし ないも自分次第なのだ」

禅寺修行の後、国際布教師として米国へ

そして、写真家としてのキャリアよりも仏の道を、彼は選ぶことになる。

「これから残された後半の人生を、写真家として生きるか、それとも仏の道を追究するか……。どう考えても、人の役に立つ僧侶を選択するのが、私には賢明で健康的な選択に思えた」

そして、しばらく禅宗寺に通った後、2003年、彼は日本へと赴いた。福井県の宝慶寺で修行するためだった。一番辛かったことは? との問いには。

「暖房器具がないので、冬の間、室内でも外と同じくらいに寒かったこと。それでも、修行の間はまったくアメリカが恋しいとは思わなかった」

修行に定められた期間はなく、もう十分だと認められた時に終わりを告げられるのだそうだ。1年後、曹洞宗の国際布教師の位を受けた彼は、明心の名を授けられて帰国した。そして今度は母国アメリカに適応できずに違和感を覚えたそうだ。

「すべてが大きくて、煩わしくて、急いでいるように感じられた。福井での生活は静かでゆっくりとしたものだったから」。

1年の歳月が、彼をジョン・ラングから明心師へと変貌させたのだ。では、修行以前と以後で何が最も変わったかについて聞いてみると……。

「自分が前に出るより、他者を尊重するようになったのが最も大きな違いだと思う。そうすることによって自分自身がリラックスできるようにもなり、ストレスからも解放された」

日本での修行を終えて禅宗寺に戻り、常勤の僧侶としてお務めを始めてから3年。英語のネィティブスピーカーの僧侶として、「日本語を話せない日系人だけで なく、幅広い層の人々に英語で仏教の教えを伝えることが自分自身の役割だと認識している」と語る。最後に夢を聞くと、明心師の答えは「可能な限り、お務め を続けること」と、地に足の着いたものだった。

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禅宗寺のウェブサイト: www.zenshuji.org

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* 本稿はU.S. FrontLine 2009年6/5号からの転載です。

© 2009 Keiko Fukuda

buddism religion U.S. FrontLine zen

About this series

三味線、陶芸、詩吟、武道、着物…その道を極めるアメリカ人たちに、日本文化との出会いと魅力について聞く。(2009年のU.S. FrontLine より転載。)