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ビバリーヒルズにフローズン・ヨーグルトの店を開いた“大和なでしこ”川島正子さん

“ビバリーヒルズにお店を開いた日本人の女性オーナー”-お会いする前は、どんなにアメリカナイズされた強い女性なのだろうと、想像していた。ロデオドラ イブのビバリードライブ沿いにあるフローズン・ヨーグルトの店「Sno:la」のオーナー、川島正子さんはそういった先入観を180度転換させる、心穏や かで柔軟性のある“大和なでしこ”だった。

「Sno:la」のオーナー、川島正子さん

「ずっと長い間エンターテイメントの仕事をしています。イベント(コンサート、スポーツなど)を日本に招聘して、ツアーを組むんです。ローリング・ストーンズやスティービー・ワンダー、プリンス…、いろんな人とツアーする機会がありました」

「Sno:la」を始める前からの本業として、川島さんは洋楽のアーティストを中心に日本公演を実現させるプロモーターで、現在も忙しく世界中を飛 び回っている。91年からLAへ。アーティストのエージェンシーはほとんどLAにあることから、契約書を交わすたび、アメリカで法律を勉強したいという思 いが強くなり、LAに移り住むことを決意、仕事をしながら大学に通い、ディプロマも取得した。

レストランや食べ物のお店に関わった経験は一切なし、という川島さんが本業を中断してまでも、フローズン・ヨーグルトのお店を始めようと思ったのは、本当にふとした思いからだった。

「常にロードに出ているミュージシャンの人たちって、よく甘いものを食べたいねなんて、話をするんです。でも太りたくないねって(笑)」。そんなときフローズン・ヨーグルトの話題になり、いつしか川島さんはLAで本格的に店を開くことを考え始めた。

「自分でヨーグルトを作ることはできないので、ラボの方に『こういう味を作りたい』というアイデアを出し、一年以上かけて開発しました。基本的にお願いしたのは『オーガニックにしたい』ということ、『白いお砂糖を使わない』ということです」

“こういう味”ってどんな味なんでしょう?「どこにもないものを作ってみたかったんです。ジェラートでも、アイスクリームでも、シャーベットでも、 昔からのフローズン・ヨーグルトでもないものを」。こうして何百回と試食を重ねたのが“スノーラ”。「やっと思ったような感触で、歯ざわりで、おいしく て、それで健康にもいいものが作れました」

アイスクリームでもフローズン・ヨーグルトでもない? じゃあ、何て呼べばいいんですか?「スノーラ(笑)。固有名詞ではなく、一般名詞になればいいなという熱意を持って作り始めました」

2007年9月にビバリーヒルズに第一号店をオープン。以降、京都とサンタモニカにも支店を出した(サンタモニカは7月オープン予定)。京都店は 「行列のできる店」としても知られるようになった。ロサンゼルスの2店は暑くなるこれからが本番だが、オープン以来、CNN始めメディアの取材を数多く受 けている。

「“環境”を気にしているというのに関心を持ってくださったようです。オープンして一ヶ月も経たないうちに、CNNが来てくれた。そのときビバリー ヒルズの市長さんも『スノーラのような、グリーンビジネスを我々はサポートする』と言ってくださった。それから次々に(取材が)来るようになりました」

「Sno:la」は、今はやりの“グリーンビジネス”(環境に配慮したビジネス)。オバマ大統領が誕生した今でこそ、環境ビジネスは景気回復の担い 手として期待されているが、2年前は、環境問題に全米一熱心なカリフォルニア州でさえ、川島さんのように本格的にビジネスに環境を取り入れるのは珍しかっ たのだ。

「Sno:la」の環境への取り組みは徹底している。まず、使う牛乳、ヨーグルト、そしてフルーツなども出来る限りオーガニック。健康に優しいのは もちろん、土にも優しいからだ。容器はコーンやさとうきびから出来ており、こちらは土壌を汚染することなく自然に返っていくもの、また廃材の有効利用でも ある。持ち帰りの箱はリサイクルで、印刷インクは化学物質を使わないソイインクだ。

『我々は、地球を祖先から譲り受けているのではない。将来の子どもから借りている』-川島さんが好きなインディアンの言葉だ。地球の将来を子どもたちのために良くしたい。その一念で環境に優しい経営に取り組んでいる。

