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第1回 「和太鼓ほど、力強い楽器はほかにない」 マセオ・ヘルナンデスさん

日本における太鼓の歴史は長い。縄文時代には既に、情報伝達の手段として日常的に用いられていた。その後、雅楽により芸能に取り入れられ、さらに神 社仏閣における祭事や歌舞伎にも欠かせない存在となった。そんな和太鼓で突出した実力を持つ奏者が、イーストロサンゼルスにいる、しかもラティーノ系男性 だと聞いて興味を持った。

15歳で鬼太鼓座にスカウト

噂の太鼓奏者はマセオ・ヘルナンデスさん、37歳。1971年にサンフランシスコのメキシコ系家庭に生まれた(その後、5歳でイーストロサンゼルスに転居)。日本とは縁もゆかりもない。そんな彼が太鼓と出会ったのは、14歳の時だった。

「自宅に近いモンテベロの曹禅寺で、トマース・クライ師が指導する太鼓の練習に誘われたのがきっかけ。練習に参加して1年が経った頃、日本から鬼太 鼓座という太鼓集団がロサンゼルスにツアーでやって来た。演奏を見てもらう機会があり、始めて1年しか経っていない僕が、彼らの目に止まってスカウトされ たんだ」

西洋のドラムの経験もなく、近所のお寺の僧侶に誘われて始めた和太鼓の腕前が、世界ツアーを敢行するほどの日本の名門和太鼓集団のメンバーにとスカウトされたのだから、マセオ少年にとって、それはまさしく人生を左右する大きな出来事だった。

「僕の親は鬼太鼓座なんて聞いたこともなかった。最初はパニック状態になった。しかし、鬼太鼓座の評判を確認して納得した親は『行ってきなさい。そ して、全身で吸収してきなさい。帰ってきたら、あなたの仲間と、その貴重な体験を共有するように』と言って、送り出してくれた」
そして、マセオさんは15歳から19歳という10代後半の多感な時期を、日本で過ごすことになる。

「太鼓の故郷に来ることができた、と感慨ひとしおだった。しかも、日本では実にさまざまな太鼓が各地の祭りで演奏されているのを、自分の目で見る機 会に恵まれた。日本の生活と太鼓は切っても切れない関係にあるということが、よく分かった。日本での4年間は、言葉では表現できないほどの大切な思い出 だ」

熱海には1年滞在し、日本の高校に通いながらホテルでの公演を続けたという。

LAの太鼓奏者の指導者として

しかし、鬼太鼓座で将来を嘱望されていたマセオさんは、事故により足を負傷し,治療に専念するため19歳でアメリカに戻ることになる。それでも、和太鼓を止めようとは微塵も思わなかった。

「太鼓を始めて23年、一度も止めたいと思ったことはない。僕にとっては生き方そのもの、影のような存在。いつも(肩の辺りを指して)この辺にいる んだよ。太鼓の何に惹き付けられるか? それは、数秒でも音を聞いた人の足を止めることができる、太鼓の持つパワーだ。そこまで力強い楽器はほかにない」

現在は、イーストロサンゼルス太鼓を率いながら、ラテンミュージックに太鼓を取り入れたCAVA(カバ)というグループでも活躍中。さらに、ロサン ゼルスの太鼓奏者の技術向上を目的に、プロを対象にした指導も行っている。そこでは、鬼太鼓座で直々に習った方法を、特別に伝授しているそうだ。常に練習 を怠らず、後進を指導し続け、太鼓を広めることが使命だと話すマセオさん。

「太鼓の演奏が仕事? 副業は持ってないの?」と素朴な疑問を最後にぶつけた。すると、「僕の妻は会計士なんだ。彼女が地に足のついた職業に就いて くれているおかげで、僕は好きな太鼓に打ち込めると感謝している」と答えてくれた。彼が醸し出す雰囲気はどこか懐かしく感じられる。それは、日本人が失っ てしまった謙譲の美徳を、彼が持ち合わせているからかもしれない。

* 本稿はU.S. FrontLine 2009年2月5日号からの転載です。

© 2009 Keiko Fukuda

drum music taiko U.S. FrontLine (magazine)
About this series

Shamisen, pottery, poetry recitation, martial arts, kimono...Americans who are experts in these fields talk about their encounters with Japanese culture and its fascinations. (Reprinted from US FrontLine in 2009.)

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About the Author

Keiko Fukuda was born in Oita, Japan. After graduating from International Christian University, she worked for a publishing company. Fukuda moved to the United States in 1992 where she became the chief editor of a Japanese community magazine. In 2003, Fukuda started working as a freelance writer. She currently writes articles for both Japanese and U.S. magazines with a focus on interviews. Fukuda is the co-author of Nihon ni umarete (“Born in Japan”) published by Hankyu Communications. Website: https://angeleno.net 

Updated July 2020

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