初めまして。僕は日系ブラジル人二世の山本ロブソン隆(ヤマモトロブソンリュウ)です。
現在は、日本財団の奨学生として日本で留学生活を送っています。初めて Discover Nikkei に書かせて頂く本日(6月18日)は、移民船「笠戸丸」がブラジルのサントス港に到着してから100年経つ特別な日です。
しかし、僕は実際に「笠戸丸」で移住したわけではありません。僕の両親は戦後移住者で、1976年に飛行機でブラジルに渡りました。ブラジルに到着した両親は、コーヒー農場で奴隷扱いをされたわけでもありません。入った移住地(ブラジル国・サンタカタリーナ州・ラーモス移住地)には電気まで普及していたので、初期の移住者の苦労を味わっていないと思います。両親にとって新しい故郷で生まれた僕の少年時代の暮らしは、かなり豊かなものでした。初期の移住者の当時の暮らしや生活の大変さは、彼らの話や写真だけでしか知りません。
その僕にとって「日本人ブラジル移民100周年」は特別な意味があります。現在ブラジルの日系社会は、人口約150万人という世界最大の規模を誇っています。数字だけではなく、ブラジルの様々な分野(芸能・芸術・経済・政治・軍隊・スポーツ・農業など)で日系人は重要な役割を果たしていると思います。日系人(現地では「日本人」と呼ばれる事がほとんどです)のまじめさ、礼儀正しさや信頼性の評判は、長年の積み重ねで培われてきたものであり、ブラジル人からも認められています。
例えば、軍隊では歴代初の日系人空軍司令官ジュンイチ・サイトウと歴代初の日系人陸軍少将アキラ・オバラと日系人陸軍中将パウロ・コマツ。スポーツでは今までのオリンピックで獲得したメダル数は10個(帆走と陸上競技の12個に続く3位)。そして僕の専門でもある農業では、ブラジルでの野菜栽培の発展に寄与したのは日系人だと言われているほどの貢献を果たしました。
日系人の僕にとっては、ブラジルと日本両国が故郷であり、両国の文化を大切にしています。今回の留学も日系人であったから実現できました。そして、留学する事で世界中の人や文化と出会う事もでき、ブラジルでは不可能かもしれなかった事を体験する事ができています。日本国内の小・中学校や団体でブラジルの話をしたり、日系人学校で日本語の大切さや、奨学生として日本の大学で勉強する可能性を話しながら、自分自身の経験を伝える機会を頂いています。
将来の夢は、移住して小規模な農業に従事している日系人を支援し、祖国ブラジルの日系社会の発展に貢献することと両故郷の懸け橋になる事です。
© 2008 Robson Ryu Yamamoto