プロモーターとしてシビアなビジネスも経験してきたが、“商い”となると全く別だった。自分の求めていた“スノーラ”を生み出すことはできたが、店舗経営を始めるにあたり、想像以上の苦労があった。

「一店舗に作るのに、こんな大変だとは思わなかった。エンターテイメントの仕事が大変だったので、ホッとしたいなと思ったんです。だけど、今でもツ アーを日本に送ってますでしょ、その仕事をやるとホッとしますよね(笑)。ここは場所を決めるのから、大家さん、不動産会社とのやりとりから、建築家を 雇って…。日本より大変なのは、保健所や市の許可取ること。ビバリーヒルズ市は(最初)ものすごく意地悪でした。看板の許可を取るのに4ヶ月。色変えろと か、形がどうだとか。今? みんな仲良くなっちゃいました。だから市の人たち、みんなここに食べに来てくれるんです。最初はシティホールなんて行ったこと もなかった、怖そうに見えるでしょ。何回も行ってるうちに顔見知りになったんです。いろんな人と親しくなりましたね。そういう意味で、街と一緒になったっ ていうか。ただ住んでいたときより、本当に住民になりました。前はお客さんでしたから。(日本向けの)仕事をして、住まわしてもらっているような」。ビバ リーヒルズの公務員の他に?ハリウッドならではのセレブリティも「Sno:la」の常連。タイラ・バンクス、キラ・セジウィック&ケビン・ベーコン夫妻ら が何度も顔を見せている。

作家の遠藤周作氏の海外担当秘書も務めていた。信頼は厚く、学生時代のアルバイトに始まり、渡米後も遠藤氏が亡くなるまで続けた。飛行機事故で亡く なったジョン・デンバーとは個人的な友達。クイーンのブランアン・メイとも自宅を訪問する仲だ。この間、風邪を引いたとき近くのクリニックに行くと、偶然 ロッド・スチュアートと再会し、お互い目を丸くした。人脈の広さは計りしれず、経験を積み、キャリアも築いた川島さんだが、どうしても店を開きたくて“大 きな向こう見ず”で新しい業界に飛び込んだ。全く経験のなかった店の設計・認可に苦労し、オープンすれば若いアメリカ人店員の教育に四苦八苦した。しか し、それも信頼おけるマネージャーを発掘し克服。控えめで真摯、“大変大変”なことも広い度量の川島さんだから、解決法がやってきたのかもしれない。

「Sno:la」のお店に座って、ここを一から立ち上げたのかと思えば、ただただ頭が下がる一方だ。それでも謙虚な川島さんには、感謝している人がいる。アメリカに住む、今の私たちの基礎を築いた日本人・日系人の方たちだ。

「私が最初に(アメリカの高校に)留学した70年代、日本製のものは安かろう悪かろうという時代だったんです。労賃が安くて製品も悪かった時代。そ れから日本人はパワーが凄いですから、戦後、どんどんいいものを作った。今は逆に日本のものというと、じゃあいいものだという認識ですよね。だから今こっ ちで仕事をするのは“楽だな”と思います。頑張ってきた日本人の方たちのおかげですね。うちはビバリーヒルズ発、ここで始まったものなので、日本(で生ま れた)ものではないんですけれど、日本がバックにあって、私が日本人だということで、アメリカでも信用していただいてると思います」

「次はパリに出したい、ベルリンにも」と「Sno:la」計画はまだまだ続く。母校・国際基督教大学(ICU)の在校生たちの世話をすることもあ る。若き後輩たちを「みんな果敢にチャレンジしている」と頼もしく思う一方、今や川島さんが彼らの尊敬すべき日本人の一人になった。

川島さんのような、日本でも少なくなった“大和なでしこ”気質の日本人が海外で活躍していることを、Discover Nikkei で紹介できることを嬉しく思う。

***

Sno:la本店(Snolayogurt.com)
住所 244 N. Beverly Dr. Beverly Hills CA
電話 310-274-2435

Sno:la サンタモニカ・サードストリート・プロムナード店
314 Santa Monica Blvd., Santa Monica, CA(La Salsa の横)
電話 310-458-3700

Sno:la 京都 河原町通店
京都府京都市中京区河原町通三条下奈良屋町303(蛸薬師通り角)
電話 075-212-7839

© 2009 Yumiko Hashimoto

food Masako Kawashima Sno:la yogurt