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https://www.discovernikkei.org/en/journal/2008/3/20/shinnenkai-nihonjinmachi/

新年会は日本人街で〜アフター・パーティのお楽しみ

日系コミュニティの取材をする者にとって、1月から3月(!)は「毎週土日に休みなし」と考えておかねばならない。なぜなら、この時期、各都道府県 の県人会、団体、趣味の会などLA日系社会に存在するほぼ全ての組織が、新年会・総会を開くからだ。お呼びがかかれば全てというわけにはいかないが、なる べく会に参加させていただく。先日も県人会の新年会に出席したばかり。ダウンタウンから車で10分、LA東部にある宴会場で行われた、その会はお国訛りも 飛び出す、楽しいものであった。

そこで、ある会員が話していたことが気にかかっている。

「いつもこういう集まりはリトル東京のニューオータニでやっていたんだけれど…。遠くから来てる人もいるからね。めったに日本人街に来ない人たちは、新年会の後、車を置いたまま、お店をのぞいたり、日系のスーパーマーケットに行くのが楽しみだったんだ」

サンフェルナンドバレーの奥やオレンジ郡のずっと南から、車で2時間かけて、この新年会にやってくる人もいる。家の周りにはもちろん日系マーケット などないから、県人会の集まりで日本人街にやってくるのは、日本の食べ物や本・雑誌、化粧品などを買い物する絶好の機会なのだという。

そんな日本人街・リトル東京でのお楽しみも、昨年11月「ニューオータニ・ホテル&ガーデン」が撤退で大きく事情は変わった。リトル東京で30年間 ランドマークの役割を果たしていた「ニューオータニ」から、ホテルは米資本の「キョウト・グランド・ホテル&ガーデンズ」に変わった。今年、「キョウト・ グランド」を会場に選んだ日系団体はどのくらいあっただろう、急減であることは間違いない。数年前から、「ニューオータニ」の“日系社会離れ”は感じてい たが、今回“ニューオータニ”の冠がなくなったことで、日系社会からも物理的に、そして心理的に距離を置くことに抵抗がなくなったようだ。(ニューオータ ニ自体は、数年前からアメリカ人客を主なターゲットにしている。リトル東京周辺には市庁舎やロス市警など公的機関も多く、他人種でにぎわっているのだか ら、無理もないことだ。)

「来年からトーランスも(会場候補に)考えないとね」。収容人数の問題で、他のリトル東京の会場も厳しいとなれば、今やLA地域一番の日系ショッ プ・マーケットの中心地であるトーランス(LA南部)が浮上してくる。たとえ距離が遠くなっても、「遠方組のお楽しみを取り上げないで」とは切実な願いな のである。

実際のところ“遠方組”の日本人街訪問は、どんどん大変になっている。「ニューオータニ」が撤退したリトル東京では、日系の店が一つ潰れ、二つ潰 れ、その後に入るのはほぼ間違いなく他のアジア系、特に韓国系のオーナーたち。いくら日系人の街だからと言って、オーナーを日系に限定するのは難しいし、 それが正しいことだとも思えない。高騰する一方のリトル東京の賃料が新しい日系ビジネスオーナーたちに二の足を踏ませているのだろう。

このごろは、トーランスエリアにも韓国系の台頭は目覚しい。日系の街は何やら追いやられている感じだが、少なくとも最近のリトル東京の勢いを見てい ると、他のアジア系が日系人の街に参入してくるのもよく分かる。チャイナタウンやコリアタウンは、文字通り、その国の人々のための街だ。他のアジア系は見 かけても、他人種と言えばヒスパニック系くらいか。一方のリトル東京。LAダウンタウンのすぐ隣という好ロケーション、日系人が守ってきた治安の良さも手 伝い、多人種がミックスされた理想的な街になった。平日はスーツを着たビジネスマンたちが行きかい、週末ともなれば10代らしき白人のグループもよく見か ける。ここに魅力があるのは確かなのだろう。

日本人はリトル東京を“寂れて古臭い街”と敬遠する。アメリカに来た当初の私も、全く同意見だった。けれど新年会で出会った“遠方組”のように、ア メリカの社会に根を下ろし、年に2、3回しか日本人街に行かない(行けない)日系人にとっては、それでも有り難い場所なのである。彼ら彼女たち“遠方組” のために、来年は日本人街で新年会が実現すると良いのだが…。

© 2008 Yumiko Hashimoto

About the Author

Born in Kobe city of the Hyogo prefecture, she has lived in Los Angeles since 1997. Works as an editor for a Nikkei Community paper, and also writes articles based on local happenings. When she was in Japan, she had never even heard of the word “Nikkei-jin,” let alone the existence of internment camps during World War II. She is participating in the Discover Nikkei site in hopes that the readers can “keep the existence of Nikkei people close to their hearts and minds.”

Updated October 2008

